出会い
人々が自らに死を与え、黒死人と呼ばれる異形の者へと変貌させる黒い雨と、それを降らせる漆黒の雲を畏怖している世界。
その世界にあるアレド村で17歳を迎えた少年トールは、初めての狩りに出かけそこで一人の女性を発見した。
森に入るにはあまりに軽装過ぎる半袖と短いプリーツスカート姿で、僅かに青みがかった黒いロングヘアーと大胆に露出している奇麗な白色の肌はかなり汚れている。かなりの美形のようだが歳は…25、6といったところか。手荷物も側にある小さな革袋1つだけのようだ。
所々、肌の汚れに混ざって小さな擦り傷を負っているようだが大した傷ではなさそうだ。それよりも、右手の手首から肩にかけてまでしっかりと巻かれた包帯が痛々しさを感じさせた。
疲労のためか、それとも包帯の巻かれた右手や体中の傷が痛むのか、トール達が近づいたことにも全く反応しない。
「おい! おい!」
「うぅ・・・」
ラディッツが女性の前にしゃがみ込み、肩を揺すって声をかけたが苦しげな呻き声を返すだけだ。ラディッツはとりあえず持っていた応急処置の道具で、目立った傷を処置した。右腕の包帯には触れないでおいた。
「よし。これで少しはマシになったが…かなり疲労しているな。」
「早く村に連れて帰った方が良さそうですね。」
「そうだな。」
ラディッツは自分が仕留めた狼の死骸とぐったりとした若い女性を見比べた後、少し困った表情で横に立つトールを見上げた。
「トール、こっちとこっち、どっちを運びたい?」
ラディッツはそういって、死骸と女性を順に指差した。どちらをトールに運ばせようか決めかねていたらしい。旅人の人命は当然大事だが、明日の糧となる狼の肉と皮もやはり同じく重要だ。
「じゃあ…こっちを。」
トールは少し迷ったが、女性の側に歩み寄った。
正直言って、往路だけでぐったりのトールにとって、どちらを担ぐにせよ帰り道は相当な覚悟をもたなくてはならない。ただ射抜かれた傷口から血が滴っている狼の死骸よりは、生きている女性の方が心理的に楽な気がした。
「まぁ、そう言うと思ったよ。若い女を担ぎたくなるのが男ってもんだ。」
「いや、そういうわけじゃ!」
ラディッツがニヤニヤとトールを茶化してきたので、トールは慌てて反論した。
「冗談だよ。
さて。じゃあさっきの狼が戻ってくるかもしれないし、すぐに村に戻ることにしよう。」
ラディッツは躊躇わず狼の死骸を担ぎ、村への帰路をたくましい足取りで引き返した。トールも女性をなんとか担ぎ上げて後に続いた。
何度か休みをもらいながらだったが、やはり帰り道はトールの足にとってかなり厳しい道のりとなった。だが初めて間近で香る女性の匂いと、背に担いだ女性のふくよかな胸の柔らかさが感じられると、不思議と足取りが軽くなる気がした。
トール達が村に帰り着いた時には、もう日が暮れようとしていた。
トールは初めての狩りで巧く立ち回ることができなかったことをラディッツに詫びたが、彼は「気にするな。」と言ってくれ、村人達はトールが初めての狩りを無事に終えたことに喜び、傷ついた旅人を担いできた労をねぎらってくれた。
ひとまずトールは、アレド村唯一の医師がいる普通の家屋を改造した小さな診療所に女性を連れて行くことにした。
「おぉ、トール。初めての狩りはどうだった…と、なんじゃ?その後ろの女は?」
トールが診療所に入ると、老医師は白い眉を大きく上げて背に担いだ女性を見た。トールは女性を見つけた経緯と、ついでに自分の狩りでの失敗を語った。
「そうか。まぁ獲物も得られたことだし、初めての狩りにしては上々じゃろう。
さて、こっちの方は・・・」
老医師は体中に着いた小さな傷や、服の上からの触診を行い女性の体を診断した。
「ふむ。
まあ骨が折れていたり、大きく出血しているような所は無いな。
疲れ切っているだけにも見えるが・・・この包帯が巻かれた右腕も気になるな…見てみるか。」
老医師はそう言って右腕の手首から包帯を外し始めた。
「こ、これは!」
少しだけ包帯を外すと、女性右腕の前腕部分に黒い痣のような痕が無数に付いていた。
「なんですかこれは!?」
「黒痕…じゃな。狼もこれを感じ取って襲わんかったのかもな。」
「黒痕?」
初めて聞く言葉に、トールは首を傾げた。
「黒い雨は聞いたことがあるじゃろう?漆黒の雲から降り注いで人を死に至らしめ、その死骸を黒死人に変えるあの雨。
その雨にあたった痕じゃよ。」
「黒い雨って・・・あれにあたると黒死人になるだけじゃ?」
「あたりすぎると、雨が発する猛熱で死んでしまうがな。
少しあたるくらいなら死なないことの方が多いんじゃが、こうやって痕になってしまってそこから発せられる熱に一生苦しむことになる。それが黒痕じゃよ。
だが…この痕はワシが見てきたものと少し違うな。」
「違う?」
「ああ。黒い雨は皮膚に触れた瞬間に強い熱を発するから、皮膚が爛れてしまうんじゃよ。
だから死なずに黒痕だけになったとしても、ひどい火傷をしたように腫れ上がるか、まるで溶けたような悲惨な傷跡になることが多いんじゃが。」
女性の右腕の黒への染まり具合は痛々しいが、老医師の言葉とは異なり爛れていたり腫れていたりという状態ではなさそうだ。
「治すことはできないんですか?」
「治せん。黒い雨がなんなのかも分からんからな。
そのせいか分からんが、黒痕を持った人間が側におると黒痕が伝染するという者もおってな。」
「え!? 伝染るんですか!?」
「ワシの知る限り伝染らんよ。知り合いの医者達も確認しておるから、まあ心配ないじゃろ。」
「・・・そうですか。」
トールは一瞬背中が冷たくなったが、老医師の発言で少し安堵した。
「まあ得体の知れないものの噂は、確証が無くても人は信じてしまうからな。
ただそう言う噂のせいで、せっかく黒い雨から生き残っても黒痕の付いた人間は一目を忍んで生きていかなくてはならんことが多い。
この包帯もおそらくそのためじゃろうて。」
「・・・」
トールは自分の中で一瞬沸き起こった、女性の右腕に対する嫌悪感を恥じた。
「まあ、この包帯は元に戻しておこう。幸い包帯も清潔そうじゃし、この女性にとっても我々が知らないということになっていた方が良いじゃろう…
他の傷は手当てしておくか。体を拭いて、服も着替えさせた方が良いな。」
「あ、それじゃあ僕はこれで失礼します。」
「おぉ。ご苦労だったな。
悪いが後で夜食を持ってきてくれ。一応この女性の分も軽いモノを頼む。」
「分かりました。」
トールはもう一度助けた女性に目を配り、静かに診療所から去った。
ーー数刻後。
日がどっぷりと暮れた頃に、トールが助けた女性は診療所のベッドで目を覚ました。
(ここ・・・どこ?)
小さな蝋燭の明かりだけで照らされた薄暗い部屋を見渡し、一瞬女性は困惑した。
「つっ!」
女性がのっそりと体を起こそうとすると、軽い電流が走ったかのような小さな鋭い痛みが全身に走った。
女性は記憶を辿る。
確かドーナ王国の王都パルオンを目指して街道を歩いていたが、いつの間にか道を外し森に迷い込んだ。食料や水が切れて、崖から転がり落ちたりしてヘトヘトのボロボロになってしまい、森の中にあった開けた原野に立っていた大木で一休みをしていたはずだ。
傷の手当がされ、服も着替えさせられている。この分だと誰かに助けてもらえたのか?
右手の包帯には触れられていないようだが。
急に、女性の右側の壁にある扉がガチャリと開いた。瞬間的に、女性は自分にかけてあった毛布で包帯が巻かれた腕を隠す。
「あ! すみません。起きているとは思わなくて。」
そこには10代後半くらいの美少女が立っていた。いや、見た目は少女のようだが、声の感じからして男だろうか?
美少女に見える少年?は、木製のマグカップを乗せたトレイを持って部屋に入り、ベッドの横にある丸いすに腰掛け、女性にカップを差し出した。
「飲めますか?」
「あ、うん。ありがとう。君が…その、助けて…くれたの…かな?」
いまいち状況が飲み込めていない女性は、少年の差し出したカップを受け取りたどたどしく尋ねた。
少年は自分が先輩狩人と初めての狩りに出かけて女性を見つけたことと、一応だが自分がこのアレド村まで運び、村の医師が手当をしたことを説明した。
「そうか…結構危なかったんだね。
どうもありがとう。これ、いただくね。」
女性はカップに注がれているスープをひとくち口にした。空腹と疲労で蝕まれた体に、肉の出汁が聞いたスープが染み込んできた。
「おいしい。」
「良かった。今日の初めての狩りで穫れたばかりの、狼の肉を出汁にしたスープなんですよ。
もっとも、狼を仕留めたのは先輩なんですけどね。」
少年はそう言って気恥ずかしそうな笑顔を見せた。
女性はこの人の良さそうな少年に、とりあえず自分の名を名乗ることにした。
「私はミリアス=ブレアム。改めて、助けてくれてありがとう。」
女性は左腕を少年に差し出した。
「僕はトール=ディオルグと言います。よろしく。」
ミリアスと同じくトールは左手を差し出し、お互いに柔らかい握手を交わした。
「でも、あんな所で倒れているなんて、何があったんですか?」
ミリアスはスープを口にしながら、自分がパルオンへ向かう旅人であることや、その道中で迷ってしまい、結果あの大木に倒れ込んでしまったことを説明した。
「パルオンまでなら、この村の隣町にあたる『レーゲ』っていう港町から直行便が出ていますよ。」
「本当?じゃあもうひと頑張りか。」
「パルオンまで、何を目的に?」
「うーん、まあちょっとね。人探し…みたいな。」
「・・・そうですか。」
ミリアスが言葉を濁したので、トールはこれ以上この話題に触れない方が良いと感じたのか話を打ち切った。
「今日はとりあえずこのベッドを使って休んでください。
医者も怪我は大したことはないけど、2・3日は休んだ方が良さそうって言ってましたから。」
「うん、ありがとう。」
トールはミリアスから空のカップを受け取ると「おやすみなさい」と声をかけて部屋から退室した。
部屋に残されたミリアスは再びベッドに仰向けになり、包帯が巻かれた右腕を天井に掲げた。
(パルオンまであと少しか…)
ミリアスは右手を下し、静かに瞼を閉じて再び眠りについた。
表現の誤り、誤字脱字等ありましたら
ご助言とあわせてご連絡いただけると幸いです。