今日の雨模様↑ ↓あの日の雨模様
志樹が『彼女』と出会ったのは一か月ほど前だった。
場所はこぢんまりとしたとある喫茶店。その正面口には『ねこつぶら』と書かれた看板が掲げられている。とりわけ雨の日には、のっぺりとした淡い影を傍らに落としているだけの不思議な建物にさえ見えただろう。
実際のところ志樹は、この店に客が入ってくる瞬間を見たことがない。まるで志樹が本日最後のお客様という具合に、彼が此処に来ればその日は他に誰も入ってこなかったのだ。
なににしても、『雨の日は』という説明を付け加えなければいけない。
初めてこの喫茶店へ訪れた日、それは志樹が彼女と出会った日と時を共にしている。あの日は通り雨に塗れて、駆やゆくると一緒にこの喫茶店へ駆け込んだことを、志樹はよく覚えていた。
当時の志樹は、今と同じように折りたたみ傘を携帯していて、別段雨宿りをする必要はなかった。だが、駆に流されるようにして志樹は喫茶店に入ったのだ。
何故自分たちは此処にきてしまったのか、未だに志樹は分からない。ただそれが駆の気まぐれのせいというよりは、通り雨に引き込まれたからというやや幻想的な理由の方が志樹にはしっくりきた。
志樹は特に覚えていないが、あの日の喫茶店でも、喫茶店のマスターは微笑みを漂わせて彼らを迎えてくれていた。
その時も人は相変わらずといった様子でおらず、駆たちが席に着いた途端に音が響き始めたことから、例え彼らが自分たちしかいなかったと言っても間違いはないのだろう。
それでも、今の志樹なら間髪入れずに否定するはずだ。
詰まる所、席に着いて駆たちとどのような話をしていたのか志樹はほとんど覚えていない。話をしていた、ということは記憶にあるのだが、そこで日常の輪郭がぼやけてしまっている。
志樹なりに上手い言い方をすれば、『まさに雨に滲まされた』ということなのだろう。目前の二人が織りなす掛け合いをぼんやりと眺めていた頃、志樹は会話の背後で紙の擦れる音を聴いた。
そうして何気なく視線を横に逸らした先、反対側にあった窓際の席で、志樹は彼女、『ときあめさん』を初めて目撃したのだった。