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「組長だけが意地を張ってるんですよ。俺達も最初は不安だったし、戸惑いもありました。でもね」
孝之さんは、私が女将さんの作ってくれた食事を食べている間に説明してくれた。
「ここの連中は、みんな、御子ちゃんと同じような思いをして来たんです。何かの事情で生みの親と別れて、施設に入って里子に出されたり、養子になったり。それでそのまま幸せになる奴等も多いんですが、俺たちみたいに上手くいかない奴もいる。実は俺、片耳が聞こえないんです。手の指の動きの悪い奴もいるし、ちょっと持病がある奴もいる。千里眼とは違うでしょうが、スネやすくて施設でも問題児扱いされる。そして外れ者になって、ここにたどり着くんです」
「みんな、つらかったんだね」
私は食事を飲みこむ間に、相槌を打った。
「大人の勝手に馴らされて、つい、言いたい事も言えなくなっちまってるんですね。普通と違う弱みもあって黙ってあきらめちまうから、ヤケになってロクでもない事をする。それで気がつけば外れ者だ。でも御子ちゃんは違う。ちゃんと、自分の言いたい事を言った。そしてそれは筋が通ってると思う。俺達は人とは違うし、大人や社会の都合で見捨てられたり、拾われたりしたが、望んでそうなったわけじゃない。だから御子ちゃんが私は捨てネコじゃないと言った時、みんな胸がスッとしたんです」
「ごめん。深く考えて言ったわけじゃないの。あの時私、カッとなっちゃって」
「それでいいんですよ。本当に望んでいることは、ちゃんと伝えないと。ここをウチにしたいと言われて、女将さんだって嬉しかったはずです。不安だ、不安だと言いながら、その茶碗も箸も、とてもうれしそうに女将さんが選んだんですから」
私は箸を止めて、今手にしている茶碗をあらためて見た。桜模様の可愛くて品のいい茶碗。それに合わせた桜色の女物の箸。男の人ばかりのこの組で、こんなものを使うのは私だけ。私のためだけに、女将さんが選んでくれたに違いない。
「私、ここに来た時に思ったの。ここならきっと、幸せに暮らせるって。今はもっと、そう思ってる」
「だったらあきらめないでください。あきらめちゃ駄目だ。絶対組長は折れるはずです。組長は御子ちゃんを幸せにしたくて、引き取ったはずなんですから」
うん。そうだ。あきらめたりしない。ここに来た日の組長と女将さんの目は、本当の気持ちを伝えてくれた。私はそれを信じればいいんだ。みんなも応援してくれている。きっと大丈夫。
お腹が膨れて孝之さんに励まされると、私の不安は吹き飛んだ。私は絶対に出て行かないと約束して、また、こっそりと庭から部屋に戻って行った。
籠城二日目。私の部屋の扉を女将さんがノックした。
「御子ちゃん、今、組長は事務所で朝の報告を受けてるの。今のうちに洗面所使った方がいいわ」
「女将さん、私、どうしてもここで暮らしたいの」
私は部屋から出て来て懇願した。
「分かってるわ。組長も昨日の事で神経質になり過ぎて、自信を失ってるのよ。でも、きっと大丈夫。本当は組長だっていてほしいはずだから。急に大きな娘をもって、戸惑ってるのかもしれないわ。もしかしたら照れてるのかも。だから心配しないで。学校には家庭の事情で二、三日休むと連絡したから。でも、ちゃんと勉強はしてね」
女将さんは私が洗面をしている間、そう言ってくれた。そして朝食の乗ったお盆を持たせて、
「絶対組長は許してくれるから」
と、言ってくれる。
部屋に戻ってお盆の上のマグカップを持ってみる。小さなハートがちりばめられたカップ。これもきっと女将さんが選んでくれたんだろうな。ちょっと温かい気持ちで、ホットミルクを飲んだ。
なのに、その直後に組長の声が扉の向こうから聞こえた。
「どうだ、学校にも行けずにつらいだろう? ここを出る気になったか?」
なんて言ってる。
「全然! 私、絶対にここから出ないから!」
私も言い返した。
「勝手にすればいい」
そう言って組長は扉を離れたようだ。私は手近な枕を蹴っ飛ばした。
籠城三日目。私はだんだんつらくなってきた。食事は女将さんが持ってきてくれるし、トイレは組長の隙を孝之さん達が知らせてくれるので、問題なく済ませる事が出来る。
でも、外の空気だってもっと吸いたいし、お風呂ももっとゆっくり入りたい。ここにはテレビもラジオもないから、いい加減退屈だ。手元のわずかな本と、教科書しか読む物もないんだから。
「そろそろ退屈だろう? 施設なら年の近い子と思う存分おしゃべりが出来るぞ」
組長がまるでこっちの心を見透かしたような事を言う。そうか。心を読まれるって、こんなに不愉快な事なんだ。うかつに読んじゃいけないのは、私が辛いからだけじゃないんだわ。
「そんなことない。今だって組長とお話出来てるんだから」
私がそういうと、
「だったら、もう、声はかけないぞ」
と言って、離れる気配がした。余計なこと、言わなきゃよかった。
籠城も四日目になってしまった。今日は組長は一言も私に声を掛けなかった。昨日の事があったせいだろう。あんな事を言わなければ、組長に懇願出来たかも知れなかったのに。私は後悔していた。でも、あの調子じゃ、懇願しても聞く耳を持ってくれなかったかもしれないけど。
夜になって女将さんが、組長がお風呂に入った事を教えてくれる。私はこの隙に用を済ませようとトイレに入った。そして用が済んで出ようと扉を開けたところで、お風呂に入っているはずの組長とばったり会ってしまった。目が合うと何故か組長がその場から逃げるように踵を返そうとした。
このチャンスを逃したら、目を見て話す事が出来ないかも。
私はとっさにそう思い、組長の手首をつかんだ。どうしても話を聞いてほしかった。