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良平だけじゃない。私は気づいた。なぜ、他人が私の『力』をこうも恐れるのか。心の中の安全を失ってしまうからだ。私に憎まれた人は勿論、愛された人も生涯、私の『力』に脅えなければならなくなる。
私自身もそれが怖い。愛する者に私への悪感情を見てしまう恐怖。自分は怖い物知らずになったと思っていたけど、こんなにも怖い事があった。
恋心に気づけば、当然相手のすべてを知りたくなるし、そういう欲求は簡単にこらえられる物じゃない事を私は知っている。
私、本気で一人身を通した方がいいのかも。
そう腹を決めると、組長が何を言ってこようが気にならない。私は、
「申し訳ないけど、私、結婚はしたくない。堅気である無しの前に家庭を持つ気が無いの。私の結婚はあきらめて下さい」
と、組長に宣言した。
当然組長はやいのやいのと私を説得しようとした。孤独のつらさ、不安を説き、女将さん亡き今、組長だっていつまで私を見守れるか分からないと言い、人生の長さを述べた。
でも私は言った。どんな孤独より、相手の心を見てしまうつらさの方が、私には苦しいと。
「一時ならともかく、結婚相手の心を一生知らずに通すなんて、私、出来そうもないの。私みたいな変な力を持った人間は、結婚なんて望めないのよ。何より、私自身がつらすぎるの」
「気がついたのか。お前の能力の問題点に」
ついに来たか。そんな表情で組長は私を見ていた。組長には分かっていた事だったのか。
だから組長は私がまだ若いうちから、堅気に嫁がせて足を洗わせようとしていたのね。強引にでも足を洗ってしまえば、この問題にぶつからずに生きられると思ったのかしら?
「それならせめて、気心が多少は知れている相手を選んだらどうだ? 例えば、……良平とか」
とうとう組長はそこまで折れた。
「どうしてもお前がこの組から離れたくないのなら、良平と一緒になっても生涯、組に居続ける事に変わりは無い。お前に約束させた時、わしは大げさに言った。良平はそんなに器の小さい男ではないし、もし、お前が良平とさえ上手くいかなくても、お前を組には縛らない。多少複雑な事になっても、わしはお前達の人生のためならどんな事もする覚悟がある」
組長はそこまで言ってくれる。その気持ちは本当に嬉しい。でも。
「良平はダメです。」
私はそう言った。良平だからこそ、ダメなのだ。
「どうしてだ? 一番お前と気があって、気心の知れた男であろう? お前を良平に近づけなかったのは、お前と良平が昔から気が合うからだ。お前は良平の足の事をずっと気にしていた。良平も心の弱っていた時であった。放っておけば必ずお前達はそれなりの仲になるだろうと思った。だから、お前にあんな約束までさせた」
「あんな約束、気にしてません」
「そんな事はあるまい。白状すれば、わしは良平にお前に誤解をさせるなと言った。足の事で同情を抱いているお前に良平が近づけば、お前が気持ちを勘違いしかねないと言った。良平の足を奪ったわしがお前にその良平を押しつけるようなことはしたくなかったのだ。だからお前を早く堅気にしたかった。愛されるだけの人生なら、お前の能力が使われずに済むと思ったのだ」
組長が顔色を変えて白状したので、私は不謹慎にも笑ってしまった。
「組長、そんな事、関係ないんですよ。これは私の心の問題です。良平も、組長も、他のみんなも関係ないの。この手の事って本来、反対されると逆効果なんじゃなかったっけ? ロミオとジュリエット効果とか、なんとかって」
「私も口で言うほど本気で反対していなかったのかもしれん」
気まずそうにそう言う組長に、私はさらに言った。
「残念ながらそういう事でその気になれるほど、私の能力は簡単なものじゃないんです。こんな能力消えてなくなって欲しいくらいなの」
ついに組長は黙り込んだ。この力を持つつらさは、私自身にしか分からない。たとえ親の様に育ててくれた人でも、理解する事が出来ない。
「でも、私、幸せです。こんな風に心配してくれる組長もいるし、みんなもいる。だからこの組から離れられないんです。私はこの組と結婚したようなものです。ここが私の永遠の家庭です」
それでもなお、組長は食い下がった。
「お前、本当に良平と一緒になれないか? この先何十年も、信じあう心も、絆を深める喜びも無く生きるつもりか? そういう喜びはどんな苦しみも乗り越えるとは思わないのか? 勿論、あいつを押しつけようというわけではないが」
「押しつけるのは私の方です。心をすべて見透かしてしまうなんて、それだけでフェアじゃない。良平の方が気の毒よ。良平も私には優しいから、組を離れられない私への同情心を、誤解するかもしれないでしょ?」
「小さな誤解など、すぐ解ける。年月が本物に変えてくれる」
組長は諭すように言った。
「解けすぎるんです。私は」
私はそっとほほ笑んで答えた。
「私の相手になる人は、心に安全な場所を失うんです。私、普通の人間じゃないんです」
ひょっとしたら、内心ではさすがの良平だって私の力は疎んじているかもしれない。以前、私が彼の心を覗いたと勘違いした時、今思い出しても胸が痛むほどの視線で睨まれたっけ。この力を使われる恐怖を彼は知っている。
そもそも私、いい年して良平の妹から抜け出せていない。「足を洗って嫁に行け」と、平気で言える程度にしか見られていない。それでも妹でいられるだけ、まだましだけど。