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組長は女将さんとの旅行を計画し始めた。まともな旅行をほとんどした事が無いのだと言う。
「以前の抗争沙汰は今より激しかった。私達は結婚式の直前に騒ぎが起きて、式はおろか、花嫁の写真さえ撮れなかった。これが最後かと覚悟しながら籍を入れて、乱闘に出て行ったのだ。とても旅行なんて考えられなかった。せっかくだからそういう写真を撮れる所に行こう」
女将さんは「この年でウエディングドレスなんて」と言ったが、組長が自分の方が見たい。着物よりは身体の負担もないからと言って説得してしまう。
行き先は空気の良い高原の避暑地で、ハルオの他に私もボディーガード代わりを兼ねてついて行った。
組の事は良平に任された。本当は女将さんとの思い出作りなので、良平も連れて行きたかったが、組の留守も放っておくわけにもいかなかった。
旅行は楽しかった。避暑地ならではの美しい景色や、しゃれた建物、湖などを見て回ると、私も心が晴れ晴れとした。ハルオは初めて家族旅行らしい時間を過ごし、興奮気味なくらいだった。組長は女将さんを気遣いながら、昔話に花を咲かせているようだ。二人とも穏やかな表情で、本当に来てよかったと思った。
その余韻が残るのか女将さんがハルオを見ている間、組長が女将さんと籍を入れた時の話を聞かせてくれた。
女将さんは他の組の組長の二女で、真柴組の事は理解した上での婚約だったそうだ。組長に何かあった時には組をたたみ、その組が組員達の面倒をみる。そして女将さんは実家に戻すと。
それでも組長は乱闘直前に籍を入れる事をためらった。ひょっとしたらこのまま帰れないかもしれない。たとえ実家に戻っても、出戻りとして肩身の狭い思いをさせるかもしれないと。
ところが女将さんは組長に、
「私、こんな大事な時に命を落とすような軟弱者を選んだ覚えはありません。あなたは絶対に帰ってくる。私が保証するから、ちゃんと署名捺印をして下さい」
と言って、ほとんど無理やり、ハンコを押させたそうなのだ。
「おかげでわしはいまだにこの世にいる。あいつを置いて先立ったりはできない。佳苗も今までに何度もつらい覚悟を繰り返してきたはずだ。今度はわしがあいつに付き添ってやる番だ。少しでも長く付き添えればいいんだが」
そう言って湖を見つめている。
「お前もいつ嫁いでもいい年だが、佳苗の様な思いはさせたくない。出来れば堅気に嫁いで欲しいが、最低でも式ぐらいきちんと挙げられる相手を選んでほしい」
そんな事をぽつりと言う。『二十歳の約束』が、また私の頭をかすめた。
撮影予定の教会に着いたのだが、女将さんの顔色が良くない。体調が悪そうだ。無理をさせられないと撮影は断り、教会を見学すると、予定を縮めてすぐに帰る事にした。
「今度、またの機会には必ず着替えて写真を撮ろうね」
私は女将さんにそう言ったけど、
「きれいな教会が見られて、私は十分よ。花嫁気分を味わったわ」
と、笑っていた。
「ダメダメ。今度は良平とこなくっちゃ。今回は留守番させちゃったんだから、次は良平に女将さんを独り占めさせないと」
私はそう笑った。自分が良平と旅行をするなんて想像できなかった。
旅行から帰ると、女将さんはすぐに入院した。やはりかなり体力を消耗したようだった。それでも女将さんは旅行の話を楽しそうに良平に聞かせたそうだ。
それからの女将さんは生活のほとんどを病院の入院生活で過ごしてしまった。私は午前中は家事に追われ、午後は病院で過ごし、夕方からはハルオと病院で交代して、組での事務を受けもった。その夕方の時間になると良平はシマの身回りや、店の様子をうかがいに行くようになり、私達は完全にすれ違うようになる。それぞれ気を使った事もあるが、何より互いに本当に忙しかった。
私は時折清美に電話をかけるようになっていた。彼女は高校時代のあの彼と別れたばかりだった。十年付き合ったにもかかわらず、結局うまくいかなかったという。私は自分がホッとしたくて電話をするのだが、気づけば清美の別れた彼の愚痴を聞かされた。嘘か誠か、女心の分からない奴だったと言い、意外と中身が小さかったと言い、懐のある男はこの世に沢山いると威勢のいい言葉を聞かされ、いつの間にかこっちまで元気になっていた。
街の景気が安定するに従い、この稼業も比較的落ち着きを見せると思ったが、一方でそれまでは意識していなかった組織がシマを狙ってくるようになった。
暴走族など若年層グループに金が流れ無視できない勢力となったり、国外からの集団によるスリや強盗など、街の治安の悪化によって起こる事態が、こっちの稼業にも影を落とし始めたのだ。
こういう相手に今までの様な古風なやり方は通用しない。特に、外国の人間では思考も感性も根本的に違ってしまう。裏社会は複雑化し、混迷を見せ始めていた。
そこで、街の巨大組織「こてつ組」が私達周辺組織と連携を図ろうと言ってきた。それまで抗争を繰り返してきた組織同士にそんな事が可能なのかは分からない。
でも、今のままではそうせざるを得ないのが現実だ。ウチの様な小さなところはこの波に逆らうわけにはいかない。組長と良平は連日のように各組織の人間たちと顔を合わせて話を詰めるようになった。
私も良平もそれぞれに組の事と、女将さんの事で頭がいっぱいだった。自分の事を振り返る余裕なんてなくなってしまっていた。