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組に頻繁に起こるようになった喧嘩沙汰。良平のこと、私のこと、ハルオのこと。女将さんには想像以上にいろんな負担がかかっていたのだろう。
ある日気分が悪いと言って食事もとらずに部屋に戻ったが、そのまま倒れてしまい、病院に運ばれた。
心臓が弱っていたらしい。そう言えば疲れたと言って頻繁に横になる事が増えているとは思っていたけど、そんなに悪くなっていたとは気がつかなかった。きっと無理をしていたに違いない。
その時はひと月足らずの入院で回復したが、それから女将さんは、体力ががっくりと落ちてしまったようだ。精神的負担が大きくかかった時や、疲労がたまった時に、短い入院を余儀なくされるようになってしまった。
この稼業でストレスを抱えるなと言う方が無理。頻繁に起こる喧嘩沙汰はどうしようもない。せめて女将さんを疲れさせないように、出来うる限りの家事や仕事を私も買って出る。良平の義足も完成したので、私は良平の足慣らしもかねて、一緒に稽古をするのを再開した。
これをきっかけに良平とも普通に話せるようになれば、女将さんの心配も一つ減らせていいのだけど、これがなんだか上手くいかない。無用な言葉を言ったら、そこから余計なことまでいい出しそうな気がした。
例えば
「義足に慣れたら、私との稽古は不要なの?」とか、
「なぜ、組長から距離を置くように言われた時に、私と口をきかないと言ったの?」とか、
「どうしていまだに私を避けるような態度を取っているの?」とか。
聞きたい事が色々溜まってしまっている。
でも、それを聞いてしまうのは怖かった。どんな答えが返って来ても、自分の中に納められないような気がする。良平の心を探るのはもっと怖い。以前、良平に誤解されて睨まれて以来、彼の心はほんのうわべを探る事さえ、普通に表情を読み取るのさえ、怖かった。
女将さんの前では心配かけたくないから、二人とも無口ながらも何でもない顔をしていたけど、女将さんにはどう映っていたのか、自信は無い。でも、そうするよりほかにどうしようもなかった。
ハルオの世話も私を頼ればいいのに、一層、女将さんはハルオが喧嘩をしないようにと気を使っていた。どもり癖が直らず、あまり成長が良くないハルオは小柄だったから、喧嘩を仕掛けてもやられて帰ってくる方が多かった。それでも女将さんはハルオが喧嘩をするたびに相手に謝り、ハルオには「人にやさしく接するように」と、口を酸っぱくして言い聞かせていた。
そのくせ、ハルオが大きな怪我をしていないか、深く傷つけられることを言われてはいないかと、いつも心配していた。
それも身体には良くないのかもしれないが、ハルオの事を気にかけるのは、女将さん自身、ハルオへの愛情を持て余すほどだからだろう。
いつか、返す子と言いながらも、ハルオは女将さんの生きがいになっているに違いない。そういうハルオを女将さんから引き放せば、かえってストレスになってしまう。私は心配しながらも、ハルオの世話は、なるべく女将さんに任せるようにした。
ハルオは小学生になり、相変わらず喧嘩をしては女将さんに小言を食らう日々。
それでも女将さんの心が届くのか、ハルオもだんだんむやみに相手に突っかかるような真似をしなくなってきた。どもりながらも自分の主張したい事は言葉で伝える努力をし、弱いものを助けて、他人に気を配る事を覚え始めた。何より人の優しさに応える事を覚え、女将さんを喜ばせていた。
組はあちこちからちょっかいを出されながらも、それなりに安定した状態を保っていた。大きな喧嘩になりそうな時は、先手を打って私と良平が助っ人に行った。
良平は不自由な身を補うべく鍛え続けたかいあって、新しい義足を使いこなせるようになると、喧嘩でもいっぺんに二人や三人相手にするくらいは、造作もなくなっていた。
特にドス使いの早さは驚くほどで、気づかぬうちに武器を払われ、倒されてしまうので、電光石火なんて通り名までついて回った。
倉田さんの義足は身体になじみがいいらしく、これまで以上に動きが良くなった。そもそも、それまで不安定な義足のまま私との稽古や、喧嘩の実戦に出ていたので、平行感覚や、普通では鍛えられることのない筋肉を十分に鍛えられていた。
そこに、良平独特の喧嘩の時の動きや、癖などを十分に考慮した、特殊な義足を身に付けたのだ。身体に不利があるとは思えないような身のこなしをできるようになり、さらに、倉田さんと相談を重ね、新たな改良を加えようと研究をしていた。
私の千里眼も、徐々に話が広がって行く。私は単に相手の動きを読んで避け、睨んで威圧しているだけなのだけど、やはり特殊な力と言うのは必要以上に恐れられるようで、話に尾ひれがついて、私に睨まれれば気を失うとか、魂を抜かれるらしいとか、勝手な話が噂されていた。
その評判のおかげで、相手は私の姿を見ただけで目を合わせる事を嫌がった。私が出てくれば喧嘩にならない。しまいには「石にされる!」と叫んで逃げる奴まで現れた。私はメデューサか。
でも、シマにとっては喧嘩沙汰が起こるより、相手がさっさと逃げてくれる方が断然有り難い。私達は噂をおおいに利用し、尾ひれの着くままに放っておいた。このごろ孝之さんも老いが目立って助っ人に出せなくなってきたので、この評判は余計に都合が良かったのだ。
おかげで「真柴組には電光石火の良平と、千里眼の御子がいる。下手に手出しはできない」と言われ、組は安定を保つことが出来た。
私と良平が気まずいままでいる事や、女将さんの体調不良を覗けば、組は再びの平穏な日々を送ろうとしていた。