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ちょっと苦い思いはしたが、学校、バイト、組の手伝いと、私は忙しい日々を過ごし、一年後の三年生になった夏休み、突然、組で赤ん坊を預かる事になったと、女将さんに知らされた。
「赤ちゃん? どのくらい預かるの?」
私は数日、あるいは数十日単位で考えていたが、
「いつまでになるか分からないの。とても事情が複雑なのよ」と、女将さんはいう。
その子は女将さんや組長ともなじみのある、「華風組」と言う組の組長の妹さんが生んだ子だったが、その子の父親への逆恨みから妹さんは殺されてしまったそうだ。
この世界は顔を張ったり、面子にこだわったり、要するに見栄を張って生きる稼業で、この子の父親は結構喧嘩で名を売った人らしい。このままでは子供も危ないと、その赤ん坊をウチに預ける事になったと言うのだ。
「父親も姿を消して、この子の素性さえ知られなければ、安全は保障されるわ。いつの日にか親の名も薄れ、ほとぼりが冷めれば華風さんに返す事も出来るでしょう。それがいつになるかまだ分からないけれど、良平も、御子も、自分の兄弟が出来たつもりで、可愛がってやってね」
女将さんはそう言って、小さな赤ん坊を連れてきた。赤ん坊は「ハルオ」と言う男の子だった。
女将さんは赤ん坊を育てた経験がない。私だって勿論ない。はっきり言ってどうしたらいいのか分からない事だらけだ。
それに女将さんも決して若いとは言い難い年齢だ。重い赤ん坊を抱き抱えたり、あやしたりするのも、楽じゃないはず。夜中に泣きだされて寝不足になりがちなのも結構つらい。
私は今年も夏休みの間はバイト中心の生活をするつもりでいたが、予定変更。とにかくハルオのお守に女将さんと明け暮れる事になった。
この頃は組長も組の事で手いっぱい。良平は義足で歩く事だけではなく、最低限自分の身を守る事が出来るようになろうと再びドスを握り、孝之さんから特訓を受けるようになっていた。ハルオの事は気にしながらも、それどころじゃ無かったのだろう。
組の男達はもっとアテにならない。赤ん坊を面白がることはあっても、おむつの一つも変えてくれるわけじゃないし、眠りかけたハルオを起こしたりして邪魔になることこの上ない。ハルオに手を出すよりも、自分の部屋や、風呂の掃除でもしてもらった方がよっぽど役に立ってくれる。私の高校最後の夏休みは、すっかりハルオに振り回されてしまった。
そこに意外な助っ人がやってきた。清美が兄の子の世話で慣れているからと、ハルオを見に来てくれたのだ。こんなところに出入りをしてはどんな噂が立つか分からないと言っても、
「赤ちゃんは経験者がいないと面倒見るのは大変よ。私は御子の家に遊びに来ただけ。誰が何を言おうが、変なことはしていないんだから堂々とするわ。気にしないで」
と言って、聞く耳を持たない。
実際私と女将さんでは赤ん坊の世話は危なっかしくて仕方なかったらしい。こんな時に駆けつけてくれる友人がいるなんて。高校に通って良かった。
それでも赤ん坊の世話と言うのは毎日の事なので、大変だと思いながらもいつの間にか、その重さにも、耳をつんざくような泣き声にも、しょっちゅう変わるお腹の調子やおむつのずれ具合にも私は慣らされてしまった。
夏休みが終わって学校に行っている間にもハルオの事が気になるほどで、帰ってくると真っ先にハルオの様子をうかがうようになってしまう。
そんな私の様子を見て、時折組長は、
「赤ん坊は可愛いな。お前もここを出たらこんな子を抱いて、幸せに暮らせるんだ。そんな日が待ち遠しいんじゃないか?」
なんて聞いてくる。
力なんか使わなくても組長の腹は読めている。私もあと半年で卒業する。そうしたら堅気の世界に追いやって、どこかに嫁がせてしまおうという魂胆なんだろう。
組長は私をこの世界にいさせるつもりはないらしい。初めから私が大人になるまで、預かり育てるために私を引き取ったと言っているし、私を堅気にする事に腐心している。
何故なら私が、とっくにここから出て行かないと、決心しているからだ。
バイトだって、組長にしてみれば私を堅気の生活に慣らすための準備だと思ってやらせているらしいが、どっこい、そうはいかない。私にとってはシマと組との関係性を学ぶ大事な場所であり、必要な情報だけを上手く読めるようになるための、『力』の訓練場所でもあるのだ。
情報力の大切さは、良平の一件でも良く分かる。あの時、組が入念に麗愛会の事を調べあげていたからこそ、良平の無謀な交渉は成立させられたのだ。ただの無茶だけじゃ、ああはいかなかったはず。女の私が腕っ節を盾にするのは難しい。私は「口を割らせ」なくても情報を知ることができる能力があるのだから、これを生かさない手は無いだろう。
そんな私に堅気に嫁いで、円満な家庭生活を送らせようと組長は考えているのだ。ハルオが這いまわるようになり、私と女将さんが夢中になっていると、
「子供の成長は嬉しいものだ。お前も自分の子の時には、もっと嬉しい思いが出来るだろう」
と、わざとしみじみとした声を出す。
ふーん。女の子の母性本能に訴えようって訳? 甘い甘い。私の年じゃ、まだまだ母性よりも、自己主張の方が激しいんだから。ま、それだけ自分が子供だって、認めることにもなっちゃうけど。
「ホントね。赤ちゃんって可愛い。でも、こんな男だらけで子育てには役立たずの人しかいないところじゃ、女将さん一人でハルオを育てるのって大変だわ。ハルオが親元に帰るまで、とてもじゃないけど私、ここを離れられないわね」
と、組長の魂胆を逆手に取ってしまう。
こうして私と組長の攻防が幕を開けた。