【第9話】パラダイムシフトと、早口な魔道エンジニア
僕が見せた無詠唱の極小魔法。
それを見たクラウスは、まるで雷に打たれたかのようにその場に立ち尽くしていた。
「事前の変数定義……そして、脳内へのショートカットの配置……」
銀縁眼鏡の奥の瞳が、凄まじい速度で左右に動いている。彼の優秀な頭脳が、僕の提示した『マクロ機能』という現代ビジネスの概念を、ファンタジー世界の魔法体系へと猛烈な勢いで翻訳・最適化している証拠だった。
「つまり、魔力回路そのものに『よく使うパターンの実行式』を常駐させておくというアプローチか。ならば、第一階層の精霊認証プロセスはバックグラウンド処理に回し、第二階層の属性定義は定数としてシステムに直書きする。そうすれば、必要な入力は『対象の座標』と『出力のパーセンテージ』というたった二つの変数だけで済むじゃないか……っ」
ぶつぶつと呟くその早口は、前世のIT企業でよく見かけた、新しい技術に興奮して周囲が見えなくなっている天才肌のエンジニアそのものだった。
クラウスは地面にへたり込み、先ほど僕が描いたフローチャートの隣に、木の枝で何やら複雑な数式と魔法陣のハイブリッドのような図をガリガリと猛スピードで書き殴り始めた。
「素晴らしい、論理的だ。これなら詠唱というボトルネックを完全に排除できる。なぜ今まで誰もこの構造の冗長性に気づかなかったんだ。過去の権威に盲従し、教本通りに入力することしか考えていなかったからか」
クラウスのテンションは限界を突破していた。
普段の気難しくひねくれた没落貴族の面影は消え失せ、純粋な知識欲と技術的探究心に満ちた『饒舌なオタク』へと変貌を遂げている。
その熱狂的な空間から少し離れた訓練場の端で、一人の男が呆然とほうきを握りしめていた。
彼の名前はトム。第七小隊で清掃係として働く、中年の一般職員だ。
騎士でも魔法使いでもないトムは、至極真っ当で平穏な人生を歩んできた小市民である。彼のささやかな願いは、今日も与えられた清掃業務を定時で終わらせ、愛する妻が待つ家に帰って温かいシチューを食べること。ただそれだけだった。
軍の掃き溜めと呼ばれるこの部署にあって、一切の野心を持たず、背景と同化して生きる傍観者。それがトムという男の生存戦略である。
(……なんだか、クラウスの坊ちゃんが物凄い早口で地面に絵を描いているな。まあ、俺には関係のないことだ。早くこの落ち葉を集めてしまおう)
ごくまれに部隊の揉め事に巻き込まれることもあるが、基本的には息を潜めてやり過ごす。トムは深く関わらないことを選び、黙々とほうきを動かした。
しかし、今日のトムは運が悪かった。
彼のすぐそばで、歴史的な技術革新が起きようとしていたのだから。
「アレンと言ったね。君の提示した『マクロ構築』のロジック、僕の魔力回路で完全に組み上がった」
クラウスがバッと立ち上がった。その顔は異常なほどの高揚感に包まれている。
「論理の正しさは、実行結果で証明する。見ていてくれ」
クラウスは訓練場の奥にある、最も分厚い鋼鉄製の的へと右手を向けた。
一切の詠唱はない。かつて彼が三分以上かけていた呪文の詠唱は、すでに彼の脳内に構築された『マクロ』によって一瞬で処理されている。
「――実行」
クラウスが短くコマンドを発した瞬間。
彼の掌から、空気を焼き焦がすような凄まじい轟音と共に、極限まで圧縮された白銀の熱線が放たれた。
熱線は一切のブレもなく直線を描き、鋼鉄の的の中心を貫いた。
爆発すらなかった。ただ、圧倒的な熱量と指向性を持ったエネルギーが、鋼鉄をドロドロに融解させ、背後の防壁にまで深い大穴を穿ったのだ。
「おおおぉぉっ! なんだこの出力は! 魔力の減衰率がほぼゼロだ。これが最適化……これが無駄を省いた究極の魔法体系か!」
クラウスは両手を天に掲げ、歓喜の声を上げた。
一方、その強烈な魔法の余波は、訓練場に凄まじい突風を巻き起こしていた。
「うわぁぁっ!?」
傍観者を決め込んでいた清掃係のトムは、熱線の通過に伴う暴風に巻き込まれ、悲鳴を上げて尻餅をついた。
彼がこの二時間かけて丁寧に集めた落ち葉の山は、無情にも突風で訓練場中へバラバラに吹き飛ばされてしまった。
(俺の……俺の定時退社が……っ。妻のシチューがぁぁ……)
真っ当な人生を歩む一般人であるトムが、規格外の非常識に巻き込まれ、絶望の涙を流して崩れ落ちたことに気づく者は誰もいない。
「アレン……いや、アレン先生っ!」
クラウスは興奮冷めやらぬまま僕に駆け寄り、僕の両手をガシッと強く握りしめた。
「先生の言う通りでした。僕は今まで、レガシーシステムという名のゴミの山で無駄な労力を使っていたに過ぎない。先生のその『業務改善』の思考こそが、至高の魔法論理です」
目を輝かせるクラウスを見て、僕は小さく頷いた。
どうやら、第七小隊における最難関の不具合の修正は完了したらしい。
「理解が早くて助かります、クラウス先輩。あなたのその膨大な魔力と演算能力があれば、この部隊の生産性は飛躍的に向上するはずです」
「先輩だなんてやめてください。僕のことはクラウスとお呼びください、アレン先生。これからは先生の右腕として、いや、固定砲台として存分にこき使ってください」
(……ティノに続き、二人目の優秀な人材の獲得に成功したな)
こうして、かつて無能と蔑まれていた没落貴族の青年は、僕の『社畜的論理』に完全に心酔し、圧倒的な火力を誇る最強の魔法エンジニアとして生まれ変わったのである。




