第6話 レガシーシステムと、ひねくれ魔道士の詠唱
第七小隊の訓練場には、乾いた土埃が舞っていた。
剣を打ち合う金属音や、教官の怒号が飛び交う中、訓練場の隅だけが異質な静寂に包まれている。そこには、色白で神経質そうな白髪の青年が立ち、一人でぶつぶつと長い言葉を紡いでいた。
没落貴族の出身であり、第七小隊で唯一の魔法使いであるクラウスだ。
「……大いなる炎の精霊よ。赤き情熱と破壊の力をここに集結させ、我が魔力をもって形を成せ。虚空より出でて、目の前に立ち塞がる絶対の敵を打ち払う灼熱の矢となりて、今ここに飛翔せよ……」
彼の詠唱はすでに三分以上続いている。
銀縁の眼鏡の奥にある目は真剣そのものだが、彼の手のひらには未だに小さな火の粉すら発生していない。
周囲で訓練をしている先輩兵士たちは、そんなクラウスを遠巻きに見ながら冷ややかな笑みを浮かべていた。
「おい見ろよ、クラウスの奴、またあんな長い呪文を唱えてるぜ」
「本当に要領が悪い奴だ。あんなに突っ立ってブツブツ言ってたら、実戦じゃ詠唱が終わる前にゴブリンの棍棒で殴られて終わりだろうが。まったく、頭が固すぎるんだよ」
彼らの嘲笑が耳に入っているのかいないのか、クラウスは眉間にしわを寄せながら、さらに複雑な呪文を紡ぎ続けている。
その様子を少し離れた場所から観察していた僕は、前世のブラック企業で散々味わった『ある光景』を強烈に思い出していた。
それは、無駄に長く、誰にも解読できないほど複雑に絡み合ったプログラムコードだ。いわゆるスパゲッティコードと呼ばれる代物である。
クラウスが唱えている詠唱を注意深く聞いていると、魔法という不思議な現象も、突き詰めれば一つのシステム構築に過ぎないことが分かってくる。魔力というエネルギーをシステムに流し込み、呪文というコマンドを入力して、炎や氷といった結果を出力する。
そう仮定すると、クラウスのやり方はあまりにも非効率だった。
彼は一つの小さな炎の矢を出すためだけに、「精霊への挨拶」や「炎の定義」「飛んでいく軌道の細かい指定」まで、すべてをゼロから手入力している状態なのだ。
現代ビジネスにおいて、過去の非効率な遺産を引きずった古い仕組みを『レガシーシステム』と呼ぶ。クラウスが扱っている魔法体系は、まさにそれだった。
「ティノ、少し彼と話してくる」
「えっ、アレン、大丈夫? クラウス先輩って、魔法のことになるとすごく気難しくて、誰も近寄らないんだよ」
心配そうに裾を掴むティノに小さく手を挙げ、僕はクラウスの背中へと歩み寄った。
「……だから飛翔せよ、そして敵の鎧を貫き、その身を灰燼に帰すまで燃え盛れっ!」
クラウスが最後の言葉を叫ぶと同時に、彼の手のひらからようやく一本の炎の矢が放たれた。それは見事な軌道を描いて、訓練用の案山子に命中し、黒焦げにする。
威力は申し分ない。魔法の基礎的な出力や構築の精度は、むしろ極めて高い部類に入るはずだ。彼が第七小隊のような掃き溜めで無能扱いされているのは、ひとえにその『出力までのプロセスの長さ』が原因である。
「見事な威力ですね、クラウス先輩」
僕が声をかけると、クラウスはビクッと肩を揺らし、振り返って僕を睨みつけた。
「……なんだ、君は。新入りのアレンとか言ったか。僕の邪魔をしないでくれないか。どうせ君も、他の連中と同じように詠唱の長さを笑いに来たんだろう。没落貴族だからと見下したいなら、他所でやってくれ」
その態度はひねくれていて、全身から周囲に対する強烈な拒絶のオーラが放たれている。自分が正当に評価されていないという不満と、プライドの高さが入り混じった、厄介なエンジニアによく見られる傾向だ。
だが、僕はそんな彼の皮肉を完全にスルーして、核心だけを突いた。
「いいえ。笑いに来たわけではありません。ただ、先輩の構築式があまりにも『冗長』だと思っただけです」
「……冗長、だと?」
クラウスの目の色が、苛立ちから微かな驚きへと変わった。
「ええ。先ほどの詠唱、わざわざ炎の発生条件と軌道計算を同じ階層で処理していましたね。あれでは魔力の伝達にラグが生じるのは当然です。『変数の定義』と『実行コマンド』をごちゃ混ぜにして毎回読み込ませているようなものですから」
僕が前世のIT用語を交えて指摘すると、クラウスは眼鏡を指で押し上げ、食い入るように僕を見つめてきた。
「君……今、なんと言った? 発生条件と軌道計算の分離……? それは、古代魔法の教本には存在しない概念だが……」
「教本が古いんですよ。時代遅れのマニュアルに縛られているから、処理速度が落ちるんです」
僕は足元にあった木の枝を拾い上げ、地面にサラサラと簡単な図解を書き始めた。
それは、彼が先ほど唱えた詠唱を構造化し、無駄なプロセスを省いたフローチャートだ。
「複雑な処理は、一つにまとめるのではなく『モジュール化』して呼び出すのが効率的です。ちょっと、僕のやり方を見せますよ」
クラウスは疑心暗鬼の表情を浮かべながらも、地面に描かれた図解から目を離せなくなっていた。




