第1話―3 站椿する男
「ああ、すいません。大丈夫ですか?」と男子学生は姿勢を解いて、円に近寄り、手を差し出す。
円はその光景も一度見たことがあった。顔ははっきり覚えていないが、たぶん同じ人だ。あの時は急いでその場から逃げ出した円だったが、今度は自然とその手を取ることができた。彼は特段力を入れることもなく、やすやすと円を引き上げた。
呆然として立ち尽くす円の顔をしばらく見つめていた彼は、別に何もなさそうだと判断したのか、コクリと円にひとつ頷いてから、再び元の姿勢に戻った。足を肩幅程度に開き、軽く膝を曲げる。手は円を描くように胸の前に出している。そしてそのまま、動かなかった。
その奇妙な状況に混乱していた円は普段なら絶対しない行動を取った。その男子学生に話し掛けたのだ。彼がいま、ここで何をしているのか?尋ねずにはいられなかった。
「あのう⋯⋯それはいったい、何をされていらっしゃるんでしょうか?」おずおずとかすれた声を出す。
「站椿です」男子学生は円の方をちらりとも見ずにそう答えた。
「たん⋯⋯とう?」
「はい、中国拳法由来の鍛錬法です。お昼はだいたい毎日ここでやっています」
「毎日⋯⋯それをするとどうなるんでしょう?」
「立つことが分かるようになります」
「立つ⋯⋯こと?」
「はい、立つことはすべての基本です」
何を言っているのかまったく理解できなかった。けれど円は質問していくうちに慣れてきたのか、この男子学生にシンパシーを覚えていた。こんな場所で独り、わけのわからない練習みたいなことをやっているのだ。こいつもボッチに違いない。ならば自分と同類ではないか。恐るるに足らず。円の気持ちはムダに大きくなった。
「あの、お昼まだだから、ここで食べてもいい?」急に口調がフランクになる円。人付き合いの経験が致命的に欠如しているため、他人との距離感がうまくつかめない。
「どうぞ」そんなことなど意に介さず、男子学生は応える。
これに自信を持った円はすぐそばの椅子に腰を掛けると、おにぎりをもぐもぐやりだした。男子学生はまったく動じない。その站椿?の姿勢を保ったままうっすら目を開け、集中している。深い呼吸音だけが聞こえていた。
「それって結局なんのための練習なの?」円はおにぎりを頬張りながら尋ねる。ほぼ初対面の相手になかなか無礼な態度だが、もはや気にもとめていなかった。
「空手です」簡潔な答え。
円はその時、彼があの空手部らしき集団のパフォーマンスを見ていたことを思い出した。チッ、こいつ空手部か。ぜんぜんボッチじゃねえじゃねえか、と内心で舌打ちしながら、また弱気になって尋ねる。
「あのぅ⋯⋯空手部の方、ですか?」
「いえ、そのつもりだったんですが、私にはあのような曲芸みたいなマネはできない」言いながら、はじめて円を見た。「あれは空手ダンスです。私の求める空手とは違う」
なんだかよくわからない迫力を感じたが、円にはそんなことどうでもよかった。それよりもこのボッチ男との出会いに感謝していた。こいつは使える。このボッチを仲間にすれば心霊スポットに行けるではないか。
どうやら相当空手に打ち込んでいるようだし、ヤンキー、浮浪者、反社会的組織など物の数ではないだろう。いや、最後の奴らはいくらなんでも危ないと思われるが、興奮した円にはそんなのは些末なことだった。
「あのさ、心霊スポット探索って興味ある?」円は意を決してこう切り出した。




