第81話 精霊女王
サラは、動けなかった。
嵐は消えた。
だがそれは、終わりではない。
空間の奥で、風そのものが意思を持って脈打っている。
それは魔物ではない。
精霊王でもない。
闇堕ちした暴風神――風魔神テンペスト。
神話の時代、世界樹と並び立ち、
暗黒竜を止めるためにすべてを賭け、
そして闇に堕ちた存在。
(……勝てない)
サラは、はっきりと理解していた。
弓術レベル10。
精霊術レベル10。
魔法レベル10。
セージレベル10。
知識も、技も、経験も、すべて揃っている。
それでも――
何ひとつ、通用しない。
あの竜巻と稲妻。
本来なら二秒で死ぬ領域。
それを三十秒、生き延びられた理由は一つだけ。
大地の精霊王――ベヒモス。
彼が、命を削って盾になったからだ。
砕かれ、裂かれ、
最後には絶叫とともに消えた。
(……私の力じゃない)
サラは、弓を握る指を強く締めた。
守られただけ。
延命されただけ。
このままでは、次はない。
暴風神を倒す存在が、必要だ。
だが――
(精霊王ですら、届かない……)
そのとき。
サラの指で、指輪が淡く光った。
精霊王の指輪。
これまで、彼女が“精霊と対話するための媒介”だった器。
だが今、その光は違う。
内側から、呼びかけてくる。
「……精霊女王」
胸に、確かに落ちた言葉。
世界樹が示した、未解放の称号。
ステータス画面にだけ存在していた空白。
《精霊女王(未解放)》
(……これしか、ない)
サラは、静かに息を吸った。
怖くないと言えば嘘になる。
精霊との関係が、根本から変わる。
精霊女王とは、
精霊に命じる存在ではない。
精霊の選択と結果を、すべて引き受ける存在だ。
倒れれば、精霊もまた消える。
逃げれば、世界の理が歪む。
(……それでも)
サラは、一歩前に出た。
弓を下ろし、両手を胸に当てる。
「――解放」
言葉は短い。
だが、世界が応えた。
精霊王の指輪が、白く燃える。
炎でも破壊でもない。
承認の光。
次の瞬間。
風が、止んだ。
完全な静寂。
そして――
サラの背後に、気配が並び立つ。
一柱目。
大地の精霊王、ベヒモス。
砕かれ、消えたはずの巨体が、
今度は“完全な姿”で立っている。
守護ではない。
戦列だ。
二柱目。
炎の精霊王、イフリート。
破壊の象徴。
だが今、その炎は暴れない。
女王の背後で、静かに燃えている。
三柱目。
水の精霊王、クラーケン。
切断と拘束。
世界の流れそのものを司る存在。
そして――
四柱目。
サラは、息を呑んだ。
これまで見たことがない。
記録にも、伝承にもない。
眩い光。
輪郭が定まらず、
存在そのものが祝福のように揺れている。
光の精霊王――ルミナリア。
その声は、澄んでいて、はっきりしていた。
『恐れることはありません、サラ』
直接、彼女の意識に届く。
『あなたは、拒まれていない』
『精霊女王とは、支配者ではなく――』
『精霊が「並び立つ」と選んだ存在です』
サラは、視線を上げる。
「……それでも、暴風神には届かない」
ルミナリアは、静かに頷いた。
『ええ』
『精霊王では、足りません』
『なぜなら――』
光が、少しだけ強くなる。
『暴風神テンペストは、精霊王ではない』
『神話の時代に、精霊王たちを率いた存在』
『精霊神です』
サラの背筋が、冷たくなる。
「……だから、何も効かなかった」
『はい』
『ですが、あなたは気づいているはず』
『二秒で死ぬ領域で』
『三十秒、生き延びた』
『それは――』
ルミナリアの光が、サラの胸に触れる。
『あなたが、精霊女王として“選ばれ始めている”証です』
サラは、弓を構え直した。
その背後で、四体の精霊王が動く。
戦列が整う。
もはや、守りではない。
逃げでもない。
――神話に挑む配置。
暴風神テンペストは、まだそこにいる。
だが今度は違う。
サラは、精霊女王として告げる。
「精霊たち」
「……行くわよ」
嵐が、再び息を吹き返した。
だが今度は――
精霊側も、全力だった。
これは、精霊王の戦いではない。
精霊女王が、神話へ踏み込む瞬間だった。




