第七十一話 三国崩壊
千年前。
世界は十八の国に分かれ、
五百年以上、戦争という言葉を忘れていた。
だが、その平和は、
恐怖によって終わりを告げた。
竜人族の国が滅びた日から、
空は変わった。
雲が渦を巻き、
昼でも薄暗く、
夜には星が歪んで見えた。
最初に異変を察したのは、
隣国の国境守備兵だった。
「……来る」
誰かが呟いた、その直後。
影が落ちた。
城壁よりも大きな影。
山を覆い隠す、黒。
暗黒竜だった。
第一の国は、準備が整っていた。
三国同盟の一角。
竜人族討伐に主導的だった国家。
魔法師団、重装歩兵、竜殺しの槍。
すべてが揃っていた。
王は叫んだ。
「恐れるな!
あれは獣だ!
数で押し潰せ!!」
だが――
その判断は、間違っていた。
暗黒竜は、降りなかった。
空中で、ただ一度、息を吸い――
吐いた。
黒い炎が、街を覆った。
城壁が溶け、
兵が燃え、
魔法陣が起動する前に消えた。
逃げ場はない。
火ではない。
存在を消す熱だった。
人は叫ぶ前に消え、
骨すら残らない。
暗黒竜は降下し、
王城の中央に着地した。
衝撃で、半径数百メートルが陥没する。
生き残っていた兵たちは、
そこに“踏み込んだ”。
踏み込んだのではない。
近づいてしまった。
前脚が振り下ろされる。
盾も鎧も意味を成さず、
兵は叩き潰され、
地面に塗り込まれた。
悲鳴は、すぐに途切れた。
暗黒竜は、王を探した。
逃げる王を見つけると、
尾で城ごと薙ぎ払った。
王は、叫びながら消えた。
第一の国は、
その日のうちに存在を失った。
第二の国は、逃げた。
同盟国が一日で消えたと知り、
王族は馬を走らせ、
民を置き去りにした。
街道は人で溢れ、
泣き声と怒号が混じる。
だが――
暗黒竜は、追いついた。
逃げる列の上空を旋回し、
影を落とす。
人々は気づいた。
自分たちは、
“獲物”だと。
暗黒竜は、
ゆっくりと降下した。
牙で、
逃げ遅れた子供を咥え、
噛み砕く。
血が、雨のように降った。
母親が叫ぶ。
父親が剣を振るう。
意味はない。
暗黒竜は、
感情を持たない。
ただ、
壊すべき対象を壊しているだけだ。
逃げる人々を、
翼で薙ぎ払い、
踏み潰し、
焼いた。
川に飛び込んだ者もいた。
だが水は沸騰し、
人は浮かび上がってこなかった。
王族は、最後まで逃げ続けた。
だが――
暗黒竜は見逃さない。
城門前で追いつき、
王族ごと、城を踏み潰した。
第二の国は、
地図から消えた。
第三の国は、祈った。
同盟の中で、
最も信仰心が厚い国。
神殿に籠り、
司祭たちは血を流し、
奇跡を乞うた。
だが――
神は、応えなかった。
暗黒竜は、神殿を見下ろし、
一瞬だけ動きを止めた。
まるで、
祈りを聞いているかのように。
次の瞬間。
神殿ごと、
地面が割れた。
地下から噴き上がる黒い炎が、
司祭たちを飲み込む。
祈りは、叫びに変わり、
叫びは、沈黙に変わった。
最後に残った大司祭が、
膝をつき、呟く。
「……なぜ……」
暗黒竜は答えない。
答える必要が、ない。
尾が振られ、
大司祭は消えた。
第三の国も、
その日、終わった。
三国が滅びた。
だが――
暗黒竜は、止まらなかった。
空を飛びながら、
大地を見下ろす。
国は壊れ、
人は死に、
文明は消えた。
それでも――
世界は、続いている。
森は芽吹き、
川は流れ、
精霊は巡る。
暗黒竜の中で、
怒りが、形を変えた。
国を壊しても、
命を奪っても、
世界そのものは、壊れない。
ならば――
壊すべきは、
もっと深い場所だ。
暗黒竜の視線が、
遠くの空へ向く。
雲を突き抜け、
世界の中心に立つもの。
すべての命の循環点。
世界を「続けてしまう」存在。
――世界樹。
暗黒竜は、翼を広げた。
怒りは、まだ終わっていない。
破壊は、まだ足りない。
次に壊すべきものは、
もう、決まっていた。
暗黒竜は、
世界樹へ向かって飛び立った。




