第六十九話 厄災を超える者達
九十一層に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
これまでの迷宮特有の閉塞感はなく、代わりに広がっていたのは、崩れかけた街の残骸だった。倒れた塔、裂けた地面、瓦礫に埋もれた通り。まるで、ここ自体が「滅びた都市の記録」であるかのようだった。
「……通常個体で、これ」
サラが弓を構えたまま呟く。
視線の先、瓦礫を踏み砕きながら姿を現したのは、三つの頭を持つ獣だった。獅子の胴、竜の翼、蛇の尾。災爪獣。
動いた瞬間、衝撃波が走る。建物の残骸が吹き飛び、地面が抉れる。
だが――
「行く」
ユウトの声は、驚くほど静かだった。
精霊王の剣が抜かれる。炎、水、大地が同時に揺らぎ、剣身に絡みつく。
一歩。
次の瞬間、キマイラの胴が、上下に分かれていた。
爪も、翼も、悲鳴すら上げる暇はなかった。
「……討伐完了」
サラは一息吐き、次の矢を番える。
九十二層。
九十三層。
城壁ほどの大きさを誇る崩城魔像が現れた時も、状況は変わらなかった。
通常なら、都市防衛軍が全滅してなお止められない存在。だがユウトは、剣を地面に突き立てる。
大地が唸り、内部核が露出した。
一撃。
魔像は崩れ落ち、粉塵となる。
「……本当に、街が壊れるレベルなのよね、こいつら」
「うん」
ユウトは剣を振り、付着した砂を払う。
「でも、もう届かない」
それは慢心ではなかった。
“事実の確認”だった。
百層を越えた頃、空が暗転した。
黒疫竜が上空を旋回し、瘴気を撒き散らす。街があれば、住民は逃げる間もなく倒れていたはずだ。
サラは、即座に風を読む。
「左翼、薄い!」
「了解」
イルクの風が道を開き、サラの矢が翼を貫く。
落下。
地面に叩きつけられる前に、精霊王の剣が首を断った。
百十層。
地面が揺れ、巨大な口が開く。奈落蟲王。
都市一つを丸ごと沈める存在。
だが、クラーケンの水圧が地中から引きずり出し、ベヒモスの力で核が砕かれる。
戦闘時間、数十秒。
百十九層。
最後に現れたのは、終焉獣。
姿は曖昧で、動いた軌跡だけが崩壊として残る。
「速い」
サラが言う。
「でも――見えてる」
精霊王支配域が展開される。
空間が“こちら側”になる。
次の瞬間、ユウトが踏み込み、剣を振るった。
不可視の獣が、音もなく崩れ落ちた。
静寂。
瓦礫の街に、風だけが吹く。
サラは弓を下ろし、少しだけ肩の力を抜いた。
「……九十一層から百十九層まで、全部」
「街が滅ぶレベル、だったはずなのに」
「余裕だったな」
ユウトは剣を納める。
九十一層から百十九層まで。
本来なら、
熟練の冒険者団でも数か月から一年を要する階層帯。
街を一つ滅ぼす規模の災厄級モンスターが、
“通常個体”として徘徊する、狂った深度。
だが――
ユウトとサラは、
十日で踏破していた。
精霊王の剣は、もう暴れない。
力は完全に、彼のものになっていた。
だが――
彼は、足を止める。
前方。
迷宮の奥が、これまでとは違う“深さ”を持っていた。
「……ここから先は」
サラも察する。
「余裕じゃ、終わらない」
街を壊す災厄を越えた先。
待っているのは――
世界そのものを試す存在。
二人は、自然と並んで立った。
前線と後方。
剣と弓。
役割は変わらない。
だが、ここからは。
「本番、だな」
ユウトの言葉に、サラは静かに頷いた。
百二十層へ続く扉が、重く、開き始めていた。




