第六十ニ話 MP0の恐ろしさ
視線の先。
サラが、倒れている。
「……サラ」
駆け寄り、抱き起こした瞬間、はっきりと分かった。
冷たい。
高熱ではない。
逆だ。
命の熱そのものが、抜け落ちていく途中の冷たさ。
「……っ」
呼吸は、かろうじてある。
だが、精霊の気配が――ほとんど、感じられない。
ユウトは、震える指でステータスを開いた。
MP:0
最悪の表示。
(……思い出せ)
この世界での“MP0”。
それは単なる枯渇じゃない。
精霊との接続が断たれ、世界から切り離される一歩手前。
生死判定が発生する禁断領域。
運が悪ければ、1ゾロで――死。
サラは、そこまで踏み込んだ。
暴風テンペストで水の守りを裂き、
デス・フレアで核を露出させ、
最後は、力尽きた。
「……守ってくれたんだな……」
喉が、ひりつく。
ユウトは歯を食いしばり、精霊王の剣を地面に突き立てた。
剣が、静かに脈動する。
イフリートとクラーケン――
二柱の精霊王が、沈黙の中で見ている。
(……頼む)
精霊に“願う”のではない。
これは、技だ。
精霊術。
ユウトは、自分の中に積み上がってきた感覚を掴む。
三十一層から五十九層まで。
数え切れない戦闘。
精霊の流れを見続け、使い続けた半年。
理解が、形になる。
「――精霊術・マナトランスファー」
自分の魔力を、他者へ。
精霊を媒介に、生命維持に必要な最低限のマナだけを流し込む高等技術。
ユウトの体から、確かな“量”が抜けていく。
胸が、少し苦しい。
だが、次の瞬間。
サラの身体に、かすかな温度が戻った。
精霊の気配が、微弱だが――確かに、繋がり直される。
同時に、視界の端に文字が浮かんだ。
――経験値を獲得しました――
31層〜59層攻略:
1000 × 29 = 29000
60層・水の精霊王クラーケン討伐:
9999
――合計経験値:38999――
数字が、ユウトの中に沈み込む。
それは戦果ではない。
“生き残り続けた重み”そのものだった。
次の瞬間、感覚が変わる。
精霊の声が、はっきりと届く。
――精霊術レベルが上昇しました――
精霊術:Lv7
世界が、少しだけ近くなる。
風、水、土。
それぞれが、以前よりも“対等な距離”で存在している。
だが――サラは、まだ戻らない。
ユウトは迷わず、指輪を外した。
回復の指輪。
命を繋ぐためだけに存在するアーティファクト。
サラの指に、そっと嵌める。
指輪が淡く光り、精霊の循環が強制的に安定する。
冷たかった身体が、ゆっくりと温もりを取り戻していく。
数秒後。
サラの指が、わずかに動いた。
「……ユ……ト……?」
掠れた声。
ユウトは、その声を聞いた瞬間、膝から力が抜けそうになった。
「……ああ」
短く、そう答える。
言葉はいらなかった。
生きている。
それだけで、十分だった。
精霊王の剣が、静かに光る。
精霊王の剣
――イフリート&クラーケン解放。
破壊だけの力ではない。
理解し、繋ぎ、選び取った力。
空間の奥で、音もなく何かが形を取る気配がした。
宝箱。
第六十層は、ただの勝利では終わらない。
命を賭け、
命を繋ぎ、
それでも進むと決めた者だけが、次へ進める。
ユウトは、サラを支えながら立ち上がった。
まだ先はある。
だが今は――
二人とも、生きている。
それが、この階層の“答え”だった。




