2/3 魔獣との戦い
全三部のうちの二話目です。
よろしくお願いします。
僕は即座にミリカの前に立った。
魔獣に気づかれないよう僅かに振り返り、硬直して動けなくなっているミリカの右足をグッと押して逃げるよう促す。
その後は、魔獣に対して全力で吠えて注意を引きつけながら、前をすり抜けるようにミリカとは別方向へ向かって走った。——僕にできるのは、それだけだった。
ひた走った。倒木を飛び越え、木々の隙間をかいくぐり、ぬかるんだ地面を蹴って進んだ。
魔獣の足音がすぐ後ろに迫っている。走るだけでは振り切れないと直感し、自分の記憶を総動員してあたりの地形を思い描いた。
(確か、この先に崖があったはず……)
目印となる倒木を見つけ、魔獣とつかず離れずの速さで駆けて誘導する。崖ぎりぎりのところで全力で木の根にしがみつき、その場で転んだように見せかける。意識を魔獣と崖に取られてすぎていたため、僕の首元に木の根元から突き出た石が掠った。
「バチッ」と歪な音がして首輪が弾け飛ぶような感触があったが、命を懸けている最中に気を回す余裕がない。首筋がひやりとしただけで傷は負わずに済んだようだと認識することで精いっぱいだった。
直後「ガシュッ!」とこちらに向かって全力で踏み込む音が聞こえ、魔獣は追いかけてきた勢いのまま、僕の耳をかすめるように崖の下へ飛び込んでいった。
(やった!これで……)
全力でしがみついていたため、硬直して動かない前脚をもどかしく感じながらも、僕は心の中で少し安堵した。
「——ドゴォ……」
崖から滑落した魔獣はその勢いを殆ど減じることができず、地響きを立てて背面から地面に激突した。衝撃で地表が揺れ、周囲に舞い上がる土煙が森の空気を濁した。
僕は崖の上から見下ろし、静かに息を整えた。だが安心はできなかった。
魔獣は、各所から青緑色の体液を滲ませてはいるもののまだ蠢いていた。
(やっぱり……いくら崖から落ちたとはいえ、硬い殻の方から落ちたのではダメージが足らないか。でもあれだけ体液を流しているんだ、内部へのダメージはかなりあるはず。)
よく観察すると、魔獣の背は見るからに硬そうな殻に守られているが、一部が欠けており魔獣自身に破片が突き刺さった痕がある。そこからは他の箇所よりやや濃い体液が流れているようだ。
頭部や胴体にも傷を負ってはいるものの、こちらを威嚇するように首をひねり、睨みつけて向かってくる気配すらある。
(どうする……次は、どうする?)
こんな硬そうな相手には人間の持つような強力な武器が必要だろう。しかし僕には爪と牙しかない上に、仔犬の身体では体力的にそのうち限界がきそうだ。
このまま逃げたとしても敵に回復の時間を与えるに過ぎないだろうし、背後から襲われたとしたら最悪だ。僕が逃げ切れたとしてもミリカが狙われる可能性がある。
相手が一番弱っている今この時に、一か八か知恵でなんとかするしかない。
僕は残った気力を振り絞り、崖を迂回するために体力を温存しながら森を駆けた。
あの魔獣の動きには「癖」があった。後ろ足で跳ねるときに大きく体をのけぞらせるが、その時に見せる殻と胴体の隙間には被毛がほとんど見あたらず、さっき崖の上ですり抜けた時に心臓らしき脈動を感じた気がした。
あくまで一瞬だったし直感に頼るところも大きいけど、あそこ一点を集中して貫くことができれば致命傷を与えることができるかもしれない。
この幼い身体になっても“思考”と“記憶”は前世から引き継がれている。そして犬であるからこその聴覚、それが僕にとって最大の武器だ。そして若さゆえか、息を整えるうちに、わずかながらにも体力が回復してきた。
徐々に魔獣が崖を這い上がってきた。殻を引きずり、粘液を撒き散らしながらこちらへ一直線に向かってくる。
僕は挑発するように吠えた。
「ワオォゥ!」
それは明確な意思表示。——『こっちに来てみろ』という宣戦布告だった。
魔獣の瞳が、鋭く僕を捉える。初めて真正面から見据えることになったが、右目はエメラルドのような紺碧、左目は燃えるような灼眼で恐怖を駆り立てられる。ぎゅっと後ろ脚に力を込めた次の瞬間、魔獣は 爆発的な勢いで飛びかかってきた!
(今だ!)
僕は一気に地面を蹴り、相手の直線的な飛び込みに対して斜め右横へ飛び退いた。着地の瞬間、反動を使って側面へ回り込み、殻と胴体が接合している僅かな隙間をめがけて全力で牙を突き立てようとした。
ズザッ……、しかし疲労のためか踏ん張り切れずに脚が横滑りする。
≪こんな所で!≫
それでも何とか踏ん張り直し、全身の力を顎に集中させる気持ちで何とか喰らい付く。が、咬みつく力が足らないのか心臓までは牙が通らない。
「オオォォ!」
魔獣は草むらに足を取られ、本能的に足へと力を集中したことで、胴体の筋力が一瞬弛緩する。その時、殻と胴体の接合部がより露わになり、崖からの落下によるものだろう深い痕が見えた。
僕は必死に今の位置から牙を抜き、その傷痕めがけて全力で突き立てた。
「ガァァッ!」
グシャッ、という生々しい音とともに魔獣の心臓部に牙が食い込み体液が飛び散った。さらに斜めに牙をねじ込むと、脈動する部分が露わになり、そこから青緑色の液体が激しく吹き出す。
魔獣は一瞬ビクッと仰け反った後、ぐらりと横向きに崩れ落ちた。
まだ魔獣に牙を突き立てたまま、というか力を込めすぎて余裕がなかった僕は、魔獣が倒れる反対側にいたおかげで、敷きつぶされずに助かった。
……静寂。
立ち込める臭気と空気を切り裂くような緊張感はまだ消えていなかった。しかし、獣はそれ以上動かなかった。
(倒した……のか?)
肩で息をしながらも、僕は魔獣の体から目を離すことができなかった。何かが動けば、すぐにでも飛びかかるつもりだったが……やがて、その体から出る気配は完全になくなった。
「っ……ふぅ」
息を吐いた瞬間、全身の力が抜けてその場にへたり込んだ。心身とも疲労が激しく、体が震えて立ち上がることすらできない。けれど、それ以上に……
(勝った……僕は、この小さな身体でもなんとか戦えた)
それが僕にとって初めての「自己証明」だった……。
——僕は飼い犬として幼少から育てられ、老衰で命を落とした。
その最期の瞬間、主の声も、顔も、匂いも……忘れることはない。長い年月を人とともに生活する中で、ある程度の人としての知識と振る舞いを覚えた。
夢の中では主とともに人の姿で自由に二本の足で駆け回る望みも叶ったが、現実では体も弱り、四つの足で立つことさえも難しくなって——。
——いつの間にか横になって眠ってしまっていたようだ。あれから半時ほど経っただろうか、まだ節々がだいぶ痛む。
なんとか座り直して、魔獣がそのまま倒れていることを再確認し、今度は自分の体に大きな怪我が無いか確認していると、首回りがやけに軽いことに気がついた。
(……あれ?)
首にかけていたはずの小さな革の首輪。前世で主と一緒に過ごしていた頃、いつも身につけていたもの。転生したときも、なぜかこの首輪だけは残っていたのに——
(……あのとき、弾けた衝撃で崖の上から飛ばされたのか?)
記憶の中の、主の笑顔が急に遠くなった気がして胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
(後で探さないと……絶対に見つけなきゃ。)
僕は徐に立ち上がり、倒れた魔獣の横を通り過ぎようとした。が、魔獣の心臓のあった位置からキィンと高音が響いていることに気づいた。
完全に倒した魔獣から音がすることに違和感を感じ、悪臭で鼻に皺を寄せながらも近づいてよく確認すると碧白く光る石を見つけた。
不思議な力を感じる石に、何とかして持っていきたいと思った。
しかし咥えて持ち歩くわけにもいかないので暫く悩んでいると、「バシュッ!」と石が一瞬強く瞬いて眩く紺碧の光が僕の胸元へ弾けるように飛び込み、その輝きは吸い込まれるように消えていった。
「カラン……」石からは音も光も消え、ただの黒っぽい石ころとなって転がっていった。
それはとても不思議な現象だったが体に悪い影響はないようで、逆に疲れが少しとれた……ような気がした。
(ふぅ……びっくりしたけど何も起きなくてよかった。)
再び立ち上がり辺りを見回すと、既に森の空は薄暗く、夕闇の気配が徐々に近づいていた。
何回確認しても出てくる誤字脱字……(´Д`)
見つけたらご指摘お願いします。




