その「重力調整装置」は、ただの遅刻の言い訳では終わらない
午前8時45分。山田耕平(28歳・経理課)は、心臓を鷲掴みにされたような焦燥感とともに飛び起きた。出社時刻は午前9時。家から会社まで、混んでなければ徒歩15分。絶望的な数字だ。
「ちくしょう、まただ…」
彼は乱雑に服を着替えながら、スマホのアプリフォルダにある、金色のアイコンをタップした。「言い訳ガチャ」。山田にとって、それは朝の遅刻という名の地獄から彼を救い出してくれる、ささやかな救済措置だった。
アプリを開くと、画面中央には巨大なレバー。いつものように指を滑らせ、ガチャを回す。
ジャキン! キュイイイイイン…
いつもなら「突然の腹痛」「隣の家の火事騒ぎ」といった、そこそこ信憑性のある【R】が出るところだが、今日の演出は違った。画面が赤く点滅し、重低音が響き渡る。
「…なんだ? アップデートしたのか?」
【UR出現!】という文字が爆発的に表示され、出てきた言い訳は、山田の予想を遥かに超えていた。
本日のお詫び:遅刻理由
「昨夜、突如として自宅内に重力調整装置が出現し、その緊急メンテナンスに追われていたため、やむを得ず遅刻いたしました。」
—言訳ガチャ Ver.3.0.1—
山田は思わず「は?」と声に出した。重力調整装置? 経理課の俺が?
「いや、無理だろ。SFすぎる。こんなの信じるわけ…」
時計は8時55分。もう選り好みしている時間はない。彼は深呼吸をし、このデタラメな言い訳を定型文として上司に送信した。
山田が息を切らして経理課のドアを開けたのは、きっかり9時15分だった。
「す、すみません! 遅れました!」
フロアはシンと静まりかえっている。上司である田中課長(50歳・既婚)が、仏頂面で腕を組み、山田のデスクの前に立っていた。課長の隣には、唯一山田の遅刻に笑顔を向けてくれる、後輩の女子社員・佐藤美咲(24歳)が、なぜか目を輝かせながら立っていた。
田中課長が、手元のスマホを山田に突きつける。画面には、先ほど山田が送信したメールが表示されている。
「山田くん。君、このメールは一体どういうことだね?」
課長の声は低い。山田は胃がキリキリするのを感じながら、精一杯、大真面目な顔を作った。
「そ、その…メールに記載した通りでして。昨夜、自室の真ん中に、突如として銀色の多面体が出現しまして。それが発する特殊な重力波で、私は一晩中…」
「やめろ、山田!」課長が怒鳴った。「もういい! 『腹痛で』とか『電車が急停車を繰り返した』でいいんだ! なんだ、重力調整装置って! 映画の見過ぎだろ!」
すると、それまで黙っていた佐藤が、課長の袖をそっと引いた。
「あの、課長…」
「なんだね、佐藤さん?」
「山田先輩の遅刻って、いつも信じられないくらい壮大ですけど…なんとなく、筋が通ってません?」
課長はポカンとし、山田は心の中で「おい、やめろ!」と叫んだ。
「一昨日なんて、『地球の磁場が乱れてスマホのアラームが鳴らなかった』って言ってましたけど、あの日のニュース、たしかに太陽フレアの影響で通信に乱れがあったって…」
「そ、それはたまたまだ!」課長は顔を真っ赤にした。「いいかね、佐藤くん。これは会社だ。SF映画の舞台じゃない。山田、今月もう遅刻は許さんぞ!」
その日の業務中、山田は上司の鋭い視線に耐えながら、こっそりスマホのアプリをチェックした。
「言い訳ガチャ」。
アップデートによって、確かに機能が追加されている。その一つが、「現実変異レベル」というゲージ。今日の【UR】を引いた後、そのゲージが2%を指していた。
「現実変異…? なんだそりゃ」
そして、昼休憩のニュース速報が、山田を再び凍りつかせた。
『【速報】未確認の高周波重力波、都心で一時的に検出。原因不明』
テレビに映し出された図は、まさに彼の自宅を中心にして波紋が広がっているようなグラフだった。
山田は思わず隣の席の佐藤を見た。佐藤は、ニュース画面と山田の顔を交互に見比べ、小さく囁いた。
「…先輩。あの重力調整装置、本物だったんですか?」
「まさか…」
山田は即座に否定したが、自分の体から急に冷や汗が吹き出すのを感じていた。ただの遅刻の言い訳が、本当に現実を引っ掻き回し始めた。平凡な会社員・山田の日常は、この瞬間、完全にSFの渦に巻き込まれ始めたのだった。




