LOG.009 ─ 脱出の合言葉
LOG.009 ─ 脱出の合言葉
――午後試験、終盤。
一人を欠いたチームが、警報の鳴り響く仮想施設内を駆け抜ける。
その中に混じる、微かな違和感。そして、沈黙の中に潜む“嘘”。
◆
「……とにかく、先に進もう。湊のことは、後で考える」
天音の声が響き、冷たち3人は頷いた。
施設内にけたたましく鳴る警報。真っ赤に染まる照明。
一人――御影 湊を失ったチームは、残された4人で脱出ルートの確保に動き出していた。
「くっ……捕まるって、どういうことよ……」
さくらは悔しそうに奥歯を噛みながら、拳を握る。
だがその手が、無意識にジャケットのポケットを押さえていることに、天音だけが気づいていた。
◆
「こっちの通路……封鎖されてたはずじゃ?」
まつりが地図を睨みながらつぶやく。
「誰かが開けたのかも。時間がない、進もう」
冷がそう判断し、先を急ごうとするが――
「ちょっと待って」
天音が一歩踏み出すと、静かに言った。
「さくらさん、さっきからそのポケット、ずっと触ってない?」
さくらは小さく首を振り、視線をそらした。
冷はその様子を見て、少しだけ微笑むと優しく言った。
「……よし、じゃあ進もう」
さくらは小さくうなずくと、静かにその場を後にした。
その背中には、どこか張り詰めたものが漂っていた。
天音も静かに頷いた。まだ不安は残っていたが、今は前に進むしかなかった。
◆
施設内の空気は、次第に荒れていた。警報に合わせて足元が微かに振動する。
「待って、あの先……床のパターンが違う」
まつりが指差した先には、不自然な四角い区画。
「トラップかも。天音、回路の干渉頼める?」
「やってみる。ここの信号は……中継式。干渉まで十秒」
天音が小型端末を操作する間、冷は壁の影に入りバリケード代わりの金属板を持ち上げる。
「成功。今、通れる!」
「行くぞ!」
4人は息を合わせてトラップを回避し、隔離区域の前へと到達した。
まつりが計算したコード候補を冷に渡し、端末に打ち込もうとしたその時――
「あれ、もしかして……このコード?」
さくらがふと何かを思い出したように端末を操作し、扉が開いた。
「……午前の資料に書いてあったコードだよね?」
天音が確認するように言った。
「さすが、覚えてたんだね」
まつりが素直に感心したように呟いた。
「……進もう。ここで止まるのが一番まずい」
冷が静かに告げ、4人は再び走り出した。
◆
脱出地点へ到達し、試験終了の音声が無機質に流れる。
『第2段階試験、終了。脱出成功を確認――』
試験官がUSBの提出を促す。
「提出するのは、代表一名で構いません」
さくらがポケットからUSBを震えながら取り出す。
「……私が、持ってきたから……」
その手が震えているのを見て、冷がそっと言った。
「大丈夫。俺が渡すよ」
冷がUSBを受け取り、試験官へと差し出す。
「4人でのゴールですね?」
試験官が確認する。
「うん、4人での……ゴールだね」
さくらが頷いた、その瞬間――
「5人目、到着っと」
背後のゲートから、捕らえられていたはずの湊が現れた。
「えっ……!? 湊っ……!!」
さくらが振り返って目を見開く。
「まつりに解除を頼んだんだ。時間があればできるって言っていたから」
冷が静かに言う。
「うう……冷ぃ……!」
湊が駆け寄り、思わず抱きついた。
その場に、別の試験官が入ってくる。
試験官たちがひそひそと短く会話を交わすと、冷たちに告げた。
「午後の部はこれで終了です。他の受験者と同じく、控室でお待ちください」
◆
湊の視界には、暗い鉄格子の部屋が広がっていた。
彼はその片隅に膝を抱え、ぼそりと呟いた。
「……これでよかったのかな……」
指示された任務は、“仲間を閉じ込めること”。
それを実行すれば合格、拒否すれば失格。
「でも、みんなを閉じ込めたくなんてなかった……だったら、僕は……」
彼はゆっくりと立ち上がると、扉の端末を見つめて決意を固めた。
「冷なら、きっと……何か方法を考えるって、信じてる」
◆
控室へ向かう無機質な廊下。
さくらが、ふと立ち止まった。
「……ごめん……!」
突然の謝罪に、冷たちが振り返る。
「USBのデータ……偽装した。私、みんなを……裏切ったんだ」
沈黙。
冷は一歩進み、さくらの肩に手を置いた。
「大丈夫。策は打ってある。データがオリジナルに戻るように細工しておいたから」
「そんな……なんで……」
さくらは泣きながら、冷の胸に顔をうずめた。
「やらなきゃいけなかったの。あの隠し任務……成功すれば合格、拒否すれば失格……」
「……知ってたよ」
天音がそっと、さくらの頭を撫でた。
「行動は不自然だった。でも、表情が……全部語ってた」
「USBの渡し方とか、ポケットに手をやるクセとか……全部ね」
まつりも優しく微笑んで言った。
「……僕も……」
湊がぽつりと呟く。
「僕にも“仲間を閉じ込める”って隠し任務があった。でも……それなら自分も一緒に閉じ込められるって決めたんだ」
「だから……わざとトラップにかかったんだ」
冷は頷き、まつりも続けた。
「それがなければ、解除は間に合わなかったかも。ありがとう」
湊は涙を拭いながら、再び冷のそばに寄り添った。
冷「……もう誰も失いたくないんだ。任務が成功しても、誰かが欠けたら意味がない。
この5人で──成功したかった。たとえ失敗しても……みんなが無事なら、また挑めるから」
天音とまつりは、ふと視線を交わした。
その頬が、ほんのわずかに紅く染まっていた。
そのまま彼らは、静かに控室のドアをくぐる。
中にはすでに何人もの受験者たちが待機していた。
ざわ……と空気がわずかに揺れ、数人がこちらを振り返る。
「……あいつら、5人そろってる」「え、うちのチーム、2人脱落してるのに……」
「全員生き残ってるチームなんてあるのかよ……」
ざわめく声が断片的に聞こえる中、冷たちは自然と壁際へと歩いていった。
「……あれが、チーム003?」
誰かの小さな囁きが聞こえた。
さくらは少し身を寄せて冷の隣に並ぶと、ぽつりと囁いた。
「……冷……その……ごめん、なんか……」
「さくら、胸当たってる」
「だって、怖かったんだもん……」
冷は苦笑しながら、さくらの頭をそっと撫でた。
「ほんとのこと言ってくれて、ありがとう」
「ひゃっ……! ご、ごめんっ……!!」
湊が「な、なんか仲良しだね……」と笑う横で、
天音とまつりがそれぞれ小さな声で、ふと呟いた。
「……やっぱり、気に入ったかも」
「……私も、少しだけ……」
微かに、絆の音が響いた。




