LOG.008 ─ チームに潜む影
LOG.008 ─ チームに潜む影
公安試験、午後の部。
受験者たちはそれぞれのチームごとに集合し、専用のバスで模擬訓練施設へと向かっていた。この時点では、誰がリーダーかは決まっていなかった。乗車しているのは、冷、さくら、湊、天音、まつり――チーム003の5人。
「なんか修学旅行みたいだね〜」と湊が窓の外を眺めながら呟く。
「緊張感ないな……」と冷が呆れ気味に言うと、
「でも、こういうのって非日常感あってワクワクしない?」とさくらが笑いながら返す。
「それ、ホラー映画の前半で言ってる人が一番最初にやられるセリフだよ」と天音が淡々と突っ込んだ。
湊が苦笑しながら「じゃあ僕が一番最初かぁ」と肩をすくめる。
まつりは黙って端末を操作していたが、ちらりと顔を上げ、湊の方を一瞬だけ見てから再び画面に視線を戻した。
「……ご、ごめん、なんか変なこと言ったかな」と湊が小さく呟く。
「大丈夫。誰も死なせない」
ぽつりとまつりが言ったその一言に、一瞬だけ空気が張り詰める。
「試験だ。何が起きても不思議じゃない。警戒は怠るな」 冷の一言に、全員がふっと表情を引き締めた。
「はぁ〜、でも冷くんと一緒だから心強いよ、ねっ♪」
「……軽く言うな。足を引っ張るなよ」
「ひど〜い!」
さくらの明るい声が、硬くなりかけた空気を少しだけ和らげた。
そしてバスが停車する。模擬施設の外観は、ただの廃ビルにしか見えない。しかし、その内部では数々の公安訓練が行われてきた実績がある。
建物は黒ずんだコンクリートの塊で、外壁にはひび割れが走り、かつての訓練の跡か、赤黒い染みが残されている。まるで人の気配のない廃墟のようで、足を踏み入れるだけで神経が研ぎ澄まされる空気があった。
5人は荷物を受け取り、無言の係員に案内されるままに中へと足を踏み入れた。
冷たく無機質な音声が、廃ビル型の模擬施設内に響いた。
「チーム003、作戦開始。制限時間は120分――任務は、施設内の機密データの奪取および脱出」
午前の筆記とは打って変わって、現場さながらの緊張感が走る。
才牙 冷は、胸元のインカムに手を添え、メンバーを見渡した。
「制限時間は短い。建物上層部――F階層奥のデータ端末がターゲットだ。フロアマップはこれだ」
冷が自然と指示を出す流れになり、その場の全員も彼の言葉に従った。
だがその内心では、わずかな戸惑いもあった。(……本当に俺でいいのか? 誰も異を唱えなかったけど……) 冷はわずかに視線を泳がせながらも、すぐに自らを律し、再び端末を操作する。
「エレベーターは使用不可。Cルートから上階へ、階段を経由して最短到達が可能。だが罠が多いのはDとE階層だ」
まつりが静かにうなずき、端末でルートをなぞる。
「C階層東端から上階へ。途中で遮断されたら、非常通路を経由」
「了解。まつり、ナビを頼む」
「……任せて」
「りょーかいっ!」と、能天気に答えたのは桜井さくら。
隣で御影湊がぽやっと笑いながら「ダンジョンみたいだね〜」と呟く。
「ゲームじゃないわ。気を引き締めて」 花菱 天音が冷ややかに釘を刺す。
――彼らは、ルートCを慎重に進んでいった。
進行中、湊はちらちらと仲間たちの背中を見やる。
まつりの無表情、天音の冷静さ、さくらの明るさ、そして冷の沈着さ。(……僕はこの中で、ほんとに役に立ててるのかな) ふと、自分の指先が震えているのに気づき、湊はぎゅっと拳を握り締めた。
最初の障害は、赤外線レーザーの網だった。
「照射パターンを解析する。30秒以内に通過して」 まつりが淡々と指示を出す。
天音が冷静に、「私が先に行く。動体視力には自信があるわ」と前に出て、見事な身のこなしで通過。
次いで全員が順番に突破する。さくらが「ちょっとスパイごっこみたいでワクワクするね♪」と口にし、湊が「こういうの、ゲームで練習したことある」と華麗なステップで切り抜け、意外な運動神経を見せる。
「意外とやるじゃん、湊くん」さくらが小声で笑いかける。
(……やるしかない、ここで止まるわけにはいかない) 湊はその言葉に小さく笑い返したが、その胸中には揺れる迷いの影があった。
続いて現れたのは、通信遮断フィールド。
「……インカム、ノイズが入ってる」
「指示が通らない。アイコンタクトで動くしかないな」
チームは、無言のまま手信号と目線だけで連携を取り、わずかに開いた安全ルートを交互に進んでいく。
一歩間違えば孤立する中、5人は見事な連携を見せた。
そして第三の障害――暗号化された扉が現れる。
「暗号……ランダムじゃない。偏りがある……」まつりの指先が端末を叩く。
「5文字目の『Q』、そこが鍵ね」天音がすぐさま補足。
だが、最後の入力が誤ってロックがかかりかけた瞬間、
「え、これって……順列じゃなくて、循環アルゴリズムじゃない?」とさくらが口を挟む。
「……正解」まつりが短く返し、修正。
「開いた」
小さく表示が切り替わり、扉がゆっくりと開いていく。
まつりと天音が静かにうなずき合った。
――そして、最奥の部屋。
端末前に立った冷は、まず中身のチェックを行った。
「……これが機密データか」
しばし黙考したのち、冷は後ろを振り返る。
「――コピーはどうする?」
その問いに、さくらが一歩前に出た。
「私がやる。USBは預かってるから」
そう言って、試験官から事前に渡されていたUSBを取り出し、端末に接続する。
淡々とした手付きでコピー作業が始まる。 冷はその様子を見守っていた。
進行状況のバーが半分を超えたあたりで、さくらが一言漏らす。
「これで……本当に、いいんだよね……?」
「……ああ」
その一連のやり取りを見つめていた天音とまつりが、ふと視線を交わす。
何も言わなかったが、その目に宿る微かな違和感が、静かに共有された。
――何かが、違う。
しかし、その感情に名前を与える前に、作業は終わりを迎える。
コピーが完了し、さくらがUSBを取り出す。
4人が部屋を後にしようとしたとき――
「……あれ? 湊くんが、いない?」さくらが振り返る。
そのときだった。
ピィィイイイイイイーーーーッ!!
けたたましい警報音が廊下に響き渡る。
冷「なんだ!?」
その瞬間、ゲートが動き出し、湊を残して扉が閉じはじめた。
冷が駆け寄る。「湊ッ!」
扉の向こうにいる湊は、苦笑いを浮かべていた。
「……やっぱり僕には、できないよ。……」
冷が制御パネルを操作しようとするが、すでにロックされている。
「ダメだ……手動操作が無効化されてる!」
まつりが端末を走らせる。「緊急解除コード、試す……!……でも、間に合わない……!」
天音「このままだと、全員巻き込まれる!」
冷「くっ……!! 湊……!」
湊は、微笑みながら首を振った。
「大丈夫。……僕の役目は、ここまでだよ」
通信は、ぷつんと途切れた。
沈黙が落ちる中、天音が静かに前へ出る。
「――冷、ここは進んで。……湊も、それを望んでる」
冷は、わずかに拳を震わせながら――それでも、仲間の命を優先する決断を下す。
「……行こう」
その声は、感情を殺したように低かった。
4人は、湊を残して次のステージへと進む。
その背中に、湊の言葉が――届くことは、なかった。
道中、さくらがぽつりとつぶやく。
「……湊くん、大丈夫かな……ねえ、冷くん、ちょっと怖いよ。こんなの、おかしいよね……」
「大丈夫だ、俺がなんとかする。必ず。」
さくら、天音、まつりを含めた4人は出口へ向かって歩き出した。
冷は思った。「……この試験、単純な奪取と脱出だけじゃないかもしれない。全員、気を抜くな」
その先を深く追求することなく、一行は歩を進めた。




