LOG.007 ─ 混信のサイン
LOG.007 ─ 混信のサイン
冷たく無機質な音声が、教室に響いた。
「──午前試験、終了です。筆記用端末の電源を切り、所定の位置に置いてください」
静寂とざわめきが交錯するなか、空調の風音が微かに流れている。
席を立つ音が次々と重なり合う中で、俺──**才牙 冷**は、最後の設問を見つめたまま動けずにいた。
『あなたは本日、どのようにしてこの試験会場に到着しましたか?』
思わず口角が引きつる。今日という日を予見するかのような、異様な設問。
それも、最後に置かれていたことが、なおさら不気味だった。
(……混入された? 誰が、何の目的で?)
まるで何者かが、試験そのものを\"試している\"──そんな感覚が背筋を這った。
◆
昼休憩の案内と共に、受験者たちは廊下へと流れ出していく。
午前試験にギリギリで到着したせいで、俺はこの建物の構造をまだ把握しきれていなかった。
初めて廊下を歩きながら、公安管轄の警察学校内部を目の当たりにする。
無機質で無駄のない白とグレーの壁、無数の監視カメラ、冷たく静かな空気。
採光は控えめで、窓はほとんどない。建物全体に緊張感が張り詰めている。
ただ立っているだけで、ここが\"選別の場\"だと肌で理解できた。
「冷~、お疲れ~。お昼どうする? あ、でもさ、アナウンスで“受験者は指定食堂を利用すること”って言ってたよね。じゃあ行こっか」
湊──**御影 湊**が、柔らかい声で誘ってくる。
俺は軽く頷きながら、バッグに手を伸ばす。
中には、妹が早起きして作ってくれた弁当。──だが、指示が出ている以上、食堂に行くこと自体も試験の一環かもしれない。
構内カフェテリアには、受験者向けに限定されたランチセットが用意されていた。
メニューは大きく4種類。
- A:和定食(焼き魚と味噌汁)
- B:スパイシーカレー(特製ブレンド)
- C:スムージー&サンドセット(ライト志向)
- D:サラダ&プロテインバー(機能性重視)
「うーん、やっぱスムージーかな。午後も動きやすそうだし」
湊は迷いなくCを選び、トレイを手に席へと向かう。
俺も弁当を持ったまま、湊の向かいに腰を下ろした。
弁当の包みを開くと、ふわりと出汁の香りが広がる。
卵焼き、焼き鮭、ひじきの煮物、梅干し入りの白ごはん──丁寧に詰められた手作りの味。
「わぁ……手作り弁当?」
後ろから声がかかる。振り向くと、両手にトレイを持った桜井さくらが立っていた。
「ここ、座ってもいい?」
頷くと、彼女は嬉しそうに席に着いた。
さくらは俺の弁当を興味津々に覗き込み、微笑む。
「妹さん、料理上手なんだね。……ねぇ、ひじき、ひと口もらってもいい?」
「いいけど……味、濃いかも」
さくらは嬉しそうにひじきをつまみ、もぐもぐと味わった。
「……うん、おいしい! いいなぁ、兄妹でそういうの……ちょっと憧れる」
頬をほんのり染めながら、さくらは小声で続ける。
「……今度、私の手料理も、食べてくれる?」
「え?」
「前から、ちょっと思ってたんだ……冷くんに食べてもらいたいなって……」
恥ずかしそうに俯く彼女を見て、俺は言葉を失った。
──その瞬間、さくらのトレイがぐらりと傾いた。
「わっ……あ、危な──!」
咄嗟に手を伸ばした俺は、彼女のトレイを支える。──が、勢い余って、手が彼女の胸に──。
「……っ!? ご、ごめん!」
「い、いえっ! こ、こちらこそ!」
真っ赤になったさくらと目が合い、二人で慌てて視線を逸らした。
……妙な気まずさが漂う。だが、ほんの少し、互いの距離が縮まった気がした。
「……転ぶよりは、マシだな」
「うん……ありがとう」
◆
昼休みも終盤に差しかかる頃、構内のモニターにメッセージが表示された。
『午後試験のチーム編成を開始します。各自、自身の番号を確認してください』
食堂にどよめきが走る。
直後、試験官の無機質な声が響いた。
「チーム編成には、昼食時に選択されたメニューによる心理傾向データが用いられています」
A:和定食──安定志向・協調性重視
B:スパイシーカレー──挑戦志向・能動性重視
C:スムージー&サンドセット──自己管理・計画性重視
D:サラダ&プロテインバー──効率・機能性重視
モニターに映し出されたチーム一覧に、俺は目を凝らした。
──D-03──
そこには、見慣れた名前が並んでいた。
才牙 冷、桜井 さくら、御影 湊、花菱 天音、桔梗 まつり。
「お、冷と一緒だ。よかったぁ」
湊が穏やかに微笑む。
その隣で、さくらが胸を撫で下ろしながら明るく笑った。
「うんっ……ほんとによかった!」
「天音ちゃんとまつりさんも一緒なんだね!」
嬉しそうに声を弾ませるさくらに、俺は小声で尋ねた。
「二人、知り合いなのか?」
「ううん、大学は違うけど。天音ちゃんは頭がすごく回るし、まつりさんは分析が得意なんだ。すっごく頼りになるよ」
そこへ、天音とまつりが近づいてきた。
天音はさくらを見つめ、小さくつぶやく。
「……あの二人、付き合ってるの?」
「ち、違うよっ!」
さくらは慌てて否定し、耳まで真っ赤にする。
それを見て天音はふっと笑った。
「でも、なんとなく、しっくり来る気がしたわ」
周囲の女子たちも、ひそひそとささやき合う。
──さくらは聞こえないふりをしながら、ちらりと俺を見た。
何か言いかけたが、結局、何も言わなかった。
「午後は、よろしくお願いします」
天音が微笑み、まつりも一礼する。
「……こちらこそ」
俺は短く返し、湊もにこやかに手を振った。
自然とみんなが席に着き、チームとしての空気が静かに生まれた。
「さて──午後試験に向けて、軽く役割を確認しておこうか」
俺が提案すると、みんなが顔を上げた。
天音が真っ先に口を開く。
「私は状況把握を優先するわ。周囲の動きや変化を見て、リアルタイムで整理していく。あと、リスクが高いポイントは事前に共有しておきたい」
クールな声ながら、その表情には僅かな熱意が宿っていた。
まつりも続く。
「あ、あたし、分析系は任せてください! データとか通信系も、できる範囲なら……! あと、状況によっては即席でマッピングもできるかも!」
慣れないながらも必死に言葉をつなぐ様子が微笑ましい。
「ぼくはー……えへへ、動き回るの得意だから、連絡とか伝達係になるね~」
湊がマイペースに笑いながら付け加え、さらにぽつりとつぶやいた。
「みんなに差し入れとかできたらいいんだけどなぁ、残念~」
「わ、私も……足引っ張らないように、みんなにちゃんとついていくね!」
さくらが元気よく拳を握る。
「あと、意外と声は通るほうだから! 必要なら、応援係とか……っ」
その言葉に湊がぱちぱちと拍手をし、まつりも「すごい……!」と感心したように小声でつぶやく。
それを見て、俺は心の中で小さく笑った。
(バランスは悪くない──それぞれ、自分のできることを意識している)
(──この雰囲気を守りたい)
だが──午後の試験には、もうひとつ"別のルール"が潜んでいる。
(油断はできない。誰も──俺自身も)
◆
再び、試験官の声が響いた。
「午後の実技試験は、指定エリアにて実施されます。他者を適切にサポートすることも、評価対象です」
食堂に緊張が走った。
──その言葉には、何かそれ以上の意味が含まれている気がした。
(サポート……か)
仲間を信頼し、意図を理解し、支え合うこと。
ただの連携ではない、深い洞察力が試される。
歩きながら、ジャケットの内ポケットに手を伸ばす。
そこには、何も入っていなかった。
(……俺だけが、食券を選ばなかった)
この違いが、午後の試験にどう影響するのか──まだ、わからない。
だが確かに、何かが静かに動き出していた。
(少し、離れた場所から全体を見よう)
そんな直感が、俺の胸の奥に、静かに芽生えていた。




