LOG.013 ─ 入校と異常な初日
LOG.013 ─ 入校と異常な初日
## 出発
「行ってきます。」
冷は玄関で小さく呟き、扉を静かに閉めようとした──その時、後ろから楓の声が飛んできた。
「れいにいちゃん、緊急時や土日には帰ってくるんでしょ?」
振り返ると、楓が不満そうな顔でこちらを見ている。
「もちろん。全寮制だけど、緊急時や土日は帰れる。そんなに心配するなよ。」
冷が安心させるように言うと、楓はふくれっ面で「……わかった」と小さく呟いた。
だが、楓はそれでも足りないとばかりに、もじもじと近づいてくる。
「……しばらく会えないから、ぎゅーして。ちゅーも!」
「なっ……!」
冷はたじたじになりながらも、楓のあまりの寂しそうな顔に抗えず、そっと頭に手を置いた。
「……帰ったら、またな。」
楓は嬉しそうに目を細め、ぎゅっと冷に抱きついた。
笑顔の奥に隠された寂しさを感じながら、冷も優しく抱き返す。
これから八か月──全寮制の公安学校生活が始まる。
「行くか。」
スーツケースを引き、冷は家を後にした。
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## 公安学校到着
到着したのは、広大な敷地に堂々と建てられた近未来的な要塞のような施設だった。
高くそびえる石造りの門、その上には鋼鉄の校章が輝いている。
周囲は厳重なフェンスと監視カメラに囲まれ、入り口では武装した警備員が目を光らせていた。
「……思ったより、物々しいな。」
冷が小さく呟くと、近くから聞き慣れた声がした。
「冷ー!」
手を振って駆け寄ってきたのは御影湊だった。
その後ろには、桜井さくら、花菱天音、桔梗まつりも続いていた。
「やっと会えたー!」
「ちょっと、緊張してきたかも……」
「寮生活って、初めてだからドキドキするよね。」
それぞれが口々に話しながら、自然と輪ができる。
受付で制服、学生証、寮の鍵を受け取る。
制服はシンプルだが、無駄のないデザインで、細部に公安局のロゴがさりげなく織り込まれていた。
講堂までの道中、建物群を通り抜ける。
訓練棟、シミュレーションルーム、データセンター棟──すべてが最新鋭の設備で固められている。
「ここ、本当に学校かよ……」
冷が呆れ混じりに漏らすと、隣を歩く天音が苦笑した。
「国家の未来を守るための人材を育成する場所、だってさ。」
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## 入校式
講堂に集められた新入生たち。広々としたホールには、数百人単位の椅子が並べられている。
今年度の入学生はおよそ三百五十名。そのうち、実に八割以上が女性だった。
近年、サイバー犯罪対策を重視する公安局では、情報処理能力や対人交渉力に優れた女性の採用が急増しており、それが反映された形だという。
冷の周囲も、制服を着た女性たちが目立っていた。
「入校おめでとう、諸君。」
壇上に立つ校長が挨拶する。声には威厳と冷静さが滲んでいた。
「君たちは国家の未来を担う存在だ。ここでの八か月間、覚悟をもって鍛錬に励んでほしい。」
生徒たちは緊張した面持ちで耳を傾ける。
続いて、重々しい口調で告げられる事実──
「本年度の入学試験において、不正アクセスが確認された。」
ざわつく講堂。
「不正合格者が紛れ込んでいる可能性がある。従って、今後、適性検査を通じ、適正な人材を選抜する。」
その言葉に、場内はさらに張りつめた空気に包まれた。
冷もまた、無意識に背筋を伸ばしていた。
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## クラス分け
掲示板に張り出された名簿を探す冷。
「才牙冷……あった。」
ふと名簿全体に目を走らせると、AクラスからJクラスまで──全部で10クラス編成になっていることに気づいた。
各クラスおよそ35名、全体で350名という説明と合致する。
今年度は女性比率が高いため、どのクラスも女子が圧倒的に多い。
そして、冷が配属されたFクラスは──
(……男子、俺だけかよ。)
思わず二度見する。
同じクラスには──
「桜井さくら、花菱天音、桔梗まつり……」
女子ばかりが名を連ねていた。
周囲でも、ちらほらと初対面の挨拶が交わされ始めていた。
自然と冷たちも顔を見合わせ、笑い合う。
「同じクラス、心強いね!」
と、さくらがにっこり笑った。
ちなみに、御影湊は別のクラス──Eクラスに配属されていた。
彼とはまた違うタイミングで顔を合わせることになりそうだった。
(……妙な目立ち方しなきゃいいけどな。)
冷は内心でため息をつきながら、クラス表を眺め続けた。
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## 初日の授業──抜き打ちテスト
クラス分け後、それぞれのクラスごとに指定された教室へ移動する。
冷たちFクラスの前には、やや鋭い眼差しを持った若い女性教官が立っていた。
背は高く、引き締まった制服越しにもわかる豊満な胸元。端整な顔立ちに、わずかに柔らかな微笑みを浮かべる美人だった。
思わず、周囲の男子──いや、女子すらも視線を奪われるほどの存在感。
「本日から君たちは、Fクラスの一員だ。」
教官は涼やかな声で告げる。
「まずは簡単なオリエンテーションを──と言いたいところだが、事情が事情だ。」
教官は一呼吸置き、視線を全員に走らせた。
「──さっそくテストを受けてもらう。」
ざわつくクラスメートたち。
「安心しろ。これは正式な成績評価ではない。だが、適性を見極める重要な参考資料となる。」
テスト内容は三つ。
- 暗号解読:複雑なコードのパターンを読み解く。
- 心理適性テスト:虚偽を見抜く質疑応答。
- フィジカル簡易試験:瞬発力と判断力を測る反応テスト。
冷は静かに、しかし集中して次々と課題をこなしていった。
周囲では、緊張で手が震える者、焦ってミスを連発する者もいた。
このテストの真の目的──それは、不正合格者の絞り込みだった。
教官たちは新入生たちの様子を、鋭い視線で観察していた。
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## 入寮
授業を終えた後、冷たちは荷物を持って指定された寮棟へと向かった。
寮は、公安学校の敷地内でもひときわ目立つ巨大な建物だった。
白とグレーを基調とした無機質な外観に、鋭角的なデザインが施されている。
複数の棟が連結された複合型構造で、それぞれの棟が居住区、トレーニング区、生活支援区に分かれていた。
居住棟のエントランスはガラス張りで、天井まで吹き抜けになっており、無数のセキュリティカメラが静かに動いている。
ゲートには最新の顔認証システムが設置され、IDカードと生体認証が揃わないと中には入れない厳重さだった。
「……なんか、ホテルみたい。」
と、隣のさくらがぽつりと漏らす。
受付カウンターには自動チェックイン機器が並び、壁には電子掲示板が設置され、linkchatの連絡事項やスケジュールがリアルタイムで表示されていた。
共用ラウンジには仮想トレーニング用の端末、簡易データ解析シミュレーター、ミニライブラリーまで設置されている。
ただ生活するだけではなく、訓練や学習を日常的に行うための施設になっていた。
「このフロアでは、公安専用linkchatを使用すること。毎日報告義務がある。」
淡々と告げられるルールに、冷は小さく頷いた。
配属された部屋は個室だった。
内部はシンプルだが、機能性重視の設計が施されている。
シングルベッドと、デスク、収納スペースに加えて、専用端末が一台完備されていた。
この端末からは学校のネットワークや公安内部の演習システムにアクセスできるようになっている。
同じ階には湊もおり、軽く言葉を交わす。
「これから、よろしくな。」
「うん! 頑張ろうね、冷!」
湊は変わらず、屈託のない笑顔だった。
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## 校内オリエンテーション
荷物を置いた後、指定された時間に集められた新入生たちは、学校内を見学するオリエンテーションに参加することになった。
まず案内されたのは、トレーニング棟だった。
格闘訓練用の広大なアリーナ、バーチャル演習室、ドローン戦術訓練施設──最新鋭の設備がずらりと並び、そのどれもが公安局直轄の研究機関と連携して開発されたものだという。
説明中、バーチャル演習室の端末が突然誤作動し、警告音を鳴らし始めた。
生徒たちがざわつく中、冷は即座に教官のもとへ向かい、冷静に状況を報告する。
「端末異常を確認しました。対処をお願いします。」
その行動に、教官は小さく頷き、控えめにメモを取った。
「……才牙君、落ち着いているな。」
見学はその後も続き、情報センター棟へと移動する。
サイバー演習室では、模擬サイバー戦の映像がスクリーンに映し出され、生徒たちは釘付けになった。
リアルタイムで変動するデータ、応酬される仮想ウイルスと防壁。
「……どこも本格的すぎるな。」
圧倒される冷に、天音が小声で笑った。
「公安の中でも、エリート養成機関だもんね。」
見学の最後には、医療棟や福利厚生施設も案内された。
仮眠室、カフェテリア、リラクゼーションルームまで完備され、ここでの生活が長期戦を見据えたものであることを実感させられる。
休憩を兼ねたラウンジタイムでは、さくらがにこにこしながら冷に話しかけてきた。
「冷くん、さっきの対応、すごかったよ!」
「ほんとほんと。落ち着いてたよね。」
と、天音も続く。
「いや、別に……普通だろ。」
照れくさそうに目を逸らす冷。
そんな様子を、まつりがクスクスと笑っていた。
「以上で本日のオリエンテーションは終了だ。明日から本格的なカリキュラムが始まる。各自、体調管理に努めるように。」
教官の締めくくりの言葉とともに、解散となった。
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## 終わり
個室に戻り、ドアを閉める。
「はあ……」
思わずため息が漏れた。
スマホ代わりの端末でlinkchatを開くと、湊からメッセージが届いていた。
『マジでビビった。』
『もう適応してる冷ちゃんすごい。』
苦笑しながら窓の外を眺める。
公安学校の夜は静かで、空気はひんやりと澄んでいる。
訓練棟のライト、遠くを巡回するドローンの小さな点滅灯──
すべてが、これから始まる過酷な日々を暗示しているようだった。
ふと、窓の外にきらりと光る何かを見つける。
「……気のせいか?」
冷は小さく首を振ると、ベッドに腰を下ろした。
ふと脳裏に浮かぶ、家で見送ってくれた楓の笑顔。
スマホ端末を操作し、楓にlinkchatを送る。
『着いたよ。寮もきれいだし、元気にやってる。』
すぐに返事が返ってきた。
『よかった……でも、さみしいよ……』
画面に映る楓の短いメッセージに、冷は苦笑した。
『週末には帰るから。それまで我慢な。』
『うん……!がんばる!』
楓らしい絵文字付きの元気な返信に、冷は少しだけ心が和らいだ。
──必ず、無事にここを乗り越える。
心の中でそう誓い、静かに目を閉じた。




