LOG.148 断片の記憶
LOG.148 断片の記憶
### ◆ 校内の不安の拡大
秋の気配が漂い始めたキャンパスに、重苦しい空気が渦巻いていた。候補生たちは授業に出席しても上の空で、教官の声が黒板に反響しても、誰一人として集中していない。机の上のノートは白紙のまま、ペンを持つ手は震え、視線は窓の外ばかりを彷徨っている。
「また、消えたんじゃないか……」
「俺の班にも一人、いたような気がするけど……名前が……」
そんな囁きが机の間をすり抜けていく。空席が一つあるのに、誰もその名前を口にできない。その不自然さが候補生たちの恐怖を煽り、集団全体に不安の波紋を広げていた。囁きはやがてざわめきに変わり、背筋を伸ばそうとする者も肩をすくめて俯いてしまう。ペン先で机を小刻みに叩く音、誰かの荒い呼吸、そうした細かな音が妙に際立ち、教室を満たす重圧をさらに増幅させていた。
教官は「外部の不具合による一時的な現象だ」と冷たく言い放つが、信じる者はほとんどいない。むしろ、言葉を発するたびに疑念が増し、候補生たちの表情は硬くこわばっていく。冷もまた、その光景を見つめながら奥歯を噛みしめ、心の中で「これは不具合などではない」と繰り返し叫んでいた。
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### ◆ まつりの解析報告
夕刻。寮室に集まった四人の前で、まつりがGhost-Lを展開する。青白い光が宙に線を描き、端末にノイズ混じりのログが浮かび上がった。機械音がかすかに響き、緊張に満ちた部屋の空気がさらに重くなる。
「……見て。消去されたはずのログから断片を拾ったの」
画面には途切れ途切れの英字が揺らめいていた。『SAKURA』、『HELP』、そして『LIGHT』。光の波紋のように揺らぐ文字列の間に、フラッシュのように映像が差し込まれる。
一瞬、透き通った翅を広げた薄紅の蝶がホログラムに浮かび上がった。その姿は儚くも鮮烈で、まるで声にならない叫びを残そうとしているかのようだった。
「PetalWing……!」湊が息を呑む。
だが残像はすぐにノイズに呑まれ、掻き消される。画面は真っ黒になり、ただ機械音だけが残った。静寂の中、冷の瞳だけが強く燃えていた。拳を握りしめ、胸の奥で熱い痛みを噛み締めながら言葉を洩らす。
「やっぱり……まだ繋がっている」
彼の低い呟きに、まつりも真剣にうなずいた。瞳には決意の光が宿り、彼女の指先はまだ端末の表面を震えるように押さえていた。
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### ◆ 冷と天音の再衝突
「証拠を掴んだのはいい。でも救出を焦っても意味がないわ」
天音の声は鋭く、冷を真っ直ぐ射抜く。彼女の胸の内には不安と恐れが渦巻き、口に出す言葉よりも強くその瞳が揺れていた。
「まずは制度そのものを暴かなきゃ。根を絶たなければ、犠牲は終わらない」
「後でもいい。俺は、さくらを助ける」
冷の声は震えず、静かにだが強固に響いた。その目には迷いがなく、天音の視線を押し返すようだった。
天音は唇を噛みしめ、思わず声を荒げる。「冷!冷静になって!冷がそんなんだと助けられるものも助けられないよ!」目には涙がにじみ、頬を伝いそうになっていた。心配と苛立ちが入り混じり、声は震えていた。
「ごめん……けど、一刻も早くさくらを助けたい」
冷の言葉に、天音の目尻からついに涙がこぼれ落ちる。「それは……みんな同じなんだよ……」その声はかすれ、胸の奥から搾り出すようだった。
まつりが慌てて言葉を差し挟んだ。
「冷、落ち着いて。わかった……両方やるしかない……! 解析も、救出も。全部同時に進めるしかないのよ」
湊も小さくうなずく。「冷くんの気持ちも、天音さんの言うことも、どちらも間違いじゃない」
張り詰めた空気の中で、ようやく二人は口を閉ざした。しかし火種は燻ったままだった。
湊は小さく息を吐き、冷を見て眉をひそめる。「女の子を泣かせたらダメだよ、冷くん」
「……ごめん、つい熱くなった……」冷が視線を落とすと、天音は涙ぐみながらも微笑みを浮かべた。
「冷はさくら、大好きだもんね……」
その言葉に冷は息を呑み、かすかに首を振る。「そんなんでは……さくらと同じくらい、天音やまつりも……大切なんだ」
天音は顔を赤らめ、涙の名残を拭いながら視線を逸らした。まつりも頬を染め、眼鏡の奥の瞳を泳がせる。「そ、そんなこと……今言わなくても、、、」と小さく呟き、指先をいじる仕草がぎこちない。
すると、湊が天然な笑顔で首を傾げた。「僕は?」
その一言に場の空気が少し和らぎ、三人は思わず苦笑を浮かべた。冷は苦笑しながら「もちろん、湊も大切だ」と答え、天音とまつりも照れながら「当たり前でしょ」と同時に返した。湊はぽかんとした表情を浮かべ、次の瞬間には嬉しそうに目を細めた。
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### ◆ 夜の再出現
その夜。冷は自室で書類を閉じ、ふと窓の外を見た。暗い夜空に、淡い光が揺らめいている。風が木々を揺らし、葉擦れの音が耳に残る。胸の奥がざわつき、冷はゆっくりと立ち上がった。
「……さくら?」
窓へ駆け寄った瞬間、声が響いた。涙に震える声――
『……れい……』
胸を突き破るような切実な響きだった。ガラス越しに薄紅色の翅が一瞬だけ映り込み、冷の心臓が跳ね上がる。翅は柔らかく光を放ち、まるで助けを求める手のように震えていた。しかし次の瞬間、光は闇に吸い込まれるように消えていった。
「待ってくれ……!」冷は窓を叩いたが、返事はない。呼吸が荒くなり、頬に冷たい夜気が突き刺さる。
同時に、机上の端末が勝手に起動し、画面にPetalWingの翅がノイズ混じりに映し出される。翅はかすかに震え、今にも声にならない叫びを放ちそうに揺らめいた。冷は拳を握りしめ、爪が掌に食い込み、痛みが意識を鮮明にする。胸の奥で渦巻く孤独と焦燥が、誓いに変わった。
「必ず……奪い返す」
闇の中、その言葉は刃のように鋭く響き渡った。窓の外の風が強まり、寮の壁を震わせる。それはまるで、彼の決意に応えるかのようだった。




