Side.LOG.001 ─ 楓、会長になる。
Side.LOG.001 ─ 楓、会長になる。
### シーン0:朝の目覚め、兄の声と布団の攻防戦
カーテンの隙間から、柔らかな朝の光が差し込んでいる。
「楓ー、起きろ。もう7時過ぎてるぞ」
冷の声が部屋のドア越しに響いた。
「……んー……やだ、あと5分……」
布団を頭までかぶり直す楓。
「ダメ。今日は生徒会で朝ミーティングあるって言ってただろ?」
「うぅ〜〜……お兄ちゃん、来て〜……起こして〜……」
寝ぼけ声で甘えるように訴える楓に、少し呆れながらも部屋に入る冷。
「はいはい。ほら、布団剥がすぞ」
「やーめーてぇ〜〜っ」
くすぐり合いのような小さな攻防の末、ようやく楓は起き上がった。
「……もう、お兄ちゃんのいじわる」
「はいはい、早く顔洗ってこい。朝飯できてるからな」
「うん……ありがと、お兄ちゃん」
楓がようやく立ち上がり、ふらふらと洗面所へ向かう。
——けれど、朝食後に玄関を開けて一歩外に出ると、空気が変わる。
「ふぅ……よし」
小さく深呼吸して、ポケットからスマホを取り出し、画面をチェック。
背筋を伸ばし、目元を引き締めると、そこにいたのはもう“生徒会長・才牙楓”だった。
さっきまでの甘えん坊な妹の姿は跡形もない。
誰よりも頼られる会長として、今日も学校へと向かっていく。
### シーン1:朝の食卓、兄妹と小さな日常
朝の光が差し込むキッチンに、ふわりと焼きたてのパンの香りが漂っていた。
「ほら、楓。パン焦げる前に食べろよ」
テーブルにトーストとスクランブルエッグを並べながら、才牙冷が小さく笑う。
「ん〜……ありがと、お兄ちゃん」
寝ぼけ眼をこすりながら椅子に座る楓。制服はもう着ているが、髪はまだ寝ぐせがわずかに残っていた。
「髪、左側ハネてる。直すなら今のうち」
「えっ、うそ、どこ!? ……あーもう、ありがと」
慌てて洗面所に走っていく楓の背を見送りながら、冷はコーヒーを一口啜る。
ほんの少しだけ、大人びた表情。
数分後、髪を整えた楓が戻ってくる。
「うん、これで完璧……って、もう時間ヤバいっ」
「ちゃんと食ってけよ。今日は雨降るって言ってたから傘も忘れんな」
「わかってるってば! ……じゃ、いってきまーす!」
玄関の扉が開き、元気に飛び出していく楓。その背中を見送りながら、冷は小さく呟いた。
「……ま、元気そうで何よりだ」
### シーン2:下駄箱前、モテと友情と小さなため息
朝の光が差し込む下駄箱の前で、才牙楓は今日もため息をついた。
「……また多いなぁ」
彼女の下駄箱には、色とりどりの封筒がびっしりと詰まっていた。
誰が言い出したのか、「才牙楓に告白するなら朝一の下駄箱がチャンス」などという噂が広まり、気づけばほぼ毎日ラブレターが投函されるのが日常になっていた。
「よっ、姫。今日もモテモテだな」
サラッとしたショートカットに制服のネクタイを緩めた女子生徒――西園寺凛が、飄々とした様子で楓の背後から声をかけてくる。
「……凛、郵便局の人みたいなこと言わないで」
「じゃ、集荷してくか?」
「投げるなーっ!」
二人のやりとりに、周囲の生徒たちはクスッと笑う。
西園寺凛。バスケ部のエースで、長身・ボーイッシュな見た目ながら、意外にも女子人気が高く、“かっこかわいい”と評判の人物だ。楓の親友であり、時にボディガード的な立ち位置でもある。
「てかさ、アンタ最近ますますモテてない? 昨日なんか、校門前に待ち伏せまでいたじゃん」
「うぅ……あれはちょっと怖かった……」
楓は頬を膨らませて、小さくうなだれる。その仕草すら、周囲からは「かわいい」とささやかれていた。
そのとき、凛の下駄箱の近くからも、ひょこっと顔を出す女子生徒がひとり。
「凛先輩、これっ……今日も応援してます!」と、もじもじしながら封筒を差し出す。
凛は少し驚きつつも、にこっと笑って受け取った。
「ありがと。今日のはピンクか〜、春だねぇ」
その様子を見ていた楓が、肘で軽く小突く。
「……ふーん、凛も“郵便物”来てるじゃん」
「や、これはアレ。ファンレターってやつだから」
「そっかー、ボーイッシュアイドルはつらいね〜♪」
「からかうなよ、会長〜」
「でさ」
凛が少し表情を和らげて、楓の顔を覗き込む。
「最近、楓ちょっと疲れてない? “やりすぎスイッチ”入りっぱなしって感じ」
「……そんなことないよ。ただ、ちょっと書類仕事が多いだけ」
「ふーん。ま、無理しすぎんなよ? 倒れたらラブレターの山が泣いちゃうぞ?」
「それは困るな……私の代わりに処理してくれる人、いないし」
「おっけ、じゃあ今度から凛様が受付係やるか?」
「絶対ダメー!」
二人のわちゃわちゃとしたやり取りの中、チャイムが鳴る。
「ほらほら、会長。遅刻しないようにね?」
「……わかってるってば」
楓はラブレターの束を胸に抱え、凛と並んで教室へ向かっていく。凛も生徒会の書記として楓を支えており、二人が並ぶ姿は見慣れた光景だ。その姿は、まるで王子と姫。だが姫の方が強そうなのが、なんともこの二人らしい光景だった。
### シーン3:生徒会室、責任と日常の間で
昼休み、生徒会室。
楓は椅子に腰掛けながら、書類の山を前に眉をひそめていた。
「……ここの予算配分、行事予定とズレてる。先に確認しておかないと……」
真面目な表情で書類に赤ペンを走らせる楓。
その隣では凛が、フィズリカという炭酸系の栄養ドリンクのボトルを渡しながら言う。
「はい、会長。糖分と水分な。根詰めすぎんなよ」
「ありがと、助かる」
楓は笑顔で受け取るが、その笑みの奥に少し疲れがにじむ。
そのとき、生徒会室のドアがノックもなく開いた。
「才牙、これ追加で頼む。次の全校集会に使う資料、印刷手配と確認お願いな」
学年主任の先生が、分厚いファイルを持って入ってきた。
「えっ、これ今日中ですか……?」
楓が思わず言葉を詰まらせると、隣の凛がすかさず口を挟んだ。
「先生、それ楓じゃなくてもいい仕事ですよね? これ以上押しつけたら、マジで倒れますよ」
先生は少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに苦笑して頷いた。
「……わかった。じゃあ他のメンバーにも割り振ってくれ」
「了解です」
凛が代わりにファイルを受け取り、机に置いた。
「助かった……ありがと、凛」
「へへ、そういうときのための書記だからな」
「最近、ほんとに忙しくてさ……前よりも“生徒会長”って肩書きが重い気がする」
「まぁ、みんな頼ってるし。楓なら大丈夫って思ってるからだよ」
凛がそう言うと、楓は照れたように視線を逸らした。
「……責任って、思ったよりずっと重いんだね」
「だからこそさ、ちゃんと頼れ。私でも、他のメンバーでもいい。背負いすぎるな」
「……うん、わかった」
そう答える楓の目に、ほんのわずか、安心の色が浮かんでいた。
### シーン4:授業とテストとささやかな勝利
午前中の授業、教室。
「それじゃ、先週の小テスト、返すぞー」
担任が束ねられたプリントを配り始めると、教室にざわつきが広がった。
楓の元にも一枚のテストが配られる。名前の下には、赤いペンで大きく“100”の数字。
「……やった」
心の奥で、ふわっと小さな喜びが広がる。
(お兄ちゃんに褒めてもらえる……!どう褒めてもらおうかなー、「さすが楓」って言われたいかも……)
小さく呟いたその瞬間、隣の席の凛が覗き込む。
「おっ、さすが我らが会長。満点か〜」
「ふふ、たまたまだよ」
「いやいや。これでモテて、生徒会も回して、頭もいいとか……どうすんの?」
「どうって……そんな、特別なことしてないよ?」
「うわ〜、それ言う人いっちばん強いんだよな〜」
二人のやりとりに、前の席からも「さすが楓会長〜」というひそひそ声。
楓は少しだけ肩をすくめたが、どこか誇らしげでもあった。
### シーン5:購買部、日常と甘い誘惑と友の距離感
放課後、購買部前のベンチにて。
「ねえ楓、ひとつ聞いてもいい?」
「ん? なに?」
凛が飲みかけのグレティアを持ち上げながら、にやりと笑う。
「楓が彼氏作らないのってさ……もしかして、兄が好きだからだったりして?」
「ぶっ……!?」
楓は飲んでいたグレティアを吹き出しそうになりながら、真っ赤な顔で凛を睨む。
「な、なに言ってんのよ凛っ!」
「いやいや、図星の反応だなこれ〜。ほらほら、耳まで真っ赤〜♪」
「ち、違うもん……っ」
「はいはい、そういうことにしといてあげる。じゃあ今度、その“冷お兄ちゃん”に会わせてよ?」
「ぜっっっっったいダメ!!」
凛がゲラゲラ笑う一方、楓は両手で顔を覆いながら、もごもごと何かを呟いていた。
凛がココアパンを頬張りながら、楓の方をジッと見ていた。
「……何その顔」
「いや、楓がこうしてパン食ってるの、珍しいなって思って」
「忙しくてお昼ちゃんと食べられなかっただけだよ」
もぐもぐと口を動かす楓。その横で、凛がグレープ味のタピオ風ドリンク「グレティア」をストローで吸う音だけが響く。
「最近、こうして一緒にだべってる時間も減ったしな。ま、生徒会長だもんな」
「うーん、でも……やっぱりたまには、こういうのも大事だよね」
楓が微笑むと、凛は軽く頷いた。
「……なんか、ちょっと安心した」
「え?」
「いや、楓の笑顔、ちゃんと元気そうだったから。……ホッとした」
その言葉に、楓は少し頬を赤らめる。
「……心配しすぎ」
「そーかね。ま、私が心配しないと誰がするんだよ、って話」
凛はいつもの調子で笑ったが、その視線はどこか優しかった。
### シーン6:帰り道、そして変わらぬ日常へ
夕暮れ、校門を出て歩く二人。
「で、バスケの練習はいいの?」
楓がふと尋ねると、凛は手をひらひらと振った。
「今日はオフ。明日から大会前の地獄メニューが始まるんだよね〜」
「それで今日は私に付き合ってくれたの? ……ありがとう」
「うん、ま、書記だし。そっちの“体育会系スケジュール”も見届けておかないとね」
夕暮れ、校門を出て歩く二人。
「明日、生徒会の議題に部費調整の件、入れるからね」
「ほーい。なんなら議事録係、やってやろうか?」
「え、ほんと? じゃあお願いしてもいい?」
「……うっそ。楓の“お願い”が聞けたからそれで満足。……ま、冷お兄ちゃんに会わせてくれるなら、ちゃんと議事録やるけど?」
「こらーっ!」
追いかけてツッコミを入れる楓に、凛が笑いながら逃げる。
そんな日常のやりとりに、春の風がやさしく吹き抜けた。
明日もまた、会長としての責任は続く。けれど、隣にこうして笑い合える友がいるなら、きっと大丈夫。
楓はそう思いながら、少しだけ歩幅を広げた。
### シーン7:ただいまの声と、帰る場所
家の玄関を開けた瞬間、ふわりと香ばしい香りが鼻をくすぐった。
「おかえり、楓。夕飯、もうすぐできるぞ」
キッチンから顔を出したのは、お兄ちゃん――才牙冷。
エプロン姿で、温かい笑顔を浮かべていた。
「……ただいま、お兄ちゃん」
学校での“生徒会長”の顔は、ドアを閉めたその瞬間にどこかへ消えていた。
「今日のごはん、なに?」
「リクエスト通り、煮込みハンバーグ。あと味噌汁と、温野菜」
「わーい!」
楓はランドセル――ではなくスクールバッグをソファに放り、冷のそばにぴたっとくっつく。
「ねえ、お兄ちゃん。今日ね、テスト満点だったんだよ? ちゃんと褒めてくれる?」
「お、そりゃすごいな。さすが俺の妹。……よしよし」
「えへへ〜」
楓は満足げに頬を緩め、くすぐったそうに笑った。
「……もっと褒めてくれてもいいんだよ?」
「はいはい、よく頑張りました、楓さん」
「ぎゅーもしてくれたら、もっとやる気出るかも……?」
甘えるように上目遣いで見上げる楓に、冷は少し照れくさそうにしながらも、ぽんぽんと頭を撫でた。
「やれやれ……でも、俺には甘えてくれる方が安心するけどな」
「えへへ、家ではお兄ちゃん専用の楓だから♡」
玄関の向こうで背伸びしていた“才牙楓・生徒会長”は、
この家では、ただの“甘えん坊な妹”に戻っていた。
そのとき、楓のスマホが小さく振動した。
画面を見ると、“凛”の名前と共にメッセージがポップアップ表示されていた。
《今日もお疲れ〜。で、冷お兄ちゃんに会わせてくれるのはいつ?笑》
「……っ!も、もう〜凛っ!」
楓はスマホを抱えてソファに沈み込み、クッションで顔を隠すようにごろごろ転がった。
冷がキッチンから不思議そうに覗き込む。
「どうした? 顔赤いぞ?」
「な、なんでもないのっ!!」




