LOG.010 ─ 最後の問いかけ
LOG.010 ─ 最後の問いかけ
公安試験、実技試験が終わったころ。
模擬訓練施設から戻った受験者たちは、控室に集合していた。空気は張りつめており、誰もが先ほどの試験の結果について思案している。
やがて、試験官の一人が前に出る。
「午後の模擬任務、お疲れ様でした。皆さんの行動はすべて記録・分析され、今後の評価に反映されます」
短い沈黙の後、試験官は続けた。
「今回の試験では“裏切り者”の存在がありました。通常は1名の予定でしたが、意図せず2名いたチームがありました。しかし、無事に試験を終えることができました」
控室がざわめく。
「どのチームだったかは、開示しません。結果に関しては、後日合否とともに通知します。次は個人面接になります。それが終わりましたら、各自帰宅して大丈夫です」
冷のチーム──003チーム──は、互いに目を合わせることなく沈黙を保っていた。
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午後の最終試験──個人面接。
冷が案内されたのは、静かな一室。そこにいたのは、目元の鋭い美人の女性面接官だった。
「才牙 冷くんね。…あなたの経歴、よく知っているわ。公安を志すには、少し“事情”があるようね」
「……父のことですか」
「ええ。失踪事件について、公安でも把握しているわ」
冷の目が細くなる。面接官は淡々とした口調で続けた。
「あなたが目指す場所は、正義の砦ではない。時に倫理を外れ、泥にまみれることもある。きっと地獄を見ることになるかもよ、それでもいいの?」
「……それでも、俺は知りたい。父がなぜ、あの時消えたのか。その答えを」
面接官はわずかに目を細める。
「気に入ったわ。それでは、面接に入りましょう」
彼女は姿勢を正し、冷にいくつかの質問を投げかける。
「あなたは仲間の裏切りをどう対処しますか?」
「……状況に応じて判断します。任務を優先すべき場面と、仲間を守るべき場面があるはずです」
「では、あなたが最も信頼していた者が敵だったと知ったら?」
「……信じた責任は俺にある。それでも、その先の行動で全てが決まると思っています」
「最後に。父の件が解決したとして、その後も公安に残るつもり?」
「……そのときの俺が、どう在りたいか次第です。でも、今は……進むしかないと思っています」
面接官はそれを聞きながら、静かにペンを走らせた。
ふと、面接官が逆に問いかけてきた。
「……才牙くん、あなたはなぜ裏切り者が“二人”いたと気づいたの?」
「……午後の実技試験だけのはずなのに、工作の手口が二種類あった気がします。それぞれ違う癖があって、別の人間が関与していたように感じました」
「なるほど……やはり、あなたは鋭いわね」
面接官はペンを止め、彼を見つめた。
「鋭いわね。あなたのチームが“異常”に早く発見された理由、記録に残っていたわ。複数の工作が確認されたことで、上層部が調査した結果──判明したの」
冷は黙ってうなずいた。自分たちの行動が、何かを変えたのかもしれない。
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全ての試験を終えた5人は、控室で再集合したのち、帰り道にファミレスへ立ち寄ることにした。
「面接、どうだった?」と冷が何気なく口にすると、
「すっごい圧迫面接でこわかったよー」と湊が肩をすくめる。
「私は……妙にプライベートなことばかり聞かれたわ」と天音。
「記憶に基づく分析能力について試された。論理的には妥当だったが……面白い構成だった」とまつりは静かに感想を述べる。
「えへへ、私は“かわいいって言われたらどう返す?”って聞かれた!」とさくらが笑顔で言うと、全員が一瞬沈黙するが、すぐに笑いが起こる。
そんな話をしながら、彼らはファミレスに向かった。
「試験終わったし、たまには甘いものでも食べようよ〜」と湊が明るく言い出す。
店内の席につこうとした瞬間、問題が発生した。
「はいっ、冷くんの隣、もらいまーす♪」とさくらが先手を打とうとするが──
「ちょっと待って。それは私が──」とまつり。
「裏切り者は冷の隣に座らせません」
天音の一言が場を凍らせた。だが、すぐに彼女は微笑む。
「冗談よ。──でも、座らせないけど」
結局、冷を挟んでまつりと天音が左右に座り、さくらは向かいの席で不満そうに頬を膨らませた。
「僕、端っこなんだ……」と湊が呟く。
「ねえ、冷くん。私たち、結構相性いいんじゃない?」と天音が冷の肩に軽く体を寄せる。
「えっ……相性……?」と戸惑う冷。
その瞬間、天音の手がいつの間にか冷の太ももに自然と触れていた。
「……落ち着いて。あなたの緊張、伝わってきたから」と天音がささやくように言う。
さらにまつりも、無言で冷の反対側の太ももに手をそっと置きながら、
「この距離で食事するの、悪くないかも」と冷の手元のドリンクにさりげなくストローを差し出し、「ちょっと味見していい?」と無表情で聞く。
冷は視線を左右に泳がせながら、「いや、あの……これは……」とたじたじになった。
さらに、天音が体を動かした瞬間、その胸がふわりと冷の腕に当たる。
「……あ、ごめん」と言いながらも、どこか意図的な気配がある。
まつりも、身を乗り出すように冷の顔の近くで「味見、許可して?」と訊ね、その柔らかな感触が冷の肩にかすかに触れた。
「ちょ、ちょっと待って……」
冷は完全に混乱し、顔を赤くしながらうろたえていた。
さくらがそれを見てむくれ顔になりながらも、「じゃあ、今度は私の作ったスイーツでも食べてもらうんだからね!」と張り合うように言う。
湊が「こ、これは……修羅場ってやつ?」と小さく呟く中、5人のスマホがテーブルに並ぶ。
「連絡先、交換しとこうか」とさくらが言い出すと、湊が「それいいね!」とすぐに乗ってきた。
「じゃあ、冷くんも忘れずにね〜」とさくらがスマホを差し出し、全員が一斉に《LinkChat》でタップし合った。
「これでまた連絡取りやすくなるね」と湊が嬉しそうに言い、さくらも「冷くんの《LinkChat》ゲット〜♪」とにやけていた。
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食事が終わると、湊が提案する。
「ねえ、せっかくだしカラオケ行かない? 今日はみんな頑張ったし!」
「疲れてるからパス」と天音。
「……同意」とまつり。
「え〜ちょっとだけ……でも明日寝坊しそう」とさくらも断念。
「じゃあ、また今度だね」と湊が苦笑した。
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帰宅した冷を出迎えたのは、エプロン姿の楓だった。
「おかえりー。……なんか、女の子の匂いするんだけど?」
「……気のせいだよ」と冷がごまかすように言うと、楓がじと目で見つめながらも笑顔を浮かべる。
「じゃあ、質問ですっ。ご飯にする? お風呂にする? 私にする? ……私にする? ……私、だよね?」
「いや、選択肢の圧がすごいな」
冷が呆れながらも笑うと、楓は勝ち誇ったように「じゃあ決まりだね♪」と嬉しそうに言った。
「疲れた……」
ソファに倒れ込んだ冷は、そのまましばらく寝入ってしまった。
楓はそっと座り込み、タオルで汗を拭いたあと、冷の頭を膝の上に誘導する。
「ふふ、寝てる寝てる……これはチャンス?」
楓は嬉しそうに、そっと冷の頭を自分の膝に乗せた。
しばらくして、冷が目を覚ます。
「……ん?」
目を開けると、自分の顔の上には……楓の豊かな胸が乗っていた。
「うわ、ちょ……」と体をずらそうとしたその瞬間、
「っ……う、うぅん……ちょっと、それ、くすぐったい……」
思わず声を漏らす楓。
冷は固まったまま、天井を見つめた。
「……これは、夢だ。夢に違いない……」
「はい、おつかれさま。ご褒美、なにがいい?」
「静かに寝かせてくれれば、それで……」
「却下ー♪」
そのとき、冷のスマホがテーブルの上で震えた。
《LinkChat 通知:天音「今度の休日、気晴らしにどこか行かない?」》
《LinkChat 通知:まつり「資料提供の件、直接渡したい。ついでにランチでも」》
《LinkChat 通知:さくら「ねぇねぇ、遊園地行こうよ!冷くんと二人で♡」》
それを見た楓の目が細くなる。
「……女?」
「っ……いや、違っ……いや、違うってわけじゃないけど……」
「ふーん……別に気にしてないし? ほんとに、全然?」
冷は頭を抱えたまま、再び天井を仰いだ。
「……俺、何の試練を受けてるんだ」
その直後、再びスマホが震える。
《LinkChat 通知:湊「ねえ冷くん、今度一緒にカフェ行かない? 新作スイーツ出てるんだって!」》
通知を見た楓の顔がさらに曇る。
「……今度は男? お兄ちゃん、もしかして……そういう趣味も……?」
「……誤解される方向が増えていってる気がする」
冷は肩を落としながら、ソファに沈み込むように座り込んだ。
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──一方その頃、公安本部の一室では。
その頃、公安本部の一室では、冷たち003チームの実技試験のデータを解析している職員たちの姿があった。
「……これは?」
「偽物のデータが提出された形跡がありますが、直後にオリジナルへ自動復元されています。何者かが復元用のスクリプトを仕込んでいたようですね」
別の職員が別端末のログを確認しながら言った。
「裏切り者の登録ログも……おかしいですね。誰かが認証システムに手を加えていた痕跡があります」
「午前の試験内容も改竄されていたことを踏まえると……嫌な予感がしますね」
沈黙が落ちる中、室内の空気が重くなる。
「……“何か”が動いている。上に報告しましょう」
冷がスマホで試験結果を確認しようとするも、公式サイトには「合否結果は後日、オンラインにて発表」との文字。
画面を閉じたその瞬間、一瞬だけスマホの画面がノイズ混じりにチカついた。何かが一瞬だけ表示されたような……。
冷は静かに天井を見上げる。
「……ここからが、本当の始まりだ」




