表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/7

第6話 6日目 土曜日

……電話の呼び出し音は、だがいつの間にか止んでいた。

私はベッドの上に横たわり開いたままの眼が天井を見ていた。

そっと自分の首から喉のどにかけてを指先で触れた。

何の痕跡もなく肌の表面がそのまま広がっていた。


身を起こして部屋を見回す。

ベッドを降りて部屋の端に置かれているラジオを確かめる。

金曜日に付けられた歪みは土曜日に引き継がれていない。

出荷された時のフォルムのままだ。


バスルームのドアを開けると洗面台の上の鏡が私自身を映している。

傷一つなく世界がありのままに映されている。

これをまた割ることは出来るだろうが、次に目覚めた時にはその破壊は無かったことになっているだろう。


鏡の私を見ながら喉に手を当てる。

仮に私が自裁を試みようとしても、ここでのその日が終わるだけで、次の日のベッドに目覚めることになるだろう。

ここでは自死すら許されていない。

何という完璧な監獄だろう。

脱出の経路はどこにも存在しないのだろうか。

ここで何も感じなくなるまでただ生き続ける他ないのか。


白い電話機から呼び出し音が響いてそちらを見た。

昨日、昏倒しながら聴いていた呼び出し音と同じだ。

私は急いで受話器を取り耳に当てた。

もしもし と私は呼びかけた。

紙が(こす)れるようなノイズがかすかに耳をくすぐる。

もしもし ともう一度。

あなた と妻の声がした。

あなた 戻って来て と妻の声がした。

私は妻の名前を呼びかけた。

間違いない、妻の声であるのは分かる。

あなた 戻って来て と妻の声が再び言った。

家に帰れ、ということか?

もちろん、私だって家に帰りたい。

妻に呼びかける、私はどこか知らないホテルの中に閉じ込められていると。

外に出る方法を探しているんだ、この電話はどうやってかけているんだい?

ここの場所を探知出来ないかい?

私は必死に喋るのだが、妻の声はリフレインされるだけだ。

私の声が届いていないかのように。


戻って来て、という妻の言葉の意味が突然頭の中にひるがえり、私の記憶を呼び起こした。

名前よりも重要な記憶がそこに広げられていた。

作業現場の……作業中の事故だ。

私は噴出したガスを吸い、他の同僚と共に倒れた。

そのまま昏睡状態になり、病室の延命装置に繋がれている。

それが(うつつ)の世の私だ。

妻の呼びかけは昏睡している私の耳元へ発しているものだ。

この部屋の電話やラジオを通じて私の頭に届くあの声だ。

私はベッドに横たわる永遠の眠り男、このホテルでいくら叫んでも、眠り男の唇が動くことはない。

だが。まだ生きているならば、私はやはり目覚めの方法を探さなければ……この繰り返されるループの無限から飛び出す方法を、そうだ、希望を持って。

妻の元に帰るのだ。


自死のような行為が効果的とも思えない。

もう試すつもりもないが、実行したら金曜日のバスルームの時のように、そのまま意識が途切れて翌日に何事もなく目覚めるのだろう。


私は再び動けるだけの範囲を観察し、何かの()ぎ目のようなものを探した。

現実世界に繋がるような、この世界自体を(ほころ)ばせ解体するヒントがどこかにあるのではないか。

客室全体を調べ尽くしてから、廊下に出て並んでいる限りのすべてのドアを調べた。

それから廊下を端から端まで確かめてみたが、結局、特別なところは一切無かった。


勢いをつけて動き回ったが収穫は無し。

廊下の壁にもたれてそのまましゃがみこんだ。

望みをかけていただけに徒労感が強くのしかかってきた。

このままではまた睡気に見舞われ、気がつくと翌日のベッドの上で目覚めることになるだろう……。

ふと、これまでは否応なく眠りに落とされてその日を終えてきたことを思い出した。

……夢の中で自分から眠り、夢を見ればどうなるのだろう?と思った。

普通のやり方で脱出は無理だ、だがここで自分から夢の中で夢を見る事で、違う階層に滑り込む事は(かな)うのではないか、と。

気絶するように昏倒し、翌日に飛ばされて来たが、普通に眠りにつくのであれば、何か変化はあるのだろうか。


立ち上がり私の部屋に戻った。

睡気のないままベッドに乗り、エジプトの王の石棺(サルコファガス)のようにまっすぐ身を伸ばして横たわった。

(まぶた)を閉じて、眠りに落ちるのを待つ。

眠ろうとしても簡単に眠れないのは(うつし)身と同じだ。

考えるのをやめようとしても雑念が浮かび上がる。


……奇妙なことに気がついた。

自分は作業現場の事故に巻き込まれ昏睡状態になった。

私の身体は延命装置に繋がれて生きている。

何故それを知っているのだ?

その状態になった自分が知る筈のない情報じゃないか。

だが知っている。


そして、より重要なこと……かろうじて死なないでいる私よりも先に妻が旅立ってしまったことも思い出した。

なぜそれを知っている?

私はどうして昏睡後の情報を……


初出:2023年(令和05)08月12日(土)21:17

[カクヨム] https://kakuyomu.jp/works/16817330661659578791/episodes/16817330661867009747

「カクヨム夏祭り2023【1週間耐久!真夏の創作祭】」( https://kakuyomu.jp/info/entry/2023/07/26/120000 )参加作品。


再録:2025年(令和07)03月05日(水)

[小説家になろう]



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ