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第七譚

「もう出掛けられるよ。氷雨」


 準備の終わった僕は氷雨の部屋の扉を叩きながら声をかける。

 氷雨からの着物は僕の寸法とぴったりだった。少しゆとりのある僕好みの着物。

 椿は冬を代表する花である。今の季節柄、桜の方が旬なのだが、氷雨は椿を選んだ。意味がないとは言っていたが、多分何かしらの意味はあると僕は思っている。でも、氷雨が言わないという選択肢をとったのなら、僕はそれを尊重したい。だから詮索はしない。今はただ、この着物に袖を通せるだけでも嬉しいのだ。氷雨に伝えるには少々恥ずかしいので秘密にしている。

 そんなことを考えているのも束の間、目の前の扉が開けられる。


「はーい。……天、すごく似合っているよ」


 僕を頭からつま先まで見た後、興奮気味に答える氷雨。


「天の愛らしい顔立ちも相まって、すごく綺麗だよ。褒めるのが苦手だから、月並みな言葉しか浮かばないけれど、とても美しい。この世で一番、可憐な華だよ。僕にはもったいないくらい綺麗だ」


 氷雨は幸せそうな表情で満足げに頷く。

 僕はというと早口でそう捲し立てれ、思考が追い付かない。可愛いとはよく言われていたが、綺麗だの美しいだのとは今まで言われてこなかった。その分を補うかのようにとめどなく溢れる、多様な言葉の数々に羞恥心が芽生える。


「あの、もう……わかったから。もう、これ以上は、恥ずかしいから。……やめてください」


 いたたまれなくなって顔を袖で隠す。多分今の僕は耳まで真っ赤なのだろうな。照れることなんて全然なかったから耐性がないのに、氷雨はそんなことはお構いなしに言葉を綴っていく。流石にやめてと言ったら、口を噤んだけれど、まだまだ言い足りない顔をしていたから、止めたのは正解だったと思う。じゃなければ絶対に延々と続いていた。氷雨のもつ語彙のすべてで巧みに僕を表現しようとしただろう。

 でも僕はそんな巧妙な表現よりも、咄嗟に口から出た端的でも心のこもった言葉だけで十分だった。


「ごめんね。あまりにも天が綺麗だったから暴走しちゃった」

「うん、それはもういいから」

「……そうだ、お詫びに何でも買ってあげよう。これなら天も気兼ねなく僕のお金を使ってくれるかな」


 どうしても僕に自分のお金を使わせたくないみたいだ。さっきの会話で僕が難色を示していたからだろう。これで理解した。前回同様、僕に拒否権はないのだろうなと。


「氷雨がそれでいいのなら」

「それでいいんじゃなくて、それがいいんだよ。天には幸せでいてほしいんだ」


 そう言うと氷雨は外出を促した。

 氷雨の後をついていく。指示されるまま馬車に乗り、街へと向かう。

 街に行くのは今日で二回目。この前は観光できなかったので、とても楽しみだ。

 馬車からの街並みを眺めていく。実家の周辺にはなかった部類の店が軒を連ねている。物珍しくて好奇心が湧いてくる。見たことのない店もたくさんあり、いつか行ってみたいなと思った。


「天、まずはここで天の着物を買おうと思うんだ。欲しいのがあったら何でも言ってね」


 その店は氷雨御用達の店だそうで、高級なのが一目でわかる店構え。元々からなのか、値段が表記されていない。値段を気にせずにいいほど裕福な人たち向けなのだろうか。

 入ったこともない店なので、少し窺うように店の中を見て回る。多種多様な色や柄の着物たち。自分の格好にはあまり気を使わない僕でも、見ていて飽きないほど大量にある。ここから一着を決めるなんて到底できない。


「氷雨。僕、わかんないから、氷雨が選んでくれない」

「僕が? 天のお気に召さなかったのかな」


 これだけあって気に入らないとかどこの高貴なお方だよ、と心の中で非難しておいた。


「ううん、その逆。多すぎてどれも綺麗だから選べなくて。……だめかな」

「勿論。僕に任せておいて。……気に入ったのがあれば遠慮なく言うんだよ。全部買ってあげるから」


 念を押すように再度そう言った。

 氷雨のことだから、僕の様子からそれが気に入っているかどうかくらいわかるだろうから、下手に手に取らないように心掛けた。今の流行や時期に合うものがわからないような自分で選ぶよりは選んでもらった方が無難だろうからというのもある。

 そこからは氷雨が選んでくれたものを一度試着して、購入するかの選択をした。氷雨の選び抜いた十着を試着してみた。僕が着やすさなどの観点で気に入ったのはその半分くらいだったが、氷雨は追加で何か頼んでいた。そこの金額も考えると少し申し訳ない。

 その後も買い物をして回った。すべての店の人と氷雨は知り合いだからか、買ったものはすべて家に運んでくれるそうで、手ぶらで街を回ることができた。

 昼食には僕が作ったことのない洋風専門の食事処で休憩した。どれも食べたことのない味付けで、とても美味だった。今後の参考にもなって、有意義だった。

 帰る前に寄りたいところがあると氷雨に言われついていくと、向かった先は小さな工房だった。中には様々な装飾品が置かれていた。そのどれもが戦災に作られているのが見て取れ、高価なのが見てわかる。色鮮やかな宝石のあしらわれた装飾品の数々に物珍しさから目を輝かせてしまう。


「天はここが気に入ったのかな。今日一番の楽しそうな顔をしている」

「僕あんまり装飾品を見たことがなくて……。珍しくて、綺麗だなって思って」

「楽しめているのなら、よかったよ」


 嬉しそうに顔をほころばせる。こういう時でも気遣うことを忘れない。

 氷雨はすぐに店の奥にいた店主に声をかける。

 店主が顔を出す。茜色の短髪で職人気質の男の人だった。年は僕の主観だと氷雨と変わらないくらいだと思う。でも、氷雨と違って筋肉が凄かった。


「頼まれてたやつだろ。もうできてるよ。特別な鉱石の加工だったから、思いの外時間がかかっちまったけどな」


 店主はそう言い残すと店の奥に一度引っ込んでいった。そして紅蓮という名だと紹介された店主はもう一度戻ってくると手に何か持っていた。それを氷雨に手渡す。


「彼が例のあの子なのか? 一瞬女の子かと思っちまったぜ。よかったな、氷雨」

 紅蓮さんは氷雨と仲がいいのか僕のことも知っていた。その会話から、氷雨が僕を本当に待ち望んでいたことが窺える。氷雨の想いを他人の口からも聞くことができて安堵した。


「天、これ僕の気持ちだよ。お守りみたいなものだから、肌身離さずつけてくれたら嬉しいな」

「肌身離さずって何時如何なる時もってこと?」


 僕が尋ね返すとそうだと言わんばかりに何度も頷かれる。

 そんなに大事なものなのかな。

 早速、渡された首飾りをつける。不思議な鉱石からできているようで、石の部分が温かみを持っている。紅い炎を石の中に閉じ込めたような温かさと色合いが珍しい首飾りだ。


「どうかな」

「うん。似合っているよ。さすが天だね。それは耐水性もあるから、お風呂の時とかも付けたままで大丈夫だよ」

「わかったよ、ありがとう」


 そっと手で包み込むと氷雨の思いが伝わってくるようで、心が温かくなる。人から物をもらうことはこんなに嬉しいんだと初めて知った。母にも贈り物をもらったことはあるが、率直に言って氷雨の時の方が嬉しかった。

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