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第五譚

 次に目を覚ましたのは朝日が昇ってからだった。

 目を覚ますと見覚えのない部屋。朝の弱い私は、寝たままぼーっとする。ふと隣に温もりがあることに気づき、不思議に思いゆっくりとそちらに目をやる。

 至近距離に氷雨の顔があった。そして氷雨の腕が私の頭の下に敷かれている。


「……ひ、さめ」

「おはよう、天」


 そういうとそのまま抱きしめられる。昨日も抱きしめられた気がするのだが、今も昨日も眠くて頭が働いていない。されるままになっている。

 一通り抱きしめて満足したのか、手を離されるが、起き上がる気はさらさらないようだ。


「……仕事じゃないんですか」

「僕は優秀だから、多少怠けたところで業務に影響はないよ」


 聞いておきながらどうでもよくなった。


「そうですか……。寝てもいいですか」

「天って朝弱いの?」

「弱い、です」


 あくびを噛み殺しながら答える。

 その答えに嬉しいのか何なのか満面の笑みでまたも抱きしめられる。

 二度もされれば、いやでも目が覚めるというもの。


「起きたいので放してもらえると嬉しいんですけど」

「え、もう起きちゃったの。寝ている天も寝起きの天も可愛かったのに……」


 本当に残念そうに言う氷雨に、いくら可愛いと褒められ慣れていようと、ここまで何度も言われると無性に腹が立つ。加えて面倒臭くなったので、適当にこの場から去ろうとする。


「そうですか。では、私は朝ごはんの準備があるので」


 ものすごく惜しそうに未練がましく手を伸ばされるが、見えていないと無視を決め込む。

 立ち去ろうとする背中に氷雨は声をかける。


「今日の天の着物はそこにかけてるから、それ着てね。あと、一緒にご飯は食べようね」

「ありがとうございます。わかりましたから、部屋でお待ちくださいませ」


 自分に用意された着物を手にし、退室すると自室で着替えてから厨房に向かう。

 今回も拒否権はないようだ。朝は弱いから静かにゆっくりと過ごしてきたのに、ここでそれは許してもらえなさそうだ。何故だか、不快感はない。元からああいう人だったから、なんて思ってしまう自分がいて、奇妙な気分だ。


「失礼します」


 氷雨の采配で、私は基本的にどの部屋も自由に出入りできる。厨房の食材も勝手にどれだけ使っても、無駄にさえしなければいいそうだ。信頼されているのか何なのかわからないけれど、縛られないのは楽だ。そこは素直に感謝している。

 そんなことを考えつつ、調理を始めていく。

 今日の朝は中華粥だ。何故だかこれが無性に食べたくなった。

 下ごしらえをしてどんどん調理していく。

 中華粥は煮込み料理だが、煮込みすぎると粥ではなくなってしまうので、短時間で作る。そのため手軽で美味しい。その上、胃腸にも優しいから私はこれが大好きだ。

 作り終えると二人分を手にして氷雨の部屋に向かう。


「氷雨、扉を開けていただけませんか。両手が塞がっていて……」


 返事が聞こえ、開けてくれるのを待つ。


「ありがとう、天」


 満面の笑みで扉を開け、感謝を述べる氷雨。

 たまにこの氷雨の笑顔が怖いなんて思ってしまうのは何故なのだろう。


「天、どうかした……?」

「いえ、何でもありません。冷める前に食べましょう」

「それもそうだね。重かったでしょ」


 労いの言葉をかけてくれる。それには正直嬉しいのだが、こうにも溺愛されているような態度をとられると、反応に困る。接点もなかったし、会話だってうまく続いてるとはいいがたい。それでも愛しているかのような態度には疑問しか浮かばない。


「一緒に食べるんだし、二人分持ってくるのは大変だろうから、今度から僕も厨房までついていくよ」


 私の様子なんてお構いなしにいいことを思いついたかのような声色でそう言う。

 四日目にして、数々の好意に甘んじてきたが、あんまりにも過度すぎる。母も父に一目惚れされてからの交際だったらしいが、きちんと段階を踏んで結婚したと聞いた。それと比べると、かなりの数の大切な段階を飛ばしているように思えるのだが、私自身経験がなかったために異議を唱えることはしなかった。だが、四日目にしてやはりおかしいと思い立った。

 考えてもわからないことだらけなのだ。もうここは潔く聞くしかない。それで面倒臭いからといって愛想をつかされるならそれまでだろう。


「……氷雨」

「何かな」


 今も笑っている。何故怖く感じるのか、やっとわかった気がする。

 ずっと笑顔だからだよ。一人でいた私でさえ喜怒哀楽はちゃんとあった。他人といるならばなおさら、感情の起伏は伴うはず。それがないんだ。ずっと喜びや楽しみの感情は見ているが、それ以外が欠落しているのだ。見せたくないのかもしれないが、上辺だけの感情に見えて怖いんだ。

 私は今初めて怖さを知ったが、後には引けない。ここで聞かなければ私は——。


「氷雨……は何で、私なの」


 思いの外、声が裏返ってしまった。怖がっているのが、筒抜けだ。

 氷雨も私の変化に気づいて、珍しく顔色が変わっている。ほんの少しだけだが、焦りを見せている。


「天……。まだ天には言えない。けど、理由はちゃんとあるんだ。いつか絶対に伝えるから……。僕の我儘だけどそれまでは待っててほしいんだ。天のことが好きで愛してるから」


 苦しそうな笑顔でそういう氷雨。少ししゃがみ込み、きちんと目線を合わせてくれた。

 理由があるなら教えてくれればいいものを。でも、いつか教える、という言葉に少しだけ希望を持てる気がした。もう少しだけなら、この不思議な生活も悪くないかもしれない。

 返事がないからか、切実な顔で懇願をするように見つめてくる。流石にいたたまれなくなって咄嗟に頭を撫でてしまう。

 母がよく撫でてくれていた。私はそれが気に入っていたから。


「天……」


 なんだかんだ言って、私は一人が寂しかったのかな。自分の素だと言葉に詰まったり、話題がなかったりして、母や錦たちを退屈にさせると思ったから。その時から、私は他人の真似をしだしたんだ。初めは誰とでも仲良くしている母だった。でもそれだけだと限度があった。だから錦も真似たし、父も真似た。ほかの使用人も店主らも真似た。真似続けたとき、自分がわからなくなった。笑顔で居続けたから、自分の気持ちに疎くなった。

 氷雨の笑顔が怖かったのは、自分を見てるようだったからなんだ。またいつ感情がわからなくなるかもしれないという恐怖を氷雨の様子に重ねてたんだ。


「わかったよ。僕、待っててあげる。ずっと待てるかはわからないけれど、あと少しくらいなら待っててあげるよ、氷雨」

「天、その口調……」

「これが僕の素、なのかな……? 母や錦たちの真似をしすぎたから、もうわかんないけど……。これが多分素なんだよ。氷雨が好きって言ったんだから、口下手な僕でももういいのかなって……」


 好きって言われたのは初めてだった。それがどんな好きであれ、必要とされるって感じられるのはとても幸福なことだと思う。


「ありがとう、天……」


 泣きそうな顔でそう訴える氷雨。

 感謝したいのはこっちなのに。僕を必要としてくれてありがとう。



 その後はなんだか湿っぽい朝食になったのだが、珍しい表情を見せる氷雨が意外にも可愛く思えたのはまた別の話。


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