第三譚
氷雨の家で過ごしてはや三日。実家と変わりないくらいの広さの邸。実家と同じく和式の家である。広い上に二階もある。離れもある。温泉もある。
驚いたのは氷雨の家が旅館を営んでいたことだ。自分たちの生活区域のほかに敷地内に旅館としての屋敷が建っていた。
そして氷雨の両親はというと、氷雨が一人でもやっていけるとわかるとすぐに隠居されたらしく、時おり帰ってくることもあるがそれも数年に一回の話だそうだ。
両親に相談せずに許嫁を決めてもよいのかと尋ねると、隠居といっても一定の場所に留まっていられない質だから、色々なところを転々としていて連絡が容易ではないからと、そこら辺は勝手に決めてくれと事前に言付かっているのこと。
事後報告になるが、私の両親にも今頃、錦がその報告をしてくれているだろう。否定はされないだろうから、こちらとて問題はない。
唯一問題があるとすれば私の気の持ちようなのだが、こればかりは拒絶を示さなかった自分が悪いので、自業自得ということにしておく。今更、どこにも行く場所がないのだから、どこにいて何をしようが同じなのだろう。
そんな私がこの三日間でやったことはというと、氷雨の食事の用意や氷雨の要望に応えるだけだった。ここにきてすぐの問答で答えた、できる範囲内の要求であったので、無理難題やほったらかしにされるということもなく自由にやれている。
今日も氷雨に夕食を作って持っていくため、厨房を借りていた。
すると、今まで様子見をしていた女中に突然、声をかけられる。
「あなたが氷雨様の許嫁になられた、天さん? 氷雨様の食欲はどうでしたか」
「よく食べてくれていますよ。氷雨って細いから、ここまで食べるとは思いませんでした。嬉しいものですね。美味しそうに食べてもらえるのは」
対人関係はうまくないので、母を真似て答える。母と話して悪い気になる人はいなかったから、今回も穏便に済ませられただろうと思っていた。だが、不思議なことを聞いたかのような表情の女中に疑問を覚える。
「どうかされました」
「えっと……氷雨様は食が細い上に偏食で、いつも料理人たちが氷雨様の食事の用意によく苦戦されているんですよ。だから、天様も困られたないかと心配だったのですが、杞憂だったようですね」
なるほど。彼女は本当に心配してくれているようだ。こちらに圧をかけないように所作に気を配ってくれている。存外、私は歓迎されていたようで、本で読んだどこぞのお嬢様のようにいじめられることはなさそうだ。
彼女は私に鼓舞する言葉をかけるとそのまま去っていったので、期待に応えるべく、氷雨のご飯の準備に戻る。
今日は新鮮な肉と卵が手に入ったようだ。鶏の肉と卵があるのなら親子丼を作るほかあるまい。そう思い立ち調理を始める。丼ものは簡単な上に一品だけでもご飯といえるのだから、これほど楽なものはない。
ほら、もう卵でとじたら完成のところまできた。
「今日は何を作ってくれているのかな。僕の可愛い許嫁さんは」
「親子丼です。美味しいですよ」
はい、と出来上がった氷雨の分の親子丼を手渡す。氷雨はそれを受け取ると私の分の親子丼も運んでくれようとしている。
「あ、氷雨。自分の分、運べます」
手を差し出すが渡してはくれない。そのまま自室へと持っていくつもりのようだ。
再三氷雨から一緒に食べたいと言われていたが、人と食事をすることに慣れていなかった私はそれをすべて断ってきた。その仕打ちがこれだ。退路を阻まれた。
「一緒に食べたいって言ってるのに、天は僕と食べてくれないでしょ。お誘いとかお願いは断ってもいいって言ったけど、全部断られるのは悲しいよ」
この家に来た初日にそう言われた。私の意思を尊重してくれると。でも、今回のこれは氷雨にとって我慢ならないようだ。確かに程度の低いお願いだが、断り続けるとこうなるのならどこかの時機に承諾しておけばよかったと後悔するももう遅い。強制的に一緒に食事をとらされる。
嫌ではないのだが、もう少し人と過ごすことに慣れてからがよかった、なんて思いながらも氷雨についていく。