ノラ視点
思えばあの頃は私の人生の中で最も怠惰に過ごした時間だったのかもしれない。
私は才能という不確かなものに頼り切っていた。
他の皆が手こずっているものを何の努力もせずにすらすらと出来た。
その頃の私は、なんでこんな簡単な事が出来ないのか不思議でしょうがなかった。
おかげで親には期待され、友達にも恵まれていた。
あの一件が起こるまでは。
ある日、いつも通り朝起きる。
顔を洗いにベットから立つと井戸にまで向かった。
やけに今日は静かだ。人の声や朝にやかましく鳴いている鳥の声すら聞こえない。
井戸から水を汲み、顔を洗っているとこちらに歩いてくる母親の姿を見た。
おはよう、そう声に出した筈…なのに何故か聞こえない。
何度も何度もおはよう。そう言っても聞こえない。
母親は心配そうな顔でこちらを見てくる。
私は音のないあまりにも静寂な世界に閉じ込められた。
私が耳が聞こえなくなったことを知ると周りは一変とした。
今までは仲良くアヒルの子供の様に着いてきたその子が私を無視しだした。
他の友達も同様だ。家族すらも私を居ないものとして扱いだした。
他にも耳が聴こえなくなった事は狩猟にも影響を与えた。
私達、白狼族は森にいる獣を狩り、その肉を糧としていた。
いつもは出来ていた筈の狩猟が一向に上手くいかない。音が聴こえないだけでここまで違うのか、私は無力感に苛まれた。
どうして私だけ。なんで突然。何度もこの境遇を呪った。
そして私は…売られた。
目が覚めた時にはもう檻の中で事は終わっていた。
多分、奴隷商人であろう男は私が耳が聴こえないことを知り、明らかに落胆した様子だった。
奴隷という劣悪な環境は私の心を緩やかに、しかし確実に削ぎ落としていった。
私が檻の隅で蹲っていると、腕を掴まれて強制的に立たされ、連れていかれる。
抵抗する気力はなかった。だって僅かな抵抗でもしたら問答無用で殴られるから。
暫く連れていかれると、暗い場所に立たされる。
その瞬間会場のスポットライトが私を照らし、白日の下に晒される。
大勢の人間が私を見定める。
あぁ…私はここで売られるんだ。
一寸先の自分の未来を悟った。
何も見たくない。そう思い、目を下に向けてただ私の未来を想像しないように思考を停止させていた。
そんな無駄なことをしているとまたもや移動させられる。どうやら買われたみたいだ。
買った人は誰だろう。
私を解体にして素材にする恐ろしい魔女?
性のはけ口として私を利用する好色な変態?
それとも気紛れに私を買った貴族?
私の目が映し出したのはエルフの少女と少年と犬だった。
見たところ裕福な人では無さそうだ。
冒険者?てことは魔物との戦闘で使い潰させられるのだろうか。
目の前の少女は私に喋りかけているようだが、当然聴こえない。
…はは、この人もどうせすぐに落胆した顔を見せるんだ。
すると突然、肩を叩かれる。
驚いた私は暴力を振るわれないように蹲る。
肩を叩かれた時はよく殴られていたからだ。
『聞こえる?』
蹲っていると聞こえるはずのない声が私の静寂な世界を破る。
私は顔を上げて、声の主を探す。
『俺は犬』『目の前の』
私が目の前に視線をうつすと、真っ白な犬が私の事を真っ直ぐに見ていた。
見つけた…見つけた!
私のこの寂しい世界を打ち破ってくれる人が。
絶対に逃がさない。
私は一切の躊躇もなくその犬に抱きついた。




