〈 15の夏 Last scene 〉希望
たった一週間だけど、季節が少し進んだせいか、空気が澄んでいた。僕たちはまず兄さんに無事に戻ったことを報告して、須藤先生に連絡を入れた。
土曜日の午後に面談室で待っていると先生が入ってきた。
「おー、良かった無事で。心配したんだぞ、これでも。桧山さー、俺、お前の携帯に何回もかけたんだぞ」
「あっ、すみません。俺スマホ家に置いたまま出ちゃったから…」
「兄から聞きました。蒼のお父さんがすごい剣幕だったって」
「そうなんだよ。何かヤバそうだったから、俺が電話したんだけどさ。案の定」
先生は両手の人差し指を上に付き出して頭上にかかげ、おどけて見せた。蒼はあきれ顔になった。
「それって心配って言うより、八つ当たりですよね」
「向こうは家出だって言い張ってたけど、俺は『ばあちゃん家に行くって聞いてます』しか言ってないからな。こっちは数日なら何とかなるし、家出で捜索願い出すかどうか、決めるのは俺じゃないし」
「プライド高いから、それはないですよ」
「そういや、お前を清陵学園に転校させるとか言ってたけど、ホントか?」
「そうみたいですね」
蒼は不機嫌になって、どこまでも投げやりだった。先生はそんな蒼を見ても、怒るでもなく呑気に言った。
「他人事だなあ。どうすんだよ」
「…だって、父さんがあまりにもカッコ悪くて…。自分も変な意地張って学校休んだりしてたけど」
蒼は机に頬杖をついた。先生は蒼の髪を楽しそうにくしゃくしゃとなで回した。
「まあ、それも含めて俺の仕事だから、気にすんな」
「先生、転校のことなんですけど。僕も一緒に行くんで、必要な書類とか用意してもらっていいですか?」
「え?航、何言ってんの」
不機嫌の矛先が、今度は僕に向かってきた。
「蒼も綾さんがいなくなったら、あの家を離れて暮らす方が気が楽じゃない?」
「そりゃ、そうだけど、何で航まで。航の親が許すわけないじゃん」
「一緒に来てって言ったのは蒼でしょ」
僕たちがもめ始めたので、先生が取りなした。
「おー、ちょっと待て。渡部はまだご両親には転校の話してないんだよな?まずそれからだな」
「今日にでも話します。僕もやりたいことが見つかったので」
「そうか。でも、あそこだと試験があるだろ。お前ら二人とも大丈夫か?」
「そうですね。でも、2年生からは行けるようにやってみます」
「わかった。俺にできることなら、何でもするから言えよ。いい結果出せるといいな」
「はい」
僕がかなり突拍子もないことを言ってるのに、先生はすごく楽しそうだった。なんでだろう…?応援してくれるのは嬉しいけど。
蒼はまだ不満顔だったけど、休んでいた分の課題をもらい、先生にお礼を言って僕たちは教室を出た。
「航、なに、さっきの話」
蒼は少し怒っているようだった。
「なにって言ったとおりだよ。一緒に行こうと思って」
「いくらなんでもそこまで迷惑かけられないでしょ?それくらい俺もわかってるよ」
「あのね、蒼。これは僕のためでもあるの。迷惑とかじゃ全然ないの」
「どういうこと?」
僕はこの数日ずっと考えていたことを口にした。
「…僕、医者になろうと思ってて」
「え、だって航は…」
「橘さんに会って、あんな人になりたいって思ったんだ」
「…そうなんだ。うん、それはわかるけど…。でもそれと転校と何の関係があるの?」
「医学部を目指すから、って親に切り出してみようかなって…」
「医学部を受けるから、全寮制の清陵に、か。確かにここより偏差値は高いけどね。でも俺たちと家族との距離だと、そんなふうになるのかな…」
─素直になるのも大切だけど、それで傷ついてもきたからね…
「…駆け引きみたいで、ちょっと寂しいけどね。でも今はそれが精一杯かな…家族なんだし、できれば仲良くはしたいけど、今の僕たちにはまだそれは無理だよね」
だからと言って真正面からぶつかってばかりだと、自分が疲弊するだけだった。じわじわと勇気が奪われていくのがわかる。
たぶん蒼も同じだと思う。
「ちょっと狡いかもしれないけど、やってみてダメならしかたない。でも、たとえうまくいかなかったとしても、相手との距離は変わらなくても、自分が動いた分だけ自分の道が開けるような気がするんだ」
「自分の未来は確実に良くなる?」
「うん、そんな気がする」
「…航、すごい。すごいよ、なんか急に大人になった感じする」
「ふふっ。まずは兄さんにも味方になってもらわないとね」
「じゃあ俺も、どうせ行くなら向こうでやりたいこと、考えてみようかな」
グラウンドでは陸上部の部員たちがインターバルダッシュをしていた。順番にトラックを走る彼らの動きをなんとなく目の端で追いながら、僕たちは校庭の片隅のフェンスに寄りかかった。
「でも、僕から何か投げかけたとしても、あの二人が簡単に変わるとは思えないけどね」
「ここまで拗れちゃうと、急に仲良くはなれないよ…だけど、俺はやっぱり大人が折れて『それでいいんだよ』って示してくれたらって思う。橘さんみたいにさ。こっちはどうしたらいいのか、わからないし」
「そうだよね…僕が望んでるのは、僕をちゃんと見て欲しいってことだけ。兄さんはいつも僕に優しかったけど、あの二人は兄さんを通してしか僕を見てくれなかった」
「…そうじゃない時もあったと思うんだけどね。俺ももう覚えてないかも」
蒼がちょっと寂しそうに言った。
─もちろん、僕たちを受けとめてくれてた時期も確かにあったはずなんだ。いつから、こうなってしまったんだろう…
同時にため息が出た。僕たちは顔を見合わせて
「家族って…」
「めんどくさいね」
ふたりで笑った。
夕焼けと宵闇が交錯する空に、一番星が見えた。
ふと、蒼が真剣な顔になった。
「俺はいつも逃げてばっかりだったのに、航はいろんなことを考えていたんだね。俺はどうしたいのか、まだ何も決まらないな…」
「橘さんと出会えたからだよ。そうじゃなきゃ、こんなこと考えもしなかったよ」
それでも蒼がむずかしい顔のままだったので、僕は続けた。
「…蒼はさ、つらいことたくさんあったけど、そういう人は、他人の心の痛みもわかってあげられると思う。だから学校の先生なんてどうかな?」
「先生か…。勉強は教えられるかいまいち自信ないけど」
「勉強も大事だけど、支えてあげることの方が大切だと思うよ。僕が生徒だったらそういう先生がいいな」
「そっか。須藤先生なんか結構いい加減だけど、わかってくれようとするし」
「そう、それ」
たぶん、これからもたくさんのことが起こるんだろう。楽しいことも、つらいことも。そして何度も躓いたり転んだりして、時には前に進むことも、立ち上がることすらできないかもしれない。僕たちはまだ本当にちっぽけな存在だなって思う。
でも、きっと蒼がいてくれたら、ふたりなら頑張れる。
『守りたいものがあると、人は強くなれるんだよ』
一週間前の自分とは全然違う。
あの泣き虫の蒼でさえも。
「やっぱり航は俺のことをわかってくれる。だから大好きだよ、航!」
蒼は僕のいちばん気にいってる、あの笑顔でそう言った。僕も笑顔を返したけど、照れくさいから、言葉にするのはもう少し先になりそうだ。でも、蒼に届くといいな…
─僕も君が大好きだよ
今月、僕たちは16才になる。
〈 Extra:面談室 〉
「あれ、須藤先生。あ、例の家出騒動の二人ですか」
「ええ。無事に帰ってきたんですけどね。山田先生、いや、若いっていいですねー」
「何ですか、突然。先生だってまだ若いでしょ」
「だってあいつらまだ俺の半分の年しか生きてないんですよ。それに、たった一週間でなんだかすごく逞しくなっちゃって」
「えぇ?映画じゃあるまいし」
「あはは。『STAND BY ME』ですか。あれいいですよね」
Fin
あとがき
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
『いろんな愛のカタチ』を書いてみたいと思って小説を書き始めました。
今回のコンセプトは、本当の自分を見てほしい切ない気持ちと、ふたりの男の子の間に生まれる絆です。男女関係なく一人の人を好きになり思いやる、その純粋でまっすぐな気持ちを伝えたいと思いました。
15才という子どもでも大人でもない年齢であることと、はたから見るとちょっとドキッとはする部分もあるけれど、本人たちは恋愛感情には至らないというギリギリの設定にしました。そしてその枠を越えて『人を好きになる気持ち』を表現できたらいいなと思います。
このお話でいったん『15の夏』の部分が完結になります。
個人的にはこのふたりが気に入ってるので、今後の成長をもう少し書いてみたいなと思ってます。
大学生になった彼らのお話も考えてるので、今後の構成や扱いも含めて決定するまでは「連載中」のままにしておこうと思います。
少し時間がかかりそうですが、書き上がったらまた寄ってもらえたらと思います。
2022.02.17修正
『16の春』を書きはじめてから、『15の夏』を読み返しました。あれだけ何度も読んで納得したものなのに、あれ、なんか違う…。もう少しいろいろできたんじゃないかなって思ってしまいました。
読んでいただいた方にはとても申し訳ないのですが、もっといいものにして、また読んでもらえるように頑張ろうと思っているところです。
いちばん違和感があったのは、航と蒼が交互に語る構造にこだわりすぎてたこと。
もともとはじめは、航の目線ではじめから終わりまで語られていて、二万字もないくらいのものでした。途中でここは蒼の気持ちを入れたい、語らせたいという部分が出てきて、蒼のバージョンも作りました。そのふたつを組み合わせたのが『15の夏』でした。
これがうまくリンクしているところと、くどくなってるところとがあって、肝心のふたりの気持ちとか、なんでそうなったのかの描写が書ききれてないなと思いました。
不思議なことに『16の春』のほうが、自然にふたりに語らせることができているように思いました。ならばこの勢いでもっと素敵な形で残したいと思ったのです。ただ、加筆・修正はしましたが、大筋はそのままです。15と16で齟齬がないように流れも大事にしています。
それでもやっぱりここは蒼の出番という場面では、航の語りの合間に台詞として挿入したり、より詳しい描写を付け加えたりしました。もう少しまとまってきたら、順次再掲したいと考えています。
15と16では特に蒼にはいろんな出来事が起こって大変だったのですが、次の『16の夏』では、日常のひとこまや、平和なひとときの中に、大切な思い出だったり、伝えたい言葉だったりを少し織りまぜる形で穏やかな日々を綴れたらいいなと思っています。
2022.02.17追記