惚れたら負け3
クリスティーナが俺の恋人になって、もうすぐ3ヶ月。彼女は相変わらずコーラリアム酒場で働いているが、夜8時からはウエイトレスではなく調理場、洗い物担当などの裏方だ。
部下が時折「マーメイドを返せ」と俺を責め立てる。
俺は昼休憩を基本13時半に固定した。予定通りなら、クリスティーナと広場のベンチで昼食。彼女がお弁当を用意してくれる。
嫌いな食事が好きになりそうな程、何を食べてもめちゃくちゃ美味い。同じ食材なのに味が違うのは、なぜなのか? クリスティーナは特別なことは何もしてないと言っている。
雨の日は待ち合わせ場所をコーラリアム酒場前にして、レストランで食事。俺の奢り。
突発的な事件があったり休憩時間がずれ込んで、13時半から15分経過したら一緒に昼食は無理、と決めた。その時は、晴れだと署の受付に弁当が届く。
そういう日は昼にクリスティーナに会えなかったショックと、夕方までぶっ続けで働くせいでヘロヘロになる。
弁当があるとやる気を出し、雨だと何もないのでそのまま屍みたいになる。
そうやって、俺達は週に約4回程会っていて、ほぼ毎日クリスティーナの作った弁当を食べている。
この3ヶ月、月曜休みがない。オルセンによれば、部下達が「補佐官に月曜休みを与えたら働かない」とごねているらしい。
オルセンは「しばらく彼らの気が済むまで、すまないね」と毎週月曜日を俺の当直日にした。
休みの日をクリスティーナが無理して合わせてくれて出掛けたら、部下に見つかりオルセンに抗議がいった。
それが3回。そのせいで月曜当直はまだ続いている。腹が立つので休みを無くし、毎日出勤し、部下に厳しく指導するようになった。
今日はその月曜日。朝から翌朝まで仕事とは疲れる。巡回中に強盗事件があり、昼休憩が押した。さらに雨。つまり、最悪の日だ。
俺は食堂で砂利の味や食感しかしない肉にフォークを突き立て、無理矢理口に押し込んでいる。クリスティーナの弁当が食べたい。
もう定時近い夕方なので、職員は少ない。
「エクイテス、食堂飯とは珍しいな。ついにフラれたか?」
オルトが俺の隣に腰掛けた。何も買っていないので、比較的暇になる時間帯だし、暇ついでに俺に会いに来たのだろう。
俺もたまにする。俺のサボりは素振りや空をぼんやり見ることだけど。
月曜日以外の休みはまるで欲しくないし、金のために出世したいし、用事もないので休まないが、仕事ばかりでは息が詰まる。
俺は稼ぎに稼いで広くて大きな家を借りるか買う。クリスティーナと彼女の母と3人暮らし。母親は姉夫婦と暮らすかもしれない。
万が一、俺とクリスティーナに子どもが産まれたら……何人暮らしだ? 部屋数はいくつ必要だ? と妄想している。
外から眺めていた、羨ましかった食卓を囲う家族が、手に入るかもしれない。
恐ろしいから死にたくない。そういう消極的な理由ではなく、積極的に生きたいと願うようになった。きっと、それを人は希望と呼ぶ。
早くクリスティーナとデートしたい。次のデートは少し遠出でニース湖になっている。いつになるんだ?
「この時間に昼飯を食べている。雨だ。そして月曜だから当直。分かるだろう?」
「噂で聞いたけど、誰もクリスティーナさんに手を出せないらしいな。すっかり裏方。朝から昼までの弁当販売時なら少し会えるから、前より行列だってよ」
俺は昨日、クリスティーナが「ここのところお弁当が売り切れる時間が早い」と言っていた事を思い出した。
それで、空き時間が増えたので俺の弁当作りに凝っている、らしい。
「強面でニヤけるな。気持ち悪い。恋人が人気者で優越感か?」
「ちが、違う。ニヤけてない。クリスティーナさんも弁当が売り切れになるのが早くなったって言っていた。そういう理由なのか」
「まっ、新しいマーメイドのホリーさんも人気者らしい。お前みたいに狙ってみるかね」
オルトが頬杖ついた。眠そうにあくびをしている。
「眠そうだな。忙しかったのか?」
「昨日、女と盛り上がり過ぎて」
「ぶほっ」
むせた。変なところに肉が入り、苦しい。咳が落ち着くと、水を飲んだ。
「また娼館か?」
「またってなんだ。たまにだたまに。場末の安い女は質が悪くて嫌。質の良い女だと金が飛ぶ。手当たり次第に口説いて、引っかかった女ならタダか? って最近真剣に悩んでいる」
「おま、お前は……本当に不道徳な……」
「スリや盗みに詐欺に戦場で人殺し。それでここまで来たのに、お前は変なところだけ純だな」
「だからだろ。生きるために必要なことはするが、自分の欲望を単に満たす事はしな……」
「ヤッた?」
再度むせた。食べかけのものはないというのに。
「下街娘や田舎娘って、信仰心が薄くて貞操観念が緩いらしい。本当?」
「黙れ。ここは食堂だ。酒場ならともかく……」
「まだか。ちゅーくらいしたか?」
「ごほっ」
また咳き込んだ。オルトは腹を抱えて、声を出さずに大笑いしてる。
「面白過ぎるだろお前。能面みたいな顔をして、死んだ目をして生きていたのに。俺も落ちてみたいね、恋ってやつに」
バシバシ背中を叩かれた。オルトが立ち上がり、ひらひらと手を振る。
「ちょいちょい観察したけど、他の男の影は全然ねえ。悪女じゃなさそうで良かったな。キスくらいさせてもらえよ」
「おい……」
食べかけなのと、オルトが他の職員に声を掛けたので立つのも追いかけるのもやめた。
(観察か。ったく、過保護め。キスくらい……)
ふむ、と腕を組む。恋人だし、許されるはずだ。最後までしなけれ——……。
(オルトのせいで邪念が! 淑女に触れるなん……別にご令嬢ではないし……まあ、少しくら……ダメだろう!)
煩悩が消えなくなったので、俺は急いで食事を済ませた。書類仕事は上の空。とりあえず休憩時間は素振りと筋トレをすることにした。
★
深夜に連続通り魔が出て大捜索となり、仮眠する暇はなかった。
切り裂かれた女性3人のうち、1人の遺体を見てしまって、朝になっても気分が悪い。
顔が分からないくらいボコボコに殴られ、全裸にされて、全身を切り刻まれていた。
当然というように、女性としても蹂躙されていた。
別々の地区の高級娼婦に下級娼婦。それから職業不明が1名。これから捜査が進むが、今の時点だと彼女達に共通点はない。
よれよれしながら帰ろうとして、通り道を変えた。コーラリアム酒場を目指す。
「すげえ行列……」
当直明けの日は、確実にクリスティーナと会って昼食を食べられる。しかも彼女の仕事までの間という長い時間会える。だから、朝からコーラリアム酒場の前を通って帰ったことはない。
他の日は仕事をしているので、この弁当販売時間にコーラリアム酒場近くを通ることはない。
隣のパン屋と共同で弁当を作り、コーラリアム酒場の看板娘が酒場で弁当を売る。知ってはいたが——……。
(男ばっか……)
部下もいた。休みの部下が1、2……4人もいる。俺は慌てて列に並び、通り側に背中を向けた。
ゆっくりゆっくり、列が進む。小1時間してようやく店内に入れた。
夜とは違い、店を半分に区切るように四角いテーブルが並べられ、各種サンドイッチやパン、大きな皿に乗ったおかずが並んでいる。
店主夫人とクリスティーナ、それからサリーの3人が向こう側に並び、客が持参したバスケットや弁当箱に次々と注文された品を入れていく。
店主や見たことのない男性店員が補助についている。
「うお、このままじゃアメリアさんだ」
「お前、今日はババだな。俺は多分、クリスティーナちゃん……。今日も超絶可愛い……」
「あれ? お前、エミリア派じゃなかったか?」
「嘘だろう。今、サリーちゃんが俺に向かって微笑んだ……」
前の2人組の会話に、頭が痛くなる。
(なーにがクリスティーナちゃんだ。しかも誰でも良いのか)
「次のお客さん! 今日はハズレで私だよ! 待たれても困るから早くしてくれ! また明日来てちょうだい!」
恰幅の良い店主夫人アメリアが、がははと楽しげに笑う。クリスティーナ曰く、元祖コーラリアム酒場のマーメイド。
熾烈な戦いを勝ち抜いた現店主が押して押して押して結婚に至ったらしい。
(マーメイドの原型、ないよな……)
歳を取ったクリスティーナも、アメリアのようになるのか?
店主コルダは中年太りしていて毛も薄い。アメリアとコルダの連携は、他の組み合わせよりも早くて生き生きして見える。
独立した子どもが3人もいるらしい。
(結婚とは、ああいうことか? 家族とか知らないし、ロクに見たことないし、考えたこともなかったな)
俺はぼんやりと想像してみた。クリスティーナがアメリアのように太り……。一緒に鍛錬しよう。俺も鍛え続ける。老兵には、太ってないやつもいる。
「次の方どうぞ!」
前の客がいなくなっいたので、自分の順番。声の主はアメリアだった。
「あんたはクリスティーナの列の後ろで! クリスティーナ! お得意様で命の恩人だ。サービスしてやんな!」
アメリアの発言に俺は目を丸めた。店内がどよめく。何だ? あいつ誰? の言葉や突き刺さるような視線。
戦場の殺気よりは怖くないが、そこそこ怖い。
クリスティーナと目が合う。彼女は一瞬驚き顔をした後に、俺に手を振ってくれた。
忙しさで頬が染まっているのが、さらに赤くなったのは自惚れだろうか。
クリスティーナが接客していた客の後ろに並ぶ。俺と同年代らしき男はチラリと俺を睨み、小さな舌打ちまでした。
「どれも美味しそうで決められないなら、おすすめの詰め合わせにしますね」
「えー、クリスティーナさん。もう少し考えさせて。それで、君のお休みは……」
「不定期です。おすすめの詰め合わせで、5銅貨になります」
「えっ? 高く……」
「ヤナンさん、いつもご来店ありがとうございます」
クリスティーナが客に向かって満面の笑みを浮かべた。男が口を開けたまま固まる。
「いや、はい。クリスティーナさん、俺の名前……」
「容器をお預かりしますので、お隣でお会計をお願いします」
ぼんやりする客からサッと弁当箱を受け取ると、クリスティーナは彼の腕を軽くつつき、袖を引っ張って横へ移動させた。
「お待たせしました。いらっしゃいませ」
笑顔を向けられて、クリスティーナの前に立つ。隣で会計をする客に、また睨まれた。
「ヤナンさん、またのご来店をお待ちしてます。おすすめの詰め合わせが気に入ったか、今度感想を聞かせて下さいね」
隣で会計が終わり、弁当を受け取った客にクリスティーナが手を振る。
「は、はい! また来ます!」
客はヘラヘラしながら帰っていった。店中の客が彼を睨んだ気がする。その後、彼等の視線は俺に集まった。居心地が悪過ぎる。
俺は先客を見るのをやめて、クリスティーナと向かい合った。
「おはようございます、エクイテスさん。初めてですね。当直明けって帰る時間、遅いんですね。朝ご飯です?」
「いやあの、昨夜かなりぶっそうな事件があって。君は夜中に出歩いたりしないだろうし、関係ないとは思ったんだけど、気をつけて欲しくて。早めに教えておきたいと」
「いつも気をつけていますけど、さらに気をつけますね。ありがとうございます」
今日も変わらず可愛い笑顔。しかし、営業スマイルだ。いつもとの違いが分からない。
「心配なので、今日の昼は迎えに来ます」
「過保護ですね、エクイテスさん。嬉しい」
クスクス笑うと、クリスティーナは眉根を下げた。
「すみません。あんまり長く話すと怒られちゃうので、何にしますか?」
「すみません。つい。その丸いパンで」
「野菜も食べないと、体に悪いですよ」
そう口にすると、クリスティーナは俺が指で示した丸いパンではなく、サンドイッチを紙袋に入れた。
「お会計はありません。また後で」
小さな声で囁かれ、隣に移動する様に目配せされた。素直に移動する。男性店員から紙袋を受け取る。
「次の方どうぞ」
クリスティーナの次の接客が始まる。楽しそうに笑う彼女に背を向け、店を出た。
(他の奴に気持ちが移るとか……普通にあり得るよな。こんなに客が押し寄せて……)
徹夜明けで朝日が眩しい。目が痛い。俺は帰路につきながら、クリスティーナの分け隔てない笑顔をぐるぐる、ぐるぐる、もやもや、何度も思い出した。