策士、策に溺れる5
(戦場で成り上がって騎士になったのなら、その職を奪われるのは嫌よね、きっと。必死に出世して副隊長補佐官になったんだろうし)
腕を組んで歩いていれば、そのうち彼の部下の巡回騎士が目撃して、少しは噂になるだろう。
恋人を殴って大怪我させたなんて醜聞は、結構なダメージを与えそう。それを作戦の1つとして加える。
「オルトさんと羨ましいくらい親しげでしたけど、昔からのご友人なんですか?」
「羨ましい? ああ、あいつは良い奴です。いつも俺のことを助けてくれて。俺より、うん、誘うと良いですよ」
話が噛み合っていない。
「いえ。私が親しくなりたい方と仲が良かったので、羨ましかっただけです」
「えっ?」
エクイテスの耳がほんの少し赤くなった。でも渋い表情。照れるとこういう顔になるのかもしれない。
「オルトさんとは、昔からのご友人ですか?」
「孤児院を一緒に飛び出したので、友人というか、兄弟みたいなものです」
オルトも家族なしか。しかし兄弟みたいな存在か。
エクイテスはオルト。オルトはエクイテスが弱点の1つかもしれない、と心に刻む。
「お兄さんは……オルトさんです?」
一昨日の夜、エクイテスがオルトに散々揶揄われていたことを思い出す。
「俺ですよ。昔から俺が何でも世話をして。でも、気がついたら俺の前に出ていて、俺より上の階級になっていて、オルトは凄い奴です。そうなると、俺が弟か」
エクイテスは自慢げに胸を張った。肩を揺らし、愉快そうな笑顔。白い歯を見せて、楽しそう。
(笑った……)
笑うと別人。一昨日の夜の満面の笑みが蘇る。
「危ない」
いきなり体を引き寄せられた。そこそこ速度を出した荷馬車が横を通り過ぎる。
私はまた彼に助けられたらしい。
「そこの! もっとゆっくり運べ! 市民に怪我人が出たらどうする!」
頭の上で怒声がした。急に抱きしめられたものだから熱い。逞しい腕だ。胸板も厚そう。
(果物包丁じゃ、死ななそうね……)
シャツの上に手を添えて確認すると、筋肉質そうだった。包丁は買い直した方が良さそう。
「うおあっ! すみません」
エクイテスが勢い良く腕を離した。
「助けていただいてありがとうございます」
「い、行きますか……」
歩き出したエクイテスは、腕を少し曲げた。手をどうぞ、という意味だろう。
(変なの。さっきより緊張する)
私はおずおずとエクイテスの腕に手を伸ばした。再び腕を組むと、エクイテスは歩き出した。
「店はもうすぐそこです」
エクイテスが微笑んだ時、私はあまり意識せずに笑みを返していた。
☆
予約してくれた店はこじんまりとしたレストランだった。高い天井に季節の花が飾られた、小洒落たお店。
料理は味だけではなくて見た目も楽しい品々だった。特にデザート。
高級品のチョコレートのパフェ。パフェが何なのか分からなかったけど、目の前に現れた時には感激。
アイスクリームにチョコレートケーキ、果物が層になっていた。そんな贅沢品は初めてだった。
食事が全て終わると、店の前のベンチで待たされた。
(女性受け抜群のお店。支払いは見せない。女性に慣れてなさそうだけど、色々予習したのかしら)
レストランの扉が開いたので立ち上がる。
「エクイテスさん、ごちそうさまです」
「いえ」
食事中と同じで、目が合わない。照れらしい、ぶすくれ顔にも慣れてきた。
休日は必要性をあまり感じないのでほぼ無い。たまの休みも掃除や洗濯が終われば訓練をしている。日々の食事は署の食堂。仕入れた情報はそんなところ。
仕事命なら、やはりその仕事を奪うことが復讐になるだろう。
オルトはどうだろうか? エクイテスと親しくなれば、自然とオルトの情報を得られるだろう。
「今日はありがとうございました」
短い髪を掻きながら、エクイテスは私を見据えた。
「それは私の台詞です。素敵なお店に連れてきてくれて、ありがとうございます」
「いえ。あの、クリスティーナさん。まだお時間はありますか?」
また目が逸れる。チョロい。エクイテスはチョロ過ぎる。
笑顔を振りまいて、好意を抱いているフリをしたら落とせるなんて、ラッキーだ。
「もちろんです」
「市場か、美術館かハーブ園。どこか行っても良い場所はあります?」
その時、鐘の音が響いた。時計塔の時計盤が見える位置なので確認する。15時だ。
そんなに長く食事をして、話をしていたことに驚く。
「……時計塔」
「時計塔?」
「登ったことあります? 私はないです。上京してから、無我夢中で観光なんて全然。あそこ、この街で1番空に近いですよね?」
信仰熱心ではなかったけれど、きっと父は天に召された。大鷲神シュナの翼に見立てた枝細工を、私達家族はきちんと棺に入れたから。
「行きましょうか、時計塔」
「はい。ありがとうございます」
レストランまでと同じように腕を組んで歩く。エクイテスは期待しているような態度だったので、腕を組むのは楽勝だった。
「先に市場へ行きましょう。その靴だとあの階段は大変だと思います」
「あの階段? 登ったことがあるんですか?」
「足腰の鍛錬ついでに、たまに夜空を見に。眠れない時とか」
「眠れないことがあるんですね」
私もある。優しかった父との思い出を夢に見て、飛び起きて泣いてしまう。
「まあ、たまにです」
見上げたエクイテスの横顔は険しい。そして暗い。
照れの仏頂面とは明らかに違う。なんだか胸が痛む。自分が眠れない時の感情を想像したからだろう。
「眠れない程辛いことがあるのですか?」
「いえあの。大したことはありません。古傷が痛んだとか、変な夢を見たとか、よくある話です」
エクイテスは私に困り笑いを向けた。
「よくあるだなんて、ありませんよ、古傷なんて。夢はそうですね、誰にでもあるかも知れません。楽しいだけの人生はないですから」
「多分、今夜はよく眠れると思います」
エクイテスがはにかみ笑いを浮かべた。
「こんな風に穏やかな時間は初めてなので。それに、その、クリスティーナさんの可愛らしい笑顔は癒しですから」
口にした瞬間、エクイテスはそっぽを向いて視線を落とした。耳がかなり赤い。
つられて体が熱くなる。
(嘘。この人、女性を褒めたりとか出来るんだ。サラッと言っちゃって。私が照れてどうする)
酔っ払いに褒められる日常だけど、昼間に酒の入っていない相手に、このように真っ直ぐな目で褒められたことなんてない。
「ありがとうございま……」
「靴屋。あの靴屋で靴を買いましょう。市場まで行くと遠回りです。良かった、靴屋があって」
早口で捲し立てると、エクイテスは靴屋に向かって歩くスピードを上げた。
調子を崩して、うまく演技が出来ないというか、胸がバクバクドキドキするので、気がついたら歩きやすい靴を買ってもらっていた。
私の履いていた靴は紙袋に入れられ、エクイテスが持ってくれている。
持ちます、いえ自分で、の応酬になり、店員に生温い目で見られたので、好意に甘えることにした。
その後、大通りで巡回の大人数用の立ち乗り馬車に乗り、時計塔のある広場まで移動。
お互い、ほとんど顔を見ていないし、ほぼ会話なし。たまに目が合うと「良い天気で空がよく見えそうですね」「はい、楽しみです」の繰り返し。
靴の件といい、褒められてから、私の調子はすっかり狂ってしまった。
時計塔に着くと、エクイテスは観光窓口ではなく裏手に回った。
「管理者用の通路、ほとんど使われていなくて、うんと上まで行けるんです」
エクイテスは悪戯っぽく笑った。裏口の「関係者以外立ち入り禁止」と掲げられている扉を、躊躇無く開く。
2人並んで入れる出入り口ではないので、腕組みを止める。すると、エクイテスに右手を取られた。大きくて、骨張っていて、固くて、豆の感触もある。
エクイテスは振り返らないで進んでいく。私の手を握るエクイテスの左手の手首には、靴の入った紙袋が下がっている。
紙袋が揺れて、私の服に時折当たる。なぜ空いている右手に持たないのだろう?
繋いでいる手が熱を帯びている。乾燥気味の硬い手でひんやりしているのに、熱いと感じる。
「秩序を守る市内警備騎士隊員なのに、不法侵入なんて悪い人ですね」
調子を取り戻そうと、私は軽口を叩いてみた。階段を登りながら、エクイテスの背中を見つめる。
大男ではないけれど、がっしりとしていて大きな背中。
(やっぱり果物包丁ではビクともしな……)
「今は業務外ですから。仕事中は真面目に働きますよ。上へ行けば行くほど、金も自由も手に入る。部下を抱えて、陽動役で死んでこいとか、2度と御免です。自分のことだけを考えていれば良い、下っ端の捨て駒の方がマシでした」
「そういえば、歓迎会の日にそのような事を言っていましたね。ファムズ将校が逃走する為の盾になったと」
「無茶苦茶な作戦を立てられてしまって。身重の妻が待っている。幼馴染みと結婚予定。孫が生まれた。娘が結婚する。端で聞いていましたけど、色々いました。俺には帰りを待つ人なんて誰もいないし、守ってやりたかったです」
今、彼はどんな表情をしているのだろう。背中を向けられているので分からない。
マイクの話をした時、心底嬉しそうだったエクイテスを思い出す。
(下っ端の捨て駒の方がマシ……。やっぱり、私が刺すべきなのはオルトの方?)
嬉しい。そう思った自分を、心の中でビンタした。オルトの弱点は今のところエクイテスしかいない。
「エクイテスさんにはオルトさんがいるじゃないですか」
「オルト? ああ、あいつなら墓を作って酒をかけるくらいはしてくれそうです。お互い出世して、部隊が変わったから、骨を拾ってもらえないな……」
後半は独り言のようだった。
「戦争がなければ、正義を貫く市内警備隊員で市民から拍手喝采。しかも今は隊長補佐官。そりゃあ熱心に励みますよ。でも根はろくでもないんで、不法侵入くらいします」
エクイテスが振り返った。予想に反して満面の笑みだったので、思わず息を呑む。
「楽しみにしていて下さい。不法侵入する価値のある景色で……クリスティーナさん?」
「えっ?」
「すみません。疲れました?」
私は首を横に振った。急な笑顔に驚いたとは言えない。
「いえ、靴のおかげで全然」
「先は長いですし、少し休みますか」
「いえ、早く見たいです。エクイテスさんおすすめの景色」
私は階段を一段上がった。どうしてだか、これ以上登ってはいけないような気がした。