策士、策に溺れる4
そろそろ22時半時。まもなく閉店の時間。客はもうまだら。
(エクイテスとオルトはまだいる。エミリアはもう上がっちゃったし)
仕方ない、とエクイテスとオルトのテーブルへ向かう。
眠そうな顔をしたエクイテスと目が合う。彼は何度か瞬きをして、俯いた。
ブランデーの瓶は空で、白ワインも3本空いている。2人とも酒豪だ。料理も結構注文していた。
「そろそろラストオーダーですが、何かご注文はありますか?」
「クリスティーナさんをこいつに」
オルトがそう言った瞬間、エクイテスが彼の頭を勢いよく叩いた。
「お前は、本当、バカやろう」
「いてーな。酒場で定番の軽口だろ。殴るなよ」
「そういう軽口を何百何千と言われて、きっと毎日迷惑している。気苦労を増やすな。すみません、もう帰りますので」
「まだ帰りたくない。もう少し、もう少しって言っていたのはお前だろ」
「返事をするタイミングを見計らっていただけだ」
エクイテスが私を見上げる。渋い顔だ。
「その、明後日の事なんですが……」
断られるのは困る。しかし、第3部隊がこの店を貸切にする予定があるなら、オルトについて探る機会はまたある。
ひとまず、断りづらそうな悲しい表情を作ってみた。クリスティーナ、断られて泣いちゃう。なーんて。
「仕事があるので待ち合わせは夕方でも良いですか? 夕食をごちそうします」
そう口にすると、エクイテスは視線を落とした。嬉しさを伝えようと笑ったのに意味無し。
「夕方ですので危険がないように18時に迎えに来ます」
「休めば良いのに。ああそうか、口説き落とした後を考えると夜の方が色々都合が……」
「お前は黙ってろ」
オルトの頭をエクイテスが叩く。バシンッと良い音がした。もっと叩け。いっそカチ割れ。オルトは仇疑惑濃厚の男だ。私の手間ひまが減る。手も汚さなくて済む。
「すみません。やっぱり昼にしましょう。ワーグス広場で待ち合わせで。仕事はどうにかします。帰ります。お会計をお願いします」
エクイテスはスッと立ち上がった。オルトも立つ。エクイテスは少しよろめいた。顔も赤らんでいる。
伝票を渡すと、エクイテスはズボンのポケットから財布を出して、支払いをしてくれた。
「いやあ、ごちそうさま。エクイテス」
「ったく。帰還祝いとはいえ人の金だと思って……」
「奢るって言ったのはお前だろ。クリスティーナさん、クリスティーナさん。もう1人のマーメイドを店主が送っていましたね。クリスティーナさんは俺達……じゃなくてこいつが送ります」
「彼女は住み込みで送迎なんて必要ない」
「へえ、事前リサーチ済みか。残念だなエクイテス、送り狼になれなく……」
「その口切り落とそうか? オルト」
エクイテスはオルトを睨み、帯刀している剣の鞘に手を触れた。
「怖っ。店に入るのに、気持ち悪いくらいモジモジしていたくせに。俺が行きたい店を却下して、ここに連れてきたくせに。お邪魔虫だから先に帰るわ。また飲もうぜエクイテス」
ヒラヒラ手を振ると、オルトは歩き始めた。
「あの、あいつはふざけた男で。酔っているし。口から出まかせを」
慌てたようにエクイテスは私に向かって両手を横に振った。
「出まかせですか? 私はその……いつタルタルフライを食べに来るのかなって、毎日待っていました」
「へっ?」
照れ笑いを浮かべてジッと見つめると、エクイテスは視線を上げて髪を掻いた。
脈ありなら、押して押して懐に入る。エクイテスとオルトはとても親しそうだったから、エクイテスを落とせば、オルトの情報を聞き放題。
エクイテスのことも知りたい。怪しいのはオルトだけど、エクイテスもまだまだ調査不足だ。
「ごちそうさまでした。失礼します」
会釈をしたエクイテスに、私は小さく手を振った。
「月曜日、楽しみにしていますね」
笑顔で告げると、ペコリと再び会釈をされた。エクイテスはまるで酔っていないように背筋を伸ばし、スタスタ歩いている。
なのに店の外へ出る際、彼はドア枠に激突した。
(あら可愛い。動揺してる)
心配するフリでもするか、と駆け寄る。追いつく前に、エクイテスは何もありませんという様子で外へ出て行った。
閉まった扉をそっと開く。
「よっしゃー!」
隙間から飛び込んできた歓喜の声と、エクイテスの破顔に私は固まった。
驚きで心臓がドキドキと音を立て始める。
(あの人、あんな風に笑うんだ……)
微笑みくらいしか見たことなかったので衝撃的というか、印象的。
私は扉を閉じ、扉に背を向けて接客に戻った。
☆
2日後、1番自分に似合うと思う服を選んだ。髪を丁寧に梳かして、半分は編み込み。
化粧は薄め。でもしっかり施した。
エクイテスを骨抜きにして情報を得る。
店を出て、時計塔を確認しながら歩く。待ち合わせ時刻の10分前には着くだろう。
(エクイテスとオルトの家族構成。最低限それは知りたいわ)
ワーグス広場に到着すると、エクイテスはもう到着していた。
「エク……」
「クリスティーナさん」
声を掛けられて、足を止める。常連客の1人、ハリーだった。エクイテスの部下の1人。
「こんにちは、ハリーさん」
「いやあ奇遇ですね。お出掛けですか?」
ハリーは照れ臭そうな表情で、私を上から下まで眺めた。
「今日も可愛らしいですね。いえ、いつもより。もし、もし良かったら……」
私は困り笑いを浮かべ、エクイテスの方へ視線を移動させた。ハリーが私の目線を追う。
「えっ……」
「お誘いしたんです」
「噂は本当だったんですね。俺なんて随分前から通って……」
「命の恩人ですもの」
私は笑顔を作り、ハリーに会釈をして彼から遠ざかった。
(噂になった方が、あとでどうとでも利用出来るわよね。暴力振われて捨てられたとか)
エクイテスは噴水前に立って、腕を組んで仁王立ちしている。渋い顔で噴水を見つめている。
隊服ではないけれど、黒羽コートを羽織っていて、騎士だと示す腕章も付けている。凄い威圧感。
「エクイテスさん」
あと数歩のところまで来たので名前を呼ぶ。彼は私が声を掛ける前に私に気がついたようで、腕組みをやめて顔をこちらに向けた。
渋い顔がみるみる驚き顔に変わる。
「お待たせしてすみません」
返事がない。エクイテスは固まっている。瞬きもしない。
「エクイテスさん?」
「えっ? あっ? いや、はい。待っていません。いや、女性を待たせるなど言語道断なので、そこそこ早く来ました」
エクイテスは眉間に皺を作り、私から顔を背けた。
(うーん、見惚れた? 単に声を掛けて驚いた? 前者ね。私のことタイプっぽいもの。ここまでトントン拍子ってことは、気に入られたのは見た目よね)
私はエクイテスの隣に並んだ。男性と2人で出掛けた事なんてないが、酒場で数多の男と渡り合ってきた。
笑顔、愛嬌、褒め、軽口や軽いボディタッチに逃げ足。必要なのはそれ。
「優しくて紳士なんですね、エクイテスさん」
「いや別に。当然の心掛けです」
営業スマイルを投げてみたけど、エクイテスはこちらを見ない。
「店を予約してあるので行きましょうか」
エクイテスが歩き始めたのでついていく。彼の歩幅は大きく、スピードも速い。
必要があればよろめいた振りでボディタッチ、という手を使うためにヒールを履いてきた。そのせいで真横をキープするのに早歩きは疲れる。
(女性に慣れてないのね)
ほんのり眉間に皺を作った、ほぼ無表情という横顔を眺めながら歩く。
左側にいるので、火傷跡のようなケロイドが良く見える。戦場で怪我をしたのだろうか。
「お礼をするのは私なのに、お店を予約してくれたなんて、ありがとうございます。お支払いは私がします」
「仕事ですのでお礼なんて要りません。当然支払いなんてしなくて構いません。気にせず」
「でも……」
「お礼は要りませんので、今後は窓辺に座るのをやめて下さい。危険です」
「はい。懲りたのでもうしていません。立派なお仕事に優しい性格で、ご両親自慢の息子さんなんでしょうね」
さあ、教えてエクイテス。貴方の情報を。
褒めたけど、嬉しくなさそう。というより、表情の変化がないので分からない。
「いえ俺なんて。孤児なので両親はいません。いやいても知らないですね」
予想外の解答。
「すみません、私……」
「気にしないで下さい。俺が気にしていないので。孤児院が嫌で飛び出して、裏路地で悪さして、成り上がろうと戦場に出て。俺はロクな男じゃありません」
エクイテスが足を止めた。こちらに体を向けて、私を見下ろし、困り笑いを浮かべている。
「なのにすみません。誘ったりして。あの、ご自宅まで送ります」
「誘ったのは私ですよ。ロクでもない人は、命は尊いなんて言わないと思います。仕事で人助けをしても」
エクイテスは困り笑いをやめた。無表情で瞬きを繰り返している。
私はエクイテスの腕に手を伸ばした。彼の袖をそっと掴む。
「行きましょう。エクイテスさん、その人がロクでもないのか決めるのは他人です」
微笑んで、ジッと見つめる。エクイテスは無表情のまま。
(孤児か。家族相手に復讐は出来ないと……。俺なんてとか、誘ったりしてとか、ロクでもないか。自尊心が低いのね)
口説き落とせば、さらに情報は増える。
「いや、あの……」
「ゆっくり歩いてもらえると嬉しいです。少しでも顔が近くならないかと思って、ヒールを履いてきてしまったから、歩きにくくて」
「えっ? すみ、すみません。歩きにくいことに気がつかなくて」
「ロクでもないですね、エクイテスさん。直した方が良いと思うので、転ばないように支えて下さいね」
緊張しながら、エクイテスと腕を組む。上手く笑えたかな? 私はドキドキしながら歩き始めた。エクイテスが足を動かし始める。
懐に入る、気に入られる為とはいえ、気合いを入れても恥ずかしい。
デートの練習、男性を口説き落とす練習をしておけば良かった。
エクイテスは明らかにゆっくり歩くようになった。