おまけ—オルトのその後—
アルタイル王国の交易都市アストライア街——
本日、アストライアのとあるお屋敷でガーデンウェディングが行われた。
新郎は騎士団所属、特別顧問副隊長オルト。新婦は伯爵家侍女アルベルティーナ。この新婦が私である。
働いているお屋敷の主夫婦のご好意で、私達は伯爵邸の庭で挙式を出来た。
挙式後は夫になるオルトいきつけの酒場で二次会。
滞りなくガーデンパーティーは終了し、酒場での二次会も終わり、私とオルトは家に帰宅。
私とオルトは母と妹夫婦と共にこの家で暮らしているので、今夜から新婚生活とはならない。
空き家というものは人が住めなくなってしまうものなので、私達はこのお屋敷で暮らし、あらゆるものを綺麗に管理することも仕事である。
結婚前に夫婦の寝室を決めて、伯爵夫人に報告をして、許可が出たので今夜からこの部屋が私とオルトの部屋。
以前、このお屋敷の持ち主がここで暮らしていた時に、この部屋は住み込み従者の部屋だったそうだ。
住み込み人は少なくて、お屋敷は広かったので、客間を従者に貸し出していたという。
二人で寝ても少し余裕がある寝台に、長椅子にローテーブルに美しい調度品。
身分証が奴隷なのに、ここで暮らしていくのはとても不思議。
湯浴みをして寝室に足を踏み入れたら、オルトは寝台に突っ伏して眠っていた。
昼間の人前式の時から、割とお酒を飲まされていたのに、二次会でエクイテスと同僚達に飲まされまくっていたので仕方がない。
待つのは落ち着かないから先に湯浴みをどうぞ、と言われたけれど、最初から寝てしまうつもりだったのかも。
頬をつついてみたけど反応無し。シャツのボタンを二つ外してみたけど無反応。
「オルトさん」
うにゃ……むにゃ……という返事とは呼べないような声がオルトの方から出たけど起きないみたい。
寝つきが悪い。眠ってもすぐに目が覚める。深い眠りにはつけないと言っていた頃が懐かしい。
最近のオルトは、そのような睡眠障害はあまりないそうだ。
寒い季節ではないので、オルトを布団の中に入れなくても風邪をひかないだろう。
起きないから、重たいオルトを動かして布団の中に入れるのは無理。
「お休みなさい、あなた」
お休みなさいオルトさんは何度も言っているので、今日はドキドキしながらそう言ってみて、布団に潜って部屋の灯りを消して就寝。
☆★
アルベルティーナは鈍足なのに、足の速い俺が追いつけない。
「オルトさーん。早く、早く。捕まえて下さい」
ふわふわヒラヒラした花嫁衣装のアルベルティーナを追いかけ続けているけど、ちっとも距離が近づかない。
へとへとで疲れた、と思ってしゃがんだら、走り続けていたせいか気持ちが悪くなって嘔気に襲われた。
「ゔぅっ……」
気分不快で目が覚めて、俺は寝ていたのかと気がつく。
俺は暗闇の中にいて、そういえばアルベルティーナの湯浴みが終わったら交代だったと思い出す。
「は、吐く……」
アルベルティーナはまだ湯浴みか? と考えつつ、耐えられなくて起き上がって、口を押さえて部屋を飛び出した。
部屋を出たものの、二階には嘔吐できるような場所はないと気がつき、急いで服を脱いでそこに嘔吐。
酒場でわりと吐いたので、出てきたのはおそらく胃液。酸っぱい感覚があるし、固形物はあまり出てこなかったので。
少しスッキリしたので、汚れた服を持って一階へ降りて、洗濯場へ行き、星空の下でシャツ洗い。
新婚初夜に俺は何をしているんだ……。
湯浴みをして、歯を磨き、着替えを持ってくるのを忘れたから素っ裸で部屋に帰るしかない。
体を拭く用の布はあったので、それは腰に巻いた。
元々、夜にもそこそこ目がきく方だし、月がしっかり出ているので、ロウソクもオイルランプがなくても、わりと普通に廊下を歩ける。
寝室に入ってから、ごくごく自然に湯浴みをしたけど、そこにアルベルティーナがいなかったということは、彼女の湯浴みは終わっているということだと思い至る。
まさか……と寝台を確認したら、一部が盛り上がっていた。
さらに確かめると、アルベルティーナが横向きで寝ていた。
初夜だけど、夫になった男は酔って寝たから眠った新妻。
しゃがんで彼女の様子を確認したら、実に気持ちの良さそうな可愛い寝顔。
気持ち良く寝ているのに起こすのは可哀想。なので、俺は一人掛けの椅子を持ってきて、そこに座り、一晩中新妻の寝顔を眺め続けた。
やがて窓の外が明るくなり、カーテンの隙間から光が注ぎ始めて、それはまるで俺の人生のようだと物思いにふける。
気がついたら孤児院にいて、そこそこ酷い目に遭ったし、成り上がろうと剣を握りしめた結果、悲惨な惨状の前線にいた。
両手を見つめて、俺は未だにアルベルティーナの父親を使い捨てにしたことに後悔も謝罪の念も抱けていない、この血染めの手で神々しい妻に触れるのかと慄く。
『その手を拭かせて下さい』
彼女は俺が、血染めの手を誰かを守るため以外で血塗れにしたら去るだろう。
好きで暴力を使ったことはない。
力が無ければ何も守れない。俺は自分が大事で、それ以上にエクイテスが大切だった。
エクイテスは強いけれど、俺よりはなんだかんだ弱いし、あいつは利他的。
この世は理不尽で、残酷で、情け容赦ない。正義は勝たなくて、弱者や敗者は踏み潰されるだけだ。
だから強者や勝者が正義側につかないとならない。その正義がなんなのかは分からないけれど。
俺が親友や部隊の兵士達を守るという正義は、一番の足手まといを切り捨てて、道具として使うという悪である。
考え始めると沼にずぶずぶ沈んでいくので、俺は思考を止めた。
アルベルティーナがゆっくりと体を起こして、腕を伸ばしてふぁあああと生あくび。
可愛いな、と眺めていたら彼女はこちらを向いてニッコリ笑って「おはようございます」と言ってくれた。
「おはよう」
「体調は大丈夫ですか?」
「二日酔い」
「それなら今日はゆっくり……夜勤でしたね」
「そっ、普通の騎士じゃないから働かされまくりだ」
この日から一週間夜勤で、夜勤明けに部下達が「おめでとうございます。お祝いするからご馳走して下さい」と群がってくる。
うざいと拒否しようとして、ここはゴルダガではないので、部下にそっぽを向かれて、オルトは嫌だと言われたら、あの恐ろしいユース王子に次はどういう駒にされるか分かったものじゃない。
どんどん待遇が悪くなっていくのは明白なので、仕方がないと部下に安酒を奢り、女を口説く方法やらを聞かれ、俺はモテていなかったから無理と思いつつ、教えないとそっぽを向かれるので以下略。
夜勤から日勤になっても、そういう生活は変化なく、仕事終わりに部下達に誘われるので、俺は変わった就任経緯だから安月給なので、金が無くなるからすまないと頭を下げた。
ゴルダガにいた時なら、うるせぇ、金が無いから行かねぇよで終わりだったのに。
教育は俺の仕事の一つなので、勤務中はゴルダガの時のように振る舞っているけど、退勤後にはそれは出来ない。
「それなら俺達がごちそうします」
「そうです、そうです」
新婚だから家に帰りたい。しかし、非モテ女っ気無しの部下達にそれを言ったら評価ガタ落ち。
俺は苦肉の策で、パンとワインを買ってくれるなら、家に呼ぶと部下達に告げた。
「俺は女のことは分からないけど、妻や義理の妹は女だから良いアドバイスを聞けるだろう。あと二人の母親もいるし」
「……妖精がお酌してくれるんですか?」
「妹は子育て中だから無理だけど、妻はしてくれるだろう」
俺も行く、俺も行くと始まったので最初からこうすれば良かった。
しかし、そこに隊長が通りかかって、俺が今暮らしているお屋敷は俺の家ではなくて、王族の所有物なので宴会禁止だろうと叱責された。
「空き屋敷の管理の為に住んでいる。それを忘れるな」
「……ああ、そうでした。すみません。その辺りは全部エクイテス任せにしていて」
「領主様もそうしているからな。君は騎士としての実務では優秀だが事務系は酷い」
「そりゃあ学も教養も無い、成り上がりからの捕虜なんで。捕虜っていうか裏切り者。俺は安全や人並みの生活っていう餌をくれる相手に従う忠犬です」
隊長は「新婚を捕まえて家になるべく帰さない作戦はやめなさい」と部下達をたしなめた。
自分の時にされるぞ、と告げながら。
それで俺には、これは伝統行事みたいなものだから、あしらって帰りなさいと注意。
そうして、俺はわりと早い時間に帰宅。
真夜中に帰って、家にいる者達はもう眠っているということはなく、エプロン姿のアルベルティーナが出迎えてくれた。
白いエプロンにはレースがついているので、実に良く似合っている。
「ようやく早く帰れた」
「少し前に隊長さんが馬で来て、今夜からのオルトさんは少しずつ早く帰れると教えてくれました。部下の方々のお祝いがそろそろ終わりだと」
アストライアで一番の人気者は領主ではなくて多分隊長。
俺もあの気遣い屋はかなり好んでいる。
アルベルティーナにコートを渡していたら「湯浴みにしますか? それとも食事ですか?」と問われた。
「それとも私? じゃなくて? なんか昔、どこかで聞いた。新妻はそう言うって」
「……それなら、それとも私ですか?」
このように、可愛いことにアルベルティーナは俺の悪ふざけに乗ってくる。
「アルティを食べるなら、清潔にしてからだから湯浴みが先。夕食はもう食べたか?」
「ええ。今夜も遅いのかと思って」
真っ赤になったアルベルティーナが、それなら私も湯浴みをするから、母に食事を出してもらってと言って逃亡。
後は寝るだけという状況になり、帰ったら眠っているアルベルティーナではなくて、部屋の長椅子にちょこんと腰掛けている彼女がいて、かちこちに固まっていた。
隣に座ってさっさと押し倒そうとした結果、予想に反して体が動かず。
既婚者は妻という女に手を出して良いし、新婚なら毎晩どころか昼夜問わずでも構わない。
それが常識なので、俺は新婚初夜からヤル気満々だったのに今日まできてしまった。
隣に座ってかなりの時間が過ぎて、アルベルティーナがチラッと俺を見上げた。
期待の眼差しが可愛くてくすぐったくて、俺はじりじりと彼女から離れた。
「オルトさん?」
「ちょっと休憩。思っていたのと違う」
「思っていたのと?」
「妻なら手を出し放題だからヤリまくろうと思っていた」
助けてエクイテス!
俺は椅子から立ち上がって部屋を飛び出して、エクイテス家族の部屋に飛び込もうとした。
しかし、鍵がかかっていたので出来ず。ドアをノックしてエクイテスの名前を連呼したけど無視されたので、渋々戻った。
そうしたら衝撃的なことに、薄灯りの中に、かなり過激な格好をしているアルベルティーナが立っていた。
胸も尻も半分しか隠れないヒラヒラした薄布は総レースのように見える。
何かを履こうとする体勢だった彼女は、俺の登場に驚いてよろめいたけど転びはせず。
「……」
この屋敷には俺以外には、ノックをしないで部屋に入るバカはいないけど、とりあえず部屋の鍵をしめた。
「私に色気が足りないからその気にならないのかと思って……」
「いや、単に緊張……」
緊張ですか……と呟いたアルベルティーナはゆっくり俺に近寄ってきた。
「アルティ……。そういう服は慣れてきた頃に頼みたいんですが……」
ビクビクおどおどするような天然ちゃんは、ボーガンで俺を撃ち殺そうとしたように、時々肝が据わっている。
壁際に追い詰められて、両手を挙げたら、くっつかれてしばらくそのまま。
服の膨らみだけで分かっていたけど、胸元にくっついた彼女の胸は結構ある。
早く揉みたいのに体は動かず。
「慣れました?」
「……多分、少し」
しかし、俺の息子は緊張で萎れている。
アルベルティーナは過激な格好になるとか、俺にくっつくことは出来るのに、キスするのは無理な変な照れ屋。
キスしたら襲ってしまうんじゃないかと考えて、挙式まで何もしなかった俺。
今はもう襲っても良い関係性なのでキスしてみた。
何回でもしたいと感じたので繰り返していたら、だんだん緊張が取れてきて、なんでも出来るような気がしてきた。
そうしたら手は勝手に動いたし、あそこも元気になってきたのだが、今度はアルベルティーナが「予想よりも恥ずかしいです」と逃亡。
おまけに寝巻も着てしまった。
「アルティ。誘ってきたのは君だけど?」
まだ胸がドキドキしているけれど、緊張よりも興奮と欲情が勝っている。
女を抱くだと心も体も萎えるのに、アルティを抱くだと血気盛んのようだ。
逃げて、なぜかカーテンにくるまろうとしたアルベルティーナを捕まえて、寝台に組み敷いて、寝巻のボタンを外そうとしたら、彼女はぷるぷる震え始めた。
「怖い?」
せっかく興奮したのに萎えていく。
しかし、大事なのはアルベルティーナの気持ちだし、俺は女が全員ダメではないというのは朗報。
「怖くなくて、とにかく恥ずかしいです」
「さっきまで胸も尻もほぼ丸出しだったのに? しかも俺に揉まれまくったのにさ」
「だからです! もうっ。言葉は選んで下さいって言っているのに……」
アルベルティーナは両手で顔を隠し始めたけど、怖くないのなら遠慮なく引き剥がす。
すると、玄関の呼び出し用の鐘が響き渡った。
まだまだ夜中ではないけれど、普通に就寝時間なので、緊急の呼び出しか? と部屋を出て玄関へ。
小窓から来訪者を確認したら、衝撃的なことにユース王子だった。
庶民のような服装だし、眼鏡をかけているけれど、この恐ろしい目や顔立ちは忘れないし、目の前の男性は「ユースだから開けてくれ」である。
それに、後ろにいる庶民服の男性二名も以前見たことのある王宮騎士だから本物で間違いない。
慌てて扉を開いて、跪こうとしたら、立ってなさいと言われた。
「やぁ。ちょっと幼馴染に会いに来たから数日泊めてくれ。まぁ、ここは私達の屋敷だから許可なんていらないか。夕方には到着する予定だったが遅くなった。連絡も無しに悪いな」
他の屋敷の管理者が驚いてしまうから、とりあえず一階の客間で寝る。
今夜は従者が世話をしてくれて一階を使うから、放っておいてくれと指示された。
「かしこまりました、閣下」
数日泊まると言ったのに、ユース王子は二週間も滞在。
しかも自分は旅人だと言い、リムスルムという偽名を使い、領主様にここに滞在して良いという許可証がある——実際にある——と告げてである。
本人達が気がつかない限り、エクイテスとアルベルティーナとクリスティーナと彼女の親には教えるなと言われたので、俺だけビクビクするハメに。
これではアルベルティーナと初夜は無理。
何をしに来たのか分からないが、ユース王子はしれっと帰った。
俺のいきつけの酒場に現れて、自分に近寄ってきた女を口説いて、お持ち帰りしたのを数回見た。
国王宰相が道楽を出来るということは、国王陛下は立派なのかもしれない。ユース王子は飾り、ということには違和感を覚えるけれど。
ゴルダガ王を脅迫した時のあの姿は魔王のようだったから。
一週間後、俺達に命令書が届いたと領主に呼び出された。
王族直属の奴隷身分をなくし、特殊規定ありの市民身分を授与。
屋敷管理の仕事は今後は通にして、新たに雇用した者達と共に行うように。
オルトとエクイテス夫婦それぞれに並びで暮らせる小さな家を与え、母親の住居はどちらか。
他にもそこそこ指示があった。
最後の一言は「忠犬達へ愛を込めて ユース・アルタイル」である。
領主になんだかんだ他人の目や耳を信じていない人だから直接確認にきて、こういう評価を下したのだろうと言われた。
ユース・アルタイルは奴隷から国王宰相にまで登りつめた天下の成り上がり者らしい。
気ままに過ごして、女と遊んでいたと思っていたのに、俺達のように特別辞令が出た者が続出したし、次々逮捕者や降格者も。
国王宰相ユース・アルタイルはやはり、魔王のようだ。
アルベルティーナが「リルスルムは万年氷の世界に住む霜の怪物ですって」と言ったから余計にそう思う。
彼女は仕事の一つである慈善活動で読んだ絵本でその名前を知ったそうだ。
☆★
数年後、俺とアルベルティーナと子どもはユース王子に王都へ呼ばれた。
アルタイル国王がゴルダガ王国第一王女を妻に迎え、アルタイルとゴルダガは停戦協定を締結するそうだ。
マリア王女は既婚者だったのに、離婚させられてアルタイルで人質妻とは憐れ。
アルベルティーナはゴルダガ王国第一王女マリアの侍女で俺は護衛騎士になる予定。
エクイテス家族と離されて不満。命を奪われずに家族が出来て衣食住に困らない生活なのでそこは諦めた。
まさかエクイテスと文通する日が来るとは。




