策士、策に溺れる3
歓迎会から1週間。毎日待っているのに、エクイテスは現れない。彼の部下は入れ替わり立ち替わり現れるというのに。
(照れた感じで、また来ますって言っていたのに……)
エクイテスの部下達にそれとなく彼の話を聞いているが、情報は全く足りない。
ウェイルズ戦線で将校を救って昇進。堅物生真面目な鬼上官。独身。恋人はいない。それしか知らない。
妻も恋人もいないのなら、知るべきなのは家族構成。エクイテスが犯人なら、彼の父親か母親、兄弟姉妹をどうにかする。問題は家族仲が悪かった場合だ。
その時は強姦魔に仕立て上げる。そうすれば彼は市中引き回しの上、絞首台送り。
父の件で裁かれることがないなら、別件の法で裁かれろ。
しかし、下位部隊とはいえ隊長補佐官だと、それなりの階級の騎士。下街酒場のウエイトレスをどうしたからといって、簡単に裁かれるとは思えない。
泣き寝入りすることになるのは私の方。嘘ならなおさら。
エクイテスにしろ、まだ見ぬオルトにせよ、効果的な復讐方法はなんだろう? 私は包丁を彼等に突き立てることが出来るのだろうか。
市場で買った果物包丁を心臓に突き立てる練習をするたびに、心臓が口から飛び出しそうになる。
家を突き止めて、夜中に放火の方が良いのだろうか? いや、アパートだったら巻き添えが出る。
毎晩毎晩、結論は出ない。ただ、そもそも懐に入らないと何も出来ないことは確かだ。
そろそろ今夜も開店。私はカウンター席に座り、ぼんやりしている。
「はあ……」
「あらクリスティーナ。ため息なんて珍しい。それに、ぼんやりしちゃってさ。どうしたの?」
隣に座るエミリアが私の顔を覗き込んだ。
「ん? ホームシックかな」
「お休み取れるし、帰らないの?」
復讐する為に上京したなんて、口が裂けても言えない。
「うん。出稼ぎだから稼ぐの優先」
「クリスティーナなら稼いでる男を捕まえられそうだから、結婚して旦那に仕送りしてもらえば?」
「サー・エクイテス。命の恩人で戦場報奨金持ちの補佐官。せっかくボトルを入れたのに、来てくれないの」
「聞いた聞いた。騎士常連さん達、愚痴っていたよ。クリスティーナが口を開けばエクイテスさんはお元気ですか? って言うって」
私は悲しげに微笑んでみた。エクイテスが自ら来ないなら来させるまで。
恋愛話大好き、世話焼きのエミリアなら、騎士達を使ってくれるだろう。
それがダメなら署に特攻。しかし、つけ回してエクイテスに嫌われたら、オルトに会わせてもらえなくなる。
「やっと言ってくれた。もう、早く教えて欲しかった。いつだろう、いつだろうってヤキモキしてた」
「気づかれてるだろうと思っていたけど、口にすると恥ずかしいもの。こういう気持ち、初めてで」
「やっぱり格好良いから? 他のチャラついた騎士達と雰囲気が違うもんね」
「そう。格好良く助けてくれて、素敵な見た目で、お金もありそうで、あの傷跡を優しく撫でてあげたいわ」
「まあ熱烈ね。……いらっしゃいませ」
エミリアが立ち上がる。私もすぐに席を立った。扉が開く音なんてしなかった。
「いらっしゃいませ」
客は待ち望んだエクイテスだった。扉につけているベルを押さえて扉を開いている。
「防犯強化月間で見回りです。歓迎会の際に店主に忠告しましたが、変更していないようですね」
そう口にすると、エクイテスはベルから手を離した。
「変更ですか?」
「今、私がしたように音を立てずに侵入したらお嬢さん達は人質です。ここのところ、強盗が増えているので対策するように、いくつか改善策を伝えました」
失礼します、とエクイテスは私達に近寄り、横を通り過ぎて「ご主人!」と店主のコルダを呼んだ。
調理場から顔を出したコルダとアメリアがエクイテスと会話を始める。
「強盗だって。向かいの鍛冶屋が目を光らせてくれているから大丈夫なんだけどね。署も近くて他の地区より安全だし」
「鍛冶屋の旦那さん、いつも外で仕事してくれているもんね。鍛冶屋の旦那さんは昔、コルダさんと対決してアメリアさんを取り合ったらしいよ」
私とエミリアがヒソヒソ話をしていると、エクイテスに「お嬢さん方」と呼ばれた。
「はい」
「はい」
「女性事務官を交えて、市民、とりわけ若い女性と子ども向けに護身術講座を開くことになりました」
エクイテスの前にエミリアと2人で並ぶ。
「お嬢さん達のような方々には必要かと。時間がある時に参加して下さい。試験運用で来週月曜から3週間、毎日13時から実施します。時間は1時間程です」
エクイテスは無表情。私とエミリアを交互に見て、エミリアを見据えた。
「私達のような?」
エミリアの問いかけに、エクイテスは小さく首を縦に振った。
男に愛想を振りまく客商売の女、という意味だろう。
私達は決して夜外出しない。買い出し中、休みの日の昼間、夕方と時間を問わず男に絡まれる。人目の少ない暗い夜道なんて絶対歩かない。
エミリアや今日休みのサリー は、閉店前に帰宅で、コルダか男性従業員が必ず家まで送る。
「可憐なお嬢さんは、誰でも常に危険です」
エミリアの頬がほんのり赤く染まった。
「可憐だなんて、ありがとうございます」
私はエミリアを肘で小突いた。彼女と目が合う。えへへ、と笑いかけられた。
「時間を作って参加します。ねえ? クリスティーナ」
「ええ。エクイテスさんが教えてくれるのですか?」
必殺、営業スマイル。エクイテスは私を見ずに熱心な眼差しでエミリアを見ている。私にはほんの少しの時間、視線を移動させただけ。
(私が気にかけている噂を聞いて、牽制されているのかしら? この間の反応でいけると思ったけど、しくじったわね)
私は心の中で舌打ちをした。
「はい。第5部隊の騎士で交代に」
「エクイテスさんの担当日にお休みをもらいます。いつですか?」
笑顔を保ったまま、問いかける。エクイテスは私をチラリと見て、エミリアに視線を戻した。
「来週1週間は俺が監督係です」
「それなら来週参加します」
エクイテスはまたチラッと私を見た。無表情で興味なさげな反応。
「私は来週ずっと仕事なので、再来週にしようかな」
エミリアが私に向かって、すまなそうな笑顔を向ける。
「それは良いです。再来週は隊長が直々に監督係をします」
「そうなのですね。ではクリスティーナのこと、よろしくお願いします」
エクイテスはエミリアの笑顔に、無表情で頷いた。
「クリスティーナさん、オルト達の部隊が戻りました。数日中に連れてきます」
ようやくエクイテスが私の方に体を向けた。目は合わない。彼は少し俯いて、私の靴のつま先あたりを見つめている。
「覚えていてくれたんですね。ありがとうございます」
私はエクイテスの顔を覗き込んだ。笑顔は絶やさない。反応は……あり。少し耳が赤い。私を見ないでエミリアばかり見るのは、私を意識しているってことか。
「もちろんです。では、失礼します」
機敏な動きで会釈をすると、エクイテスは私達に背を向けた。彼が酒場を出ると、エミリアが私に向かった肩をすくめた。
「ごめん、クリスティーナ。彼、私の方がタイプなのかな?」
エミリアは満更でもない表情。
「そうかもしれない。まあ、数日中に来てくれるなら頑張ってみるけど、無理なら彼の友人のオルトさんかな? エクイテスさんは命の恩人だけど……」
口にしてから、私は顔をしかめた。
(そうよね、助けてもらった。命は尊い……か……。それなら父の仇はオルトかしら……)
「クリスティーナ?」
「まあ、頑張ってみるかな。エミリアも狙って良いからね。色男には女が群がるものよ」
モヤモヤする気持ちを無視したくて、私はエミリアにウインクをして、ケラケラ笑ってみせた。
☆
2日後の夜、エクイテスはオルトを連れて来店した。オルトはエクイテスと揃いの黒羽のついたコートを着ていた。
薄茶色の癖っ毛に、同じ色の瞳。エクイテスより細身で背も小さい。小さいといっても私から見ると高身長。エクイテスと並ぶと華奢に見えて威圧感がなく、優しそうな雰囲気。
「いらっしゃいませエクイテスさん。そちらがオルトさんですか?」
「そうです。僕がオルトです。こんばんはクリスティーナさん。エクイテスに聞きました。俺達の部隊に義理のお兄さんがいたと」
人懐こそうな笑顔のオルトに、私は笑みを返した。
「はい。お世話に……」
「いやあ、俺はエクイテスと違って寄せ集めの部下に興味なかったので、マルス? さんでしたっけ? そいつが誰か分からなくて」
「マイクです。覚えていなくても、義兄の恩人なのは変わりません。ありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして」
オルトはニコニコしているけれど、薄茶色の瞳はちっとも笑っていない。部下に興味ないのなら、囮にしそう。エクイテスの反応と全然違う。
私が調べるべきなのはきっとオルトだ。2人を空きテーブルに案内しながら、震そうになる足に力を込めた。
「この間のブランデーをお持ちします。今夜のおすすめは、サーモンのムニエル、オレンジソースかけです」
2人が着席すると、私はメニュー表をオルトに差し出した。彼は指を揃えた右手でメニュー表をずらし、エクイテスの方へ向けた。
「俺達、君の義理のお兄さんの恩人なので、とりあえずこいつとデートでもしてやって下さい」
オルトがエクイテスの肩に腕を回した。
「おいオルト。いきなりなんだ。すみません、こいつは冗談しか言わな……」
「バカかお前。先手必勝だ。マーメイドを釣りたい奴は、お前以外にもけっこういるようだぞ。うちの部隊も噂を聞いてここを貸し切って帰還祝いをするってよ。まあ、噂は俺だ」
「俺以外って、俺は別に……」
エクイテスは私を見ずにぶすくれ顔でメニューを受け取った。頬や耳が赤黒い。
(ふーん、私を見ないのはやっぱり照れってこと。オルトの事を知るのに丁度良いわね。エクイテスも完全に白ではないし)
私は心の中でガッツポーズをした。
「助けていただいたお礼をしたかったので、迷惑でなければ何かごちそうさせて下さい」
はにかみ笑いに見えるような笑顔を作る。エクイテスは目を丸めて私を見上げた。
「いやあの、お礼とか別に。勤めを果たしただけです」
「そこは俺にごちそうさせて下さいだろ。クリスティーナさん、いつ休みです?」
エクイテスは戸惑ったように私から顔を背けた。オルトはニヤニヤしている。かなり仲良が良い雰囲気。
「お休みは月曜日です」
「明後日か。エクイテス、明後日休め。聞いたぞ。四六時中仕事をしている鬼補佐官だって。部下が休み辛いから休め」
「いや、お前、本当に止めろ。こういうの迷惑だろ」
エクイテスは私を見上げた。
「すみません。酔ってもいないのに絡むなんて。よく言って聞かせます」
「いえ。エクイテスさん。私、今度の月曜日の12時にワーグス広場の噴水前で待っています」
「えっ?」
「ブランデーをお持ちしますね」
会釈をして背を向ける。接客中のエミリアに近寄り、さり気なく彼女に絡む中年客から遠ざける。
「ありがとうクリスティーナ」
「どういたしまして。デートに誘ったの。悪い返事をすぐ聞くのはへこむから、今夜はあのテーブル、任せても良い?」
「誘ったの? きゃああ大胆。勇気ある」
「料理の注文はまだ。キープボトルのブランデーとグラスをよろしく」
「ねえねえ、なんて誘ったの?」
「恥ずかしいから秘密」
私はエミリアから離れ、新規客の元へ向かった。