思へども5
大変気まずい状況だが、私は意を決して口を開いた。
「先日の署でのやり取りに特注の笛。お慕いされていることは分かりました。お見舞いの品も、数々の心配もありがとうございます」
自分で口にして、余計に恥ずかしくなる。オルトは瞬きもせずに固まっている。ほんの少し眉間に皺を作っているが、ほぼ無表情。
「このようなことが初めてだからドキドキしているのか、とても心配されたことが嬉しいのか、他の方でも同じなのか分かりません」
「はあ……」
オルトは何度か瞬きをした。
「それより、熱は? 具合は良いです? 確かに顔色が良いです。何か食べました?」
「熱はないです。体も軽いです。起きたばかりなので食事はまだです」
「まだ? 扉は開かないし……。そこの果物をどうぞ」
「いえあの、今はお話し中です。貴方と私のこと。お気持ちは嬉しいのですが、私、分からなくて。こんなに沢山の贈り物は困ります。何もお返し出来ません」
「分からないではなく、俺が怖いでしょう? 煮るなり焼くなり好きにして下さいって言いましたよね? だから好きにしました。笛は少しでも危険から逃げられるように、走って逃げやすい服に靴。栄養をつけられる果物。花は早く治るようにという祈り。自己満足で、見返りが欲しくて贈ったのではないので、お返しなんて要りません」
「お返しはいらないって、こういうものは、私の気持ちが欲しいから贈るものではないですか? 好かれたくて、好きになって欲しくて、気にかけて欲しくて」
お客や街で声を掛けてくる男性、お世話になった第3部隊の騎士に時々花をもらうことはあった。
花1輪と村に家が買えるような超高級品では訳が違う。
「一般的には多分。でも何も要りません。貴女は村に帰りますし、俺が嫌いで怖い。好きにして下さいって言ったのだから、身を守りそうな物を持って帰って下さい。俺が買った物で嫌でも、物に罪はない。俺は抜けていて弱々しい貴女が身を守れないのが1番嫌です」
「私はオルトさんを嫌ってなんていません。仕事姿を怖いと思うこともありますが、とても優しいことも知っています」
「はあ……」
はあ……ってなんだ。オルトは喜びも疑いもせずに、ぼんやりしている。
「好きにして下さいはこれで終わりです。お礼しきれないので、これ以上何も贈らないで下さい。この分は礼儀としてお礼をします」
オルトは無表情から渋い顔になっている。鈍臭いので呆れられたと思っていた。私には笑いかけなくなって、嫌われたのではないかと悲しくて、寂しくて悲しかった。
それなのに、この人は私を好き。好かれている。慕われている。
それなら私は? 好きとはどういう気持ち? 今ドキドキしているのは照れや恥ずかしさ。
同じことを他の人にされた時、同じ気持ちでなければ、私はオルトを好きということ?
恋愛なんて考えたことなかった。村に帰って誰かとお見合い結婚。私を嫁に欲しいと望んだ人と添い遂げる。それを当たり前のことだと思っていた。
クリスティーナがモテているとか口説かれていると言っても、私は近いうちに村に帰るので、気にしなかった。
「お礼は要りません。いちいちお礼をすると、街中の男が贈り物を持って集まるようになりますよ」
「街中の男性なんてあり得ません。ただ、ぼんやりしないで考えるようにします。少しはそういう方もいるようですから」
「そうして下さい」
オルトの腕が少し下がった。刃が首から少し離れたのでホッとする。なぜここまでするのか、訳が分からない。
私を襲わないようにしている。裏を返せば襲いたいってこと? 私に触りたいの? この人に触られる?
急速に体温が上がる。そうだ。男性が私に好意を寄せる気持ちの中には、そういう感情も含まれている。
私は? 私はこの人に触れられても良いの?
例えばキスとか……。キス。オルトの唇に目がいく。ますます体温が上がった気がして、どこを見ているんだ! と私は視線を落とした。
分からない。全然分からない。キスなんて想像出来ない。いや街中で見かけるから想像出来るけど、何でするのか分からない。あんなの、私からしたら恥ずかしいだけの行為だ。
いや、無理矢理だと嫌だろう。もしも見知らぬ男性にいきなり触られたら、そう想像したらとても怖くて嫌だ。
それなら、知っている人は?
顔を覚えた客、第3部隊の騎士達、そしてオルト……。
全員無理だ。優しい人達は、痛い事や怖い事はしなそう。想像してみて、恐怖は感じない。しかし恥ずかしい。キスなんて心臓が破裂する。誰とも無理!
「じゃあ俺、そろそろ帰ります。元気そうですし、話があるって、ないようですし」
オルトは剣はそのままで、私に背を向けた。
話がないようですって、とても大切な話をしていたではないか。オルトの思考回路がサッパリ分からない。
「大事なお話をしているではないですか。まだお話の最中です。今、私は貴方をお慕いしているのかどうか自問自答しながら考えているところです。帰るなんて困ります」
私は何を言っているんだ?
「はあああああ⁈」
オルトが大声を出して振り返った。驚愕の眼差し。
「いえ、あの、その。分からなくて……。眺めていても分かりませんし、お話ししても分からないし、贈り物は嬉しいけれど、まごごろは誰からでも嬉しいでしょうし、お礼もさせてもらえないし、気が引けます」
「それが答えでは? 分からない。有象無象と一緒。俺、分かっていますけど。ああ、嫌われていないのは良かったです。何で嫌われていないのか不思議です」
「有象無象と一緒? オルトさんはオルトさんです。これから私達の家族になる方。私の大切な人です。不思議って、むしろ私は貴方を嫌いなんて言ったことも、態度で示したこともないのに、それこそ不思議です」
オルトはますます目を見開いた。
「俺が大切?」
「夢を見ました。アルタイルが攻めてくるんです。オルトさんは足止めにどこかの砦へ行ってしまうんですよね? 行かないで下さい。死なないで。混乱の中離れたら、きっと2度と会えなくなる。そんなの嫌です」
何度か瞬きをすると、オルトは顔をしかめて首を横に振った。
「いや無理です。必要があれば行きます」
「なら私もついていきます! 追いかけますからね!」
「馬に乗れない、剣を両手で抱えてヨロヨロしか運べない女性が何を言っているんですか。足手まといなので来ないで下さい」
「ボ、ボーガンなら使えます。馬は練習します」
「いや、恐ろしくて人殺しなんて無理って言っていたでしょう。多少馬に乗れても、鈍臭い貴女が馬を巧みに操ってボーガンを華麗に使うとか無理です」
「そうです。その通りです。だから行かないで、家族から離れないで下さい」
「ですから、必要があれば行きます。それは無理な話です」
「なら死なないで絶対に帰ってきて下さい!」
「それも無理です。化物みたいな奴に会ったら死にます」
「なら行かないで下さい」
「だから無理なものは無理です」
「う……」
「アルベルティーナさん?」
「うわあああああん!」
気がついたら、大声を出して泣いていた。よく考えれば、毎日危険と隣り合わせの人だ。いつ死んでしまうか分からない。
「あの、アルベルティーナさん?」
涙がボロボロ出て止まらない。父は帰って来なかった。人が死ぬとはああいうことだ。
日常にぽっかり穴が空いて、ふとした時にそこに居たのにと思い出し、笑顔が蘇って苦しい。
「姉さん! オルトさん! 姉さんに何したのよ! き、きゃあ! それ、何ですか!」
扉が勢い良く開く。クリスティーナが悲鳴を上げた。入室した途端、オルトが剣の刃を自身の首に当てている姿を見れば、驚くのは当然だ。
エクイテスがクリスティーナの後ろで仁王立ちしている。いつもの無表情。
「強姦防止です。アルベルティーナさんに近寄ろうとしたら、死のうと思って」
「ご、ご、強姦って何ですか⁈」
「いやだって、男と女が密室に2人ってヤバいでしょ」
クリスティーナが愕然とする。その後ろでエクイテスが片手を目に当てて、天を仰いだ。大きなため息を吐いている。
オルトはようやく剣を鞘に納めた。
「意味が分かりません。そうまでしないと姉さんを襲うって事ですか? 襲おうとして泣かせて、死のうとしたんですか⁈ 意味が分かりません」
「いや、なんか急に泣かれた。無理な事ばかり言ってきて断ったら。これは入室してからずっとだ。こんなに可愛らしくて柔らかそうで、うっかり指1本でも触れたらどうする。理性が飛んだらどうする。アルベルティーナさんは全然力がなくて弱いんだぞ!」
「姉さんが泣き叫んでも触りたいんです? オルトさんはそういう男なんですか?」
「ニコニコ笑う女に裸で迫られても嫌で抱かないけど、アルベルティーナさんだと知らん。あの細くて白い指になら頬をつつかれたいし、唇なんて誘惑的だろう!」
なんて発言。私は両手で顔を覆った。
……。ニコニコ笑う女性に裸で迫られても抱かない? 女性に裸で迫られたことがあるの?
嫌で抱かないけど? どんな状況?
熱でうなされていた時のように、頭がクラクラしてくる。オルトさんが、裸の女性に迫られる……。
「何て発言をするんですか⁈」
「何が?」
「だ、抱くとか、抱かないとか、姉さんの唇が誘惑的とか……そんな恥ずかしいことを、ぬけぬけと」
「どうせエクイテスだってクリスティーナさんの全身に夢中だろ。惚れた女に拐かされない男なんているか。基本的に惚れてなくても欲情するのが男ってもんだ。若くて美人で体型も良いんだから覚えとけ。男は全員アホでバカだ」
指と指の隙間から覗くと、クリスティーナが真っ赤な顔で口をパクパクさせていた。
エクイテスがクリスティーナの隣に並び、オルトの頬を拳で軽く殴る。
「おおむねその通りだが、お前は口を慎め。急に泣かれたって、無理を言われて断ったって何だ? 泣かしたなら謝れ」
「アルタイルが攻めてきたら戦場に出る。行くなとかついてくるとか、死ぬなとか、そんなの無理だろ。お前らや村人を丸ごと逃すのには駒を集めて足止めしないとなんねえし、死ぬなって言われても化物騎士にあったら死ぬだろ。おまけについてくるって、絶対無理だろ」
「あー……それなら俺が……」
「お前が2人と彼女達の母親の近くにいなくてどうするんだよ。いつもお前が前で俺が後ろだったから交代だ」
「いや、オルト。お前は前だっただろう」
「まっ、部下もそこそこ大切だし、また戦争になったら最前線でもいいかもな」
これはオルトの中での決定事項。変えられないこと。戦争が起こったら、私は彼とお別れだ。
「う……」
「アルベルティーナさん?」
「姉さん?」
「うわあああああん」
またしても大泣きしてしまった。止められない。止まらない。涙も声も勝手に出てくる。
「姉さん、起こってもいないことを考えて泣かないの。ほら、オルトさん、慰めて。今はそんな心配をしなくても大丈夫ですとか、行きませんとか、きっと帰ってくるとか、死ぬ気で戻ってきますとか、言い方があるでしょう?」
クリスティーナが私に近寄ってきて、頭を撫でてくれた。オルトを見上げる。彼はしかめっ面で私から顔を背けた。
「そういう時、俺が帰って来た方が良いってことです?」
「当たり前じゃないですか!」
私が叫ぶと、オルトは首を捻った。
「何でです?」
「さっき伝えたばっかりじゃないですか。家族になる大切な方ですと」
「いや、色々言われて、頭が混乱していて。主に嫌われてないとか、嫌われてないとか、嫌われていないとか。あの、有象無象と一緒なのに、家族で大切? どっちです?」
「家族で大切と、その件は別です。有象無象と一緒なんて言っていません。分からないんです。恋とは……」
私はオルト、クリスティーナ、エクイテスをそれぞれ順番に見た。全員、恋を知っている。
「どういう気持ちがあれば、お慕いしていますということです? オルトさんはなぜ私が特別だと? クリスティーナは? どうしてエクイテスさんと結婚するの? エクイテスさんは?」
「いきなり始まって、頭も体もおかしいのに医者に病気ではないと言われました。恋愛相談するなと、医務室から追い出されました」
頭も体もおかしい? クリスティーナとエクイテスはそれぞれ俯いている。
「ふと花を見て、花が好きなら贈ったら笑うかなとか、顔を見たら喋るのが難しくなるとか、急に心臓がバクバクしたり、顔が熱くなったり、色々おかしいです。表情筋に力を入れないとヘラヘラしそう」
「へ、ヘラヘラ……?」
「美人は沢山いるのに、そこにもすごぶる美人がいるのに、前は何も思わなかったのに、今はなんか1人だけ飛び抜けて可愛いく見えます。俺は君になら触られたいです。基本的に女に触られるのは嫌なんですけど」
ボボボボボっと全身熱くなる。クリスティーナが言った通り熱烈だ。こんなことを、しれっと話せるなんて。しれっとというか、険しい顔。
「ん? オルト。お前、女に触られるのは嫌って」
「触るのもあんまり。アルベルティーナさんはもっと無理だな。神々しくて、ボタン1つ外せる気がしない」
神々しくて? 恋ってそういうものなの? ボタン1つ外せる気がしないって……さっき男は惚れた女に拐かされるって言ってなかった?
そんなことしなさそうなのに、剣を持って、自分の首に向けて、襲わないようにしていたよね?
「女性に触るのも嫌なのか」
「熟睡するためにかなり愛想の良い女を抱きしめるくらいは平気だけど、それ以上はなんか無理」
「オルト、お前の娼館通いって……」
娼館通い⁈
娼館とはそういうところで、お金と対価に……。クリスティーナが真っ赤になって固まっている。多分、今の私も同じだ。
「熟睡するための抱き枕を得るために高い金を払っているのに、拒否したら読み書きを教えろとか、星座の話をしろとか、キスしろとかうるさくて困る。疲れる。でも寝不足も2週間くらい続くと疲れてくる。背に腹は変えられねえ」
「熟睡するための抱き枕?」
「ああ、柔らかい女を抱き枕にするとよく眠れる。浅い眠りが続くと疲れが悪化するだろ。たまにリセットしないと」
何か、私の知っている娼館の話と違う。でも抱き枕。柔らかい女性を抱きしめて寝ているの?
よく眠れるの? 高いお金を払って熟睡って、普段はあまり眠れないの?
オルトさんが女性を……抱きしめる……。なんだか嫌だ。もの凄く嫌。すっごく嫌な気持ち。
「とりあえず俺はそんな感じです。色々特別だから恋とか愛なんだと思います」
オルトは私に会釈をしてエクイテスを見据えた。
「次はお前な、エクイテス。アルベルティーナさんが恋について知りたいそうなので懇切丁寧に説明しろ」
「い、い、いえ! もう結構です! あとは自分で考えます!」
「いやわざわざ考えなくても、特別かどうかなんてすぐ分かります。考える時点で……アルベルティーナさん?」
「何でしょう?」
「その顔は何です?」
「顔?」
オルトと目が合う。彼は吹き出した。楽しそうに肩を揺らしている。久々に私に笑顔を向けてくれた。胸が痛い。ものすごくギューっとする。苦しい。
「そのリスみたいなぶすくれ顔。クリスティーナさんとそっくり。彼女だとブスだけど、君だと凄く可愛いや。ん? 何で怒ってるんです?」
リスみたいな……ぶすくれ顔? 私、怒ってるの? 怒ってはいない。理由の分からないモヤモヤした嫌な気持ちが渦巻いているだけだ。
「おいオルト。今なんて言った。クリスティーナをブスだと?」
「女の怒り顔なんてブサイクだろ」
「お前の目は腐ってるのか! 表に出ろ! クリスティーナを侮辱するとは、ぶっ殺す!」
「んだよ。クリスティーナさんは怒っても可愛いな、だといいのかよ。俺とクリスティーナさんを取り合いたいのか? 寝取られ願望か? 変態だな。キラキラ光って見えない女なんていらねえよ」
「お前はその変な思考回路や冗談を止めろ! 光ってないって、クリスティーナは太陽より輝いているだろう!」
エクイテスがオルトの胸ぐらを掴んで前後に揺らす。クリスティーナが両手で顔を覆った。
うん、分かるよその気持ち。とてつもなく恥ずかしいよね。
「エクイテスさん、オルトさんを連れて帰って下さい。姉さんは混乱してそうですし、熱が下がったばかりだから疲れるとぶり返してしまいます」
「ぶり返す? 帰るぞエクイテス。アルベルティーナさんを疲れさせるな」
オルトはエクイテスの首に腕を回し、引きずるように部屋から出て行った。クリスティーナと2人きりになる。
「姉さん。とりあえず休んで、元気になったら何人かとデートしてみたら? オルトさんとも。きっとそれで何か分かるわよ」
「デート?」
「私がオルトさんとエクイテスさんに頼んであげる。お客さんだと揉めそうだから、騎士の方達と出掛けてみると良いわ。体を拭いてあげる。冷えるから髪は明日ね」
微笑むと、クリスティーナは部屋を出て行った。戻って来た彼女に体を拭かれている間、エクイテスへの気持ちをあれこれ聞いても「近いうちに分かるわよ」と何も教えてくれなかった。




