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方惚れ2

 自宅アパートの布団に潜り、俺は延々と考えている。


(恋愛? 恋愛って何だ? 恋? アルベルティーナさん? 何が? 何か喋ったか? 多少話した。俺は嫌われて怯えられてる。手は拭いてくれたな)


 頭を抱えて呻く。


(既婚者だ。横恋慕。終了)


 よし、寝るかと頭から手を離す。


(恋? 恋愛ってどういうことだ? なんでアルベルティーナさん? 恐れられて嫌われている。ろくに喋ってない。人柄は何となく知っている。何で?)


 また頭を抱える。


(新婚既婚者に横恋慕は無意味。新婚じゃなきゃ良いのか? いや不倫は投獄罪だ)


 うん、寝ようと頭を手から離す。


 コンコン、コンコン、と玄関扉から聞こえてきた。ノッカーを使って扉を叩く音。


「オルト。寝てるか? 熱は大丈夫か?」


 エクイテスだ。俺は動揺で煩い心臓を止めようと、胸をバシバシ叩きながら玄関へ向かった。扉を開ける。


「お加減いかがですか?」


 アルベルティーナが俺の顔を覗き込む。ふわり、と花の香りが鼻をくすぐる。さっき渡した花束の匂い。

 足の力が抜けて、尻餅をつきそうになった。エクイテスが腕を掴んで止めてくれた。


「おいおい、高熱か? 医務室に行ったら、何もないから帰したって言われたんだけど」

「オルトさん、大丈夫ですか?」


 しゃがんだアルベルティーナの腕が伸びてくる。顔が沸騰しそうになる。ひんやりした小さい手が俺の額に添えられた。


「少し熱いですね」

「微熱か。立っていられないって、これから熱が上がるのか?」


 エクイテスが俺の体を支えて立ち上がらせ、ベッドへ運ぶ。アルベルティーナは片手にバスケットを持っていた。中身は何だ? 風邪を引いた——引いてないけど——俺に差し入れ?

 彼女はバスケットを小さい丸テーブルに置いた。左手が見える。薬指に指輪はない。田舎だと結婚指輪を用意しないのか? マイトは貧乏か? 俺は金はあるぞ。

 あの細くて白い指に似合う、とびきり素敵な指輪を買える。宝石は、彼女の瞳の色に似合う、サファイアブルーが良いだろう。

 サファイアは慈愛の宝石。いつだか、誰かが誰かに贈るような話をしていた。

 離縁条件ってなんだ? 男からでも女からでも、確か暴力、失踪1年、借金。外聞が悪いから、条件があっても、離縁は滅多にないらしい。


「オルト?」


 エクイテスが俺の顔の前で手を振った。


「ん?」

「ぼんやりするのか?」

「ああ……」

「医務官に言ったか?」

「いや」

「脱力のことは?」

「いや」


 俺の視線はアルベルティーナに釘付け。彼女は小さなキッチン周りでオロオロしている。


「アルベルティーナさん、俺が水やタオルを用意するので、急変しないか見ていてもらえますか?」

「はい。すみません、もたもたして。勝手に探して良いのか分からなくて」

「どうぞ。好きに何もかも見てもらって構わないです」

「オルト?」


 アルベルティーナが近寄ってきた。入れ替わりでエクイテスが水瓶に向かっていく。アルベルティーナはベッド脇にしゃがみ、俺の顔を覗き込んだ。


「顔色は良いですね。喉も大丈夫そう。咳も出ていないし、仕事の疲れでしょうか。医務官ってお医者様ですよね? 大丈夫と言われたなら、命に関わることはないのでしょうか」


 元気ですと言いたいのに声が出てこない。また顔が熱い。顔が近い。唇と近い。細くてサラサラ、艶々した髪の毛が肌に触れそう。

 やはり花の匂いがする。しかし、さっき感じた花束の香りとは少し違う。嫌いな柑橘系の匂い。でも、今は好きだ。好き。好きいいいいいい⁈


「息苦しいですか?」

「い、い、いえ……」

「苦しそうですね。首元、緩めておきましょう。すみません、失礼します」


 アルベルティーナの手が俺の襟首に触れた。ボタンが外される。1つ、2つ、3つ。

 全くエロくない状況なのにエロい。このまま全部脱がして欲しい。それで、この白くて小さい手で、そっと体を撫でて……。

 ゴンッ。俺は自分の頬を左手の拳でぶん殴った。アホか。


「オ、オルトさん? 突然どうしたのですか?」

「痒くて。蚊ですかね?」

「蚊? 秋の終わりに?」

「じゃあ虫です。多分。なんか嫌な感じがしたんで」


 言えない。欲情しましたなんて口が裂けても言えない。

 アルベルティーナを上から下まで眺める。やはり清楚可憐で神聖な雰囲気。神々しさを感じる。妄想とかダメだろ。でも触られたい。

 すごぶる美人の妹にそこそこ美人の姉? 俺の目は腐っていた。彼女がこの世で出会った女性の中で最も美しい。もう1度触れて欲しい。明日死ぬかもしれないし、もう1度だけ。

 逆に触るのは……無理。ボタン1つ外せる気がしない。スカートを捲るとか絶対無理。

 それより綺麗な髪に飾りを飾りたいな。耳飾りにネックレスと……。


「オルト、何してるんだ? お前」


 エクイテスが風呂用のバサンを持ってきた。水は少なめ。


「虫がいた」

「殴るやつがあるか。熱が低いのに頭がおかしいって、医務官に言ったか?」


 エクイテスがベッド脇、アルベルティーナの隣にバサンを置いた。


「いや」

「お前なあ。さっきから伝えてないばっかりだな。症状を伝えないといくら名医だって正しい診察は出来ないぞ」


 今度はエクイテスに顔を覗き込まれる。見慣れたこいつの顔が近くても、鬱陶しいだけだ。同じ距離ならアルベルティーナが良い。


「いや、元気だ」

「苦しそうな顔をして、どう見てもおかしいだろ。俺、もう1回医務官に聞いてくる」

「……はああああああ? 待て。彼女は? アルベルティーナさんは? まさか連れて行くのか? いや、連れていけ。絶世の美女を男と2人にするな」

「オルト? 冗談を言う余裕はあるのか。医者じゃねえから分かんねえな」

「エクイテスさん。私、急変しないか見守っています。何かあったら……どうしましょう? 署に走れば良いですか?」


 エクイテスは首を捻りながら、黒羽コートのポケットから警笛を取り出した。


「これを吹き続ければそのうち巡回騎士が来ます。窓から顔を出して吹いて下さい。駆けつけた騎士に署へ運ぶように伝えて下さい」

「はい、分かりました」


 アルベルティーナがエクイテスから警笛を受け取る。エクイテスはそのまま部屋から出て行った。

 なぜ男と女を密室に2人きりにする。見損なったぞエクイテス。

 アルベルティーナもアルベルティーナだ。警戒心が無さすぎる。


「タオル。タオルはあちらのクローゼットの引き出しです?」

「……はい」


 ぽやぽやした顔をして、襲われるぞ。俺に。既婚者が男の部屋で無警戒はいただけない。

 しかし指1本動かない。アルベルティーナは安心安全らしい。しかし、同じことを別の男のところでしたら襲われる。教えないと……。

 アルベルティーナは引き出しから出したタオルを持って戻ってきて、バサンの水につけた。タオルを濡らし、絞り、俺の額の上に乗せる。


「帰って下さい」

「えっ?」

「嫌、ダメです。夜道は危険です。送ります」

「起きてはダメです」


 体を起こそうとしたら、両肩を押された。全然力が無い。へなちょこ。女性って本当に弱い。

 弱っちい女や子どもは誰かが守らないとすぐ怪我したり死にそう。男は鍛えりゃ強くなるんだから、自分のことは自分でどうにかしろ、と良く思う。

 起き上がるも、困惑顔で見つめられて、動けなくなった。


「夜道も密室も危険です。とりあえず……そこの壁際の剣を鞘から抜きましょう」

「えっ? 何対策です? 強盗ですか? 分かりました。何かあれば私、頑張って戦います!」


 勢いよく立ち上がると、アルベルティーナは玄関脇の壁に向かっていき、立て掛けてある剣を両手で持った。


「お、重いですね」


 よたよたしながら戻ってくる。


「こちらはオルトさんの護身用ですね。とても扱えません。包丁はあります?」

「いやあの」


 とりあえず、剣を受け取る。ベッドの上に置いておく。俺が強姦魔になりそうになったら、自刃しよう。そうしよう。


「怖くて何も出来ないかもしれませんが、動けない可能性がありますが、備えは大切ですよね」


 アルベルティーナはキッチンに移動し、あれこれ包丁を探し始めた。誤解が可愛くて、しばらく眺め、途中で「自分の欲を優先して無駄なことをさせている」と気がついて反省。


「料理しないんで、包丁は無いです」

「まあ。料理といえば、食欲はあります? 食べやすいものを持ってきました」


 テーブルの上のバスケットを持って、アルベルティーナが戻ってくる。


「とりあえずこのバスケットを武器にします。角とか痛そうですし」

「うん、多分無理。君のへなちょこな力じゃ誰にも敵わない。強盗が来たら俺が戦います」

「すみません。役に立たなそうで。剣って重いんですね……」

「まあ、強盗は来ません。あるとすれば強姦魔。その時は、ちゃんとこれで死んでおくので大丈夫です」

「えっ? あの……オルトさん?」

「やはり送ります。男と密室で2人きりはいけません」


 目を丸めた後、アルベルティーナはクスクス笑い始めた。


「何の冗談です? それともエクイテスさんの言う通り、何かの病気で思考がおかしいのでしょうか? もしくはこの間のように、王都での生活にある危険を教えてくれたってことですか?」

「あの……」

「覚えておきます。知らない男性と密室で2人きりは危険。まあ、さすがにそれは知っていますよ」


 アルベルティーナはバスケットの蓋を開け始めた。


「いや、知ってる男性もダメですけど」

「病人で女性達の英雄でも?」

「えい、ゆう?」

「この間、怖いけど、格好良かったですよ」


 格好良いとは、言われ慣れている。なのにグルグル言葉が回る。格好良かったですよ。格好良かったですよ。格好良かった……。

 ふしゅーと力が抜けてベッドに倒れ込む。


「まあ、やはり様子が変ですね。意識はありますか? 声は聞こえます?」

「はい……」

「タオル、乗せ直さないと」


 アルベルティーナは「どこかしら」と周囲を見渡し、床の上に落下しているタオルを手に取った。バサンの中の水でタオルを洗って絞る。

 ずっとだけど、隙だらけである。俺は左手で剣の柄を掴み、目を閉じた。

 見なければ、アルベルティーナの一挙一動を目で追って「隙だらけ」とか「ちまちまして可愛な」とか、考えなくて済む。

 冷えたタオルが額に乗る。ビクリとしてしまったがアルベルティーナを無視だ無視。


「オルトさん?」


 無視だ。


「オルトさん? オルトさん?」


 体を揺らされたけど断固拒否。見るか。触るか。

 だから貴女も触れないでくれ。


「息が……少ない? 大変。そうだわ。警笛!」

「元気だから吹かなくて良いです!」


 エクイテスの吹いたことのある警笛に、つやつやプルプルした愛くるしい唇を触れさせるか! と俺はカッと目を開いた。


「だるくて眠いだけです」

「すみません、急に静かになったので慌ててしまって」


 ドジなのか? 抜けているのか? 可愛いな。見た目も動きも反応も全部可愛い。可愛い、可愛い、可愛い。

 俺は再び目を閉じた。


「戻りました。帰りましょう、アルベルティーナさん」


 扉が開く、軋む音がして目を開き、顔を少し持ち上げて玄関の方を見る。


「エクイテスさん、お帰りなさい。帰るって……」

「全く問題ないそうです。放置で良いそうです。オルト、とりあえず寝とけ」


 アルベルティーナが立ち上がり、しゃがみ、もう1度立ち上がり、しゃがんだ。


「だるいそうです。せめてお食事の補助くらい。でも、眠いそうですから帰った方が良いのでしょうか? お医者様のお墨付きがあれば安心です」

「オルトなら勝手に食べるので大丈夫です。今夜は帰りましょう」

「はい。オルトさん、お大事にして下さい。おやすみなさい」


 可憐な笑顔。ぽんぽんと胸を軽くあやすように叩かれた。アルベルティーナが立ち上がり、遠ざかっていく。彼女がエクイテスと共に外に出ると、扉が閉められた。

 ドッと全身の毛穴から汗が吹き出す。俺は頭を抱え、ベッド上で悶絶。ゴロゴロ左右に揺れまくった。


 ★


 翌日早朝、エクイテスが家にやってきた。


「医務官に聞いた。お前、俺に言うことないか?」

「あるに決まってるだろう! 俺を強姦魔にするつもりか! 死刑台送りか! 自刃しろってことだったのか⁈ 清楚可憐な女性にお前の口が触れた警笛を使わせそうとするな! 変態か! 浮気か! 乗り換える気か! 既婚者に手を出すのは大罪だぞ! 目を覚ませエクイテス!」


 玄関口でバシン、と頭を叩かれた。


「落ち着け。目を覚ますのはお前だ。既婚者って、アルベルティーナさんは未婚だ」

「はあ? マルトは?」

「マイク」

「そいつは?」

「クリスティーナを嫁に欲しかったらしい」

「はあ? 見る目なしか? 田舎者は金も無さそうだよな。俺はあるぞ。金だけはある。多少だけどな。指輪と髪飾りと耳飾りとネックレスでさらに美しく飾るくらいの金はある。金しかねえ。嫌われて怯えられてるんだけど」


 しゃがんで、頭を抱える。眠い。全然眠れてない。


「オルト、おーい。とりあえず、元気だと見せに行くか? この時間、彼女は店先の掃除をしてる」

「早朝に何をさせてるんだ! あんな目立つ美人、誘拐されたり路地に連れ込まれたらどうするんだ!」

「いや、店の前の鍛冶屋の親父……」

「営業停止だ停止! あんな店潰せ!」


 飛び出そうとしたら、足を引っ掛けられた。受け身を取れず、転んで鼻をうった。痛い。


「落ち着け。色々動揺し過ぎだ。こんなのに引っ掛かって受け身も忘れてる。お前、大丈夫か?」

「……じゃない。大丈夫じゃない! 何だよこれ! 頭も体もおかしい! イカれてる! 病気だ! ヤブ医者だ! 俺は何か変な病気だ!」


 無言のエクイテスに腕を掴まれ、引きずるように署まで連れて行かれる。医務室で、医務官にうんざり顔をされた。


「ですから、ここは恋愛相談室ではありません」

「いやですから、違います。もう1回聞いて下さい。普通に動けて喋ることが出来る薬を下さい。仕事になりません」

「重症のようなんで、いっそ休んでデートでもしたらどうです? オルト副隊長、あんた仕事ばかりしてるって有名だ。そちらのエクイテス補佐官はようやく最近休むようになったみたいですけど、お2人共過労は困りますからね。正規の休みをきちんと取って下さい」

「デ、デ、デートなんて出来るかあ! 顔を見たら歩けなくなったのに! おまけに嫌われてるんだぞ! 怖いって怯えられてるんだぞ! とにかく動いて働ける薬と恋愛を忘れる薬を下さい!」


 医務官が両手の指で耳を塞ぐ。エクイテスを見上げ、顎で「外へ出てけ」と示された。エクイテスにはがいじめにされて、医務室の外に連れていかれる。

 

「あれだ。女を抱けばきっと終わる。俺、休むわ。ベンジャミン隊長に風邪を引いて熱があるって伝えてくれ」

「はあああああ? 何だその発想!」

「ナナリーだ。ナナリーが俺を救ってくれる……。女に金を払って添い寝は終わりだ……。色々諦めて我慢して襲ってもらおう……」


 左肩を掴んできたエクイテスを振り払い、署を飛び出し、娼館へ行くかはずが、俺はコーラリアム酒場の前にいた。

 アルベルティーナが、鼻歌混じりで箒を動かしている。


 朝日より眩しくて、可愛い。

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