エロースの弓矢2
私、クリスティーナとその恋人エクイテス、そしてエクイテスの兄的存在にして私達姉妹の父の仇オルト。
どんな食事会になるのかと思ったら、想像より和やかだった。父の件を、3人の中でそれぞれ解決しているからだろう。
私だけが蚊帳の外。許す許さないより、私はオルトが怖い。
まるで痛くありません、怪我なんてしていませんという様子だが右腕を全く動かさず、ダランと下げている。
父の仇で憎い、よりも憎しみに駆られて傷つけて、黙っている気持ちの方が怖くて苦しい。
クリスティーナが引き裂かれるような気持ちで守った男を、私は何も知らずに怪我させた。
だから、オルトの顔を見て上手く笑えないし、彼は彼で気を遣っているのか私に殆ど話しかけてこない。
言葉を交わしたのは最初だけだ。
食事会が終わり、エクイテスとオルトのどちらが私を送るかという話になった。
「まだ巡回馬車がある時間ですし、たまに配達でも出歩く時間帯ですから1人で大丈夫です」
「はあ? 若くて美人っていう自覚がないんです?」
若くて「美人」
オルトに美人と言われるのは本日2度目。両親や親世代の大人は言ってくれるが、歳の近い男性に言われたことはない。なのに2回目。
夕食会の時に「初めまして」と言われたし、昼間会いましたね、という様子はなかったので、彼は何も覚えてなさそう。
オルトは私からエクイテスに視線を移動させた。
「この時間に配達させるってどんな危機管理の薄い店だ? 注意喚起しねえと」
「南地区だからじゃないか? あの辺りは治安が良くて街灯も多い。しかし問題だな。総長から区長や商業連合に注意してもらえると良いんだが」
「連続切り裂き魔も、南地区からは1人も犠牲者を出してねえからな」
2人が連続切り裂き魔の捜索状況を話し始めた。真夜中に女性が襲われる事件で、夜中に外なんて出ないから他人事だったが、怖くなってくる。
「あの、やっぱり送っていただきたいです。その、この時間に切り裂き魔は現れないと思いますけど……」
「怖がれ怖がれ。切り裂き魔はともかく、君みたいな弱々しい美人は格好の餌だ」
「拒否されても送ります」
私は小さく頷き、オルトの隣に移動した。
「まだあまりお話していません。家族になりますし、送っていただけますか?」
2人きりになれば、謝れるかもしれない。怪我の具合も知りたい。どんな理由で父を囮役にしたのかも聞きたい。戦場なら、仕方ない理由があっただろう。
クリスティーナの口からではなく、本人から聞きたい。それで気持ちのモヤモヤが晴れるのかは分からないけど。
「俺? とって食いやしませんけど、そんなに怯えていて大丈夫です? まあ、でもエクイテスはクリスティーナさんの世話があるし……。特にあれ」
カウンター席に着席しているクリスティーナに、常連客が入れ替わり立ち替わり話しかけている。
主に怪我が大丈夫なのか、心配されている。
「エクイテス、本人がこう言ってくれてるから任されるわ。あの下心見え見えの奴らから助けてやれ。まあ、よそ見をされるのは仕方ないと……早っ」
エクイテスはもうクリスティーナの方へ移動していた。私の手前、我慢していたのだろう。
「じゃあ、行きますか」
「はい。よろしくお願いします」
「姉さん! 気をつけて! お休みなさい」
「アルベルティーナさん、今日はありがとうございました。お休みなさい。オルト、頼んだぞ」
「お休み、クリスティーナ。エクイテスさん、こちらこそごちそうさまでした。クリスティーナをよろしくお願いします」
オルトは私の右側に移動した。2人で店を出る。
「向こう側に渡りましょう。昼間、ちょっと怪我して右腕があまり動かないんで、こっち側にいて下さい。それで通り側を歩いて下さい」
「はい。なぜですか? あの、怪我は痛みませんか? 不自由はないです?」
通りを渡り、巡回馬車の停車する広場方面に歩き始める。
「端を歩いて路地に連れ込まれたら困ります。普段もなるべく通りの真ん中を歩いて下さい。人の流れにもよりますけど。怪我には慣れていますし、昔も怪我して両利きにしたんで平気です」
「痛み止めはお持ちです? 薬草屋で買っていきましょうか? この時間はもう閉まってますかね」
「処方されているので、痛みで眠れなかったら使います。まあ気休めですけど。鎮痛薬ってもっと改良されねえのかな」
オルトはニコニコ笑っている。おまけに鼻歌を歌い始めた。
「あの、どうして父だったのですか? 誰かを助けるためでした? 敵が多過ぎたからです?」
私は意を決して、1番聞きたいことを質問した。
「記憶がないので分かりません。1番足手まといだったんじゃないですかね。使える駒は残しますから。ウェイルズの戦いで似たようなことを何回かしているので、どの時か分かりません」
「父は……使えない駒だったんですか?」
駒。父は生きた人間だった。駒とはなんだ。父は私達家族の愛する人で、駒なんて無機物じゃなかった。そして、謝らないんだ。
「覚えていません。守れなかったり、見捨てるかもしれない人間の名前や姿形を覚えないようにしているので。全員生き残る、エクイテス優先でなるだけ生き残る、エクイテスと俺が生き残る、エクイテスを残す。常にそういう順番です」
「それは、覚えていると辛いからですか? 自分よりエクイテスさんが大切なんです?」
「辛い辛くないというより、心が折れたら死ぬ確率が増えるからです。エクイテスは俺の恩人なんで」
心が折れる。知人が死ぬと辛いという意味だ。素直にそう言えば良いのに、死ぬ確率が増えるか……。
全員生き残る、なるだけ生き残るということは、最初は誰かを囮にするつもりはないということ?
戦場はそういう場所。私達女や戦わない男や子どもを、国を守るために命をかけて戦う場所。
父が使えない駒だったというのなら、どの道死んでいた?
無理矢理招集された、普段闘いとは縁のない田舎村の川魚漁師だ。小太りだし、お荷物だっただろう。
私達家族は父に帰ってきて欲しかった。囮役にされたなんて腹が立って悔しい。
でも、その代わりにマイクは生き残り、このオルトも生きている。エクイテスもかもしれない。それでエクイテスは窓から落ちたクリスティーナを助けた。
微笑むオルトの横顔から、感情を読み取れない。エクイテスの無表情とはまた違う難しさ。
「覚えていないし、悪いと思っていないので謝れません。すみません、は言えても形だけ。煮るなり焼くなり、いつでも好きにして下さい」
「エクイテスさんが恩人って、戦場でですか?」
オルトはチラリと私を見て、目を丸めた。その後、顔をしかめた。
「あの、スルーです?」
「煮るなり焼いたりしたら、クリスティーナが悲しむじゃないですか。それにエクイテスさんも」
あと、もうしました。それは怖くて言えなかった。夜に2人きり。私は視線を落とした。
色々知って、クリスティーナとエクイテスの様子を見たら、私はオルトを憎みきれない。
父だからわざと殺したのではないと知って、さらに憎めない。
私が憎むべきはオルトではなく戦争の方だ。父のような希望者以外まで集めてアルタイルを攻めようと決めた偉い人達。でも、その偉い人達をどうこうする力も気力も私にはない。
弓矢で撃つ前に、こんな風に彼と話をするべきだった。
オルトはくしゃくしゃと髪を掻いた。
「そういうのを抜きにしたら?」
「無理です……。人を傷つけるなんて恐ろしくて……」
私は両手を握りしめた。震える。ボーガンの矢が刺さった時のオルトの苦悶の顔と、吹き出した血を思い出すと足が竦む。
不幸なんて嫌い。大嫌い。誰もが幸せで、笑っていて欲しい。道を誤って、そういう大切な事に気がついた。
「そろそろワーグス広場なんで、馬車と俺の馬とどち……」
オルトが足を止める。顔は右側の路地に向いている。
「すみません。ちょっと」
急に手首を掴まれて動揺。路地に連れ込まれる。オルトは私をタルの影に追いやった。
「ここにしゃがんで、目を閉じて耳を塞いでいて下さい」
「あの……」
「すぐ戻るので、誘拐されないように隠れてて。目を閉じて耳を塞いでいて下さいよ」
そう言い残し、オルトは私を置いて路地の奥へ進んだ。タルの影から少し顔を出す。距離があるし、暗くて見えないが、誰かいる。しゃがむか四つん這い。
布が擦れるような音がする。誰か何か探し物?
「楽しそうな事をしていますね?」
「ああ?」
低い、唸るような男の声。何?
「その腕章……」
「俺も混ぜてくれません?」
「何だ……。いくらだ? いくら渡せば見逃してくれんだ?」
「銀貨をあるだけ」
「んだと? 相場を知っててボッタくろ……。いや、払うよ払う。チッ。足元見やがって」
建物と建物の隙間から月明かりが落ちていて、オルトが抜剣して、その刃が光ったのが見えた。
状況が全く読めない。オルトは銀貨を渡されたら何かを見逃すの?
「まだヤッてない?」
「んまあな。本番は今からだ」
「なら俺が先で。アンタの薄汚いのが入った後とか寒気がする」
「んだ……分かった、分かった。相変わらず騎士様も腐ってんな」
えっ……ヤッて? 本番? えっ?
オルトは騎士だ。見逃すどころか参加するの? しかもお金を貰って。さらには私がここにいるのに?
次の瞬間、鈍い音がして男の悲鳴が上がった。オルトが男の腕を捻り上げて地面に押しつけている。
「強姦未遂の現行犯。余罪は何件?」
「は、はじめ……ぎゃああああ!」
「指は10本しかないぜ?」
「折る、折るな! 折らないでくれ! ぎゃああああ!」
「余罪は?」
「2件だ! あああああ!」
「何件?」
「うぇっ、ひっく、4件……」
「全員処女?」
「ち、ちがっ……ぎゃああああ? 本当に違う! 死刑台はさすがにヤベェから、明らかに無理そうなのは最後までしてない!」
「未遂が更にあるってことだな。相変わらずって、前に賄賂を受け取った騎士の腕章の色は?」
「緑だ。1人だけだ。本当だ。これ以上折ら……」
ゴンッという鈍い音が何度かして、路地は静かになった。
「噂を立てられたり、知られたくないなら通りに出て、なるべく通りの中央を通って帰りなさい。未遂ですから変な噂は立ちにくいので、出来れば署で状況説明をして、防犯対策強化の手伝いをして欲しいです」
「あり……ありがとう……ございます……」
「署には夜でも女性事務官がいて対応します。男と2人にはしません。他の女性のために協力していただけませんか?」
「そ……それ……。それなら……」
強姦未遂……。何の音もしなかった気がするのに、よく気がついた。
英雄だ。オルトはこの女性の、世の女性達の英雄。
騎士によっては金を貰って強姦に参加するようだ。なんて恐ろしい話。王都には村にはない物騒で怖い犯罪があるとか、騎士にも気をつけろとか、マイクに言われていたけど、このことだ。
オルトは男を左手で引きずって戻ってきた。男は気絶している。オルトと目が合った。
「目を閉じて耳を塞がなかったんです?」
「いやあの……。意味が分からなくて。その後は驚いたのと、怖くて固まって……」
「こういうことがあるので、日が落ちたら1人で歩かないようにして下さい。護身術講座にも参加して下さい。少しお待ちを」
オルトは路地から通りに出た。後ろに女性が続く。
髪はぐしゃぐしゃで、服は泥まみれで、スカートがところどころ破けている。
私より年上、子どもがいそうな年代の女性だ。目が真っ赤で頬には涙の跡。
私は立ち上がってショールを彼女のスカートに巻いた。
「ありがとうございます」
「あの……」
ピイイイイイという笛の音が鳴る。オルトが笛を吹いていた。しばらくして馬の足跡が近づいてくるのが聞こえた。
「お前らか。ちょうどいいや」
「オルト副隊長! 事件でしょうか?」
「強姦未遂で現行犯逮捕。余罪4件の自白。全員経験者を選んだらしい。つまり、未遂の余罪は4件以上だ。以前第6部隊の誰かに賄賂を渡して見過ごしてもらっている。まあ、それは俺が色々するけど、再度自白させて、調書にしっかり書け。任せた。署まで引きずってけ」
オルトは男を放り投げた。顔がボコボコに腫れている。指も何本か変な方向に曲がっている。私は思わず顔を背けた。
「副隊長、これ、やり過ぎじゃないです?」
「バカ。副隊長はこの手の犯罪が1番嫌いなんだ。男が女に手を上げたらほぼ全員引きずり」
「俺も副隊長の意見に賛成。強姦魔はクズだクズ」
「こちらの女性を丁重にお守りしろ。外聞を捨てて、防犯対策強化に協力して下さる。必ず女性事務官と一緒に聞き取りしろ」
「はい勿論です! 副隊長!」
さあ、とオルトは女性を部下らしき騎士の元へ促した。別の騎士はもう犯罪者を馬で引きずって遠ざかっている。
通りは事件を嗅ぎつけた野次馬で騒がしい。
「突然引きずり込まれたなんて怖かったですね。もう安心ですよ」
慈しみに満ちた優しい眼差しに、それに似合う笑顔。
オルトは大きめの声でそう言って、再度女性を促した。女性がおずおずと進み出て、手を差し出した騎士の前に立つ。彼女は騎士の手を取り、馬に乗った。
騎士達が数名残って、遠ざかっていく。残りの騎士はオルトに敬礼して巡回に戻っていった。
「処女だと死刑。他は投獄数ヶ月から数年。娼婦だと罰金だけ。なんつう法律だ」
「えっ?」
「アルベルティーナさん、とりあえず襲われたら自分は清い。絶対に訴えると騒いで下さい。少しはヤられる確率が減る。理性が無い奴は処女どころか子どもでも関係ないみたいですけど」
手招きされて、通りに出る。野次馬はオルトに拍手喝采して散っていった。オルトはニコニコしながら手を振っている。
「あの……」
「そんなに震えて。だから目を閉じて耳を塞いでって言ったのに」
「いえ、その手を拭かせて下さい。守るために傷つける。守るために見捨てる。父が亡くなった代わりに、貴方は生き残り、あの女性の尊厳を守りました」
私はポケットからハンカチを出した。血塗れのオルトの左手を取って、ハンカチを当てる。
「これからも、今みたいに誰かを助けて下さい」
きっと、本来なら優しい手。
昼間エクイテスがあれこれ人助けしたのと同じように、仕事時間外でも腕章をつけて、街の様子に目を光らせている人。
ボーガンの矢に毒を塗らなくて良かった。手が震えて心臓を打ち抜けなくて良かった。
オルトは何故か無表情で、ぼんやりしながら私が手を拭くのを見つめていた。




