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愛、屋烏に及ぶ4

 私とエクイテスは、2人で並んで通りをゆっくり歩いている。コーラリアム酒場を出てからずっと無言。


「俺とオルトは孤児院出身です。折檻に耐えられなくて逃げ出して、路上生活になり、生きるために、成り上がるために戦場に出ました」


 エクイテスが語り出したので、黙って耳を傾ける。彼はチラッと私を見ると視線を前に戻した。


「手柄を立てて地方騎士になり、ナムリズとの戦争後に王都の下っ端騎士、そのすぐ後にアルタイルとの戦いで今の地位に昇格しました」


 自慢? 


「食事の味はしなくなるし、血の匂いがまとわりつく。ろくに眠れなくなって、とりあえず仕事に精を出して、金と自由を手に入れようかと思っていました」


 話は淡々と続くが、これは自慢ではない。結構悲惨な話だ。不幸自慢? そういう感じでもない。事実を並べただけ、という雰囲気。

 抑揚のない声や無表情だからそう思うのだろう。エクイテスの本心がどこにあるか見えない。


「金があれば飢えないし凍えない。自由、昇格すればする程、理不尽な作戦に従わなくて良い。死ぬ確率が減る。そう思って。そんな時です、クリスティーナさんに会ったのは」


 エクイテスは少し俯き、僅かに口角を上げた。耳が赤い気がする。


「何年かぶりに、食事を楽しいと思いました。味もして。最近は血の匂いも減りましたし、よく眠れます。彼女、俺を命の恩人って言ってくれますけど、俺こそ救われました」


 そのクリスティーナの姉だから見逃した。たとえ兄を矢で撃ったとしても。そういうことだろうか。


「なので、反対されると困るというか、辛いので、結婚に際して俺に対して不安なことがあれば教えて下さい。直します。彼女の夫に相応しい男の条件があれば教えて下さい。励みます」


 エクイテスが足を止めた。私を見下ろすと思ったが、彼の視線は左斜め前方に向いた。


「喉、乾いていませんか?」


 エクイテスの視線の先はジュース屋。客が何人か並んでいる。


「いえ、大丈夫です」


 ようやくエクイテスは私を見た。その時だった、よそ見をした男の子が転びそうになり、彼にぶつかりそうになった。

 ヒラリと避けると、エクイテスは男の子の体を抱えた。


「ああっ!」


 男の子が持っていた紙コップから、ジュースがバシャリと石畳に溢れる。


「あー! ジュース!」


 男の子がバタバタと暴れる。エクイテスが男の子を石畳に降ろした。男の子はしゃがみ、濡れた石畳を恨めしそうに見つめている。母親らしき女性が駆け寄ってきた。


「すみません。こらジョルノ! 座って飲もうって言ったでしょ! 勝手にふらふら歩いて」

「お母さん! 僕のジュース!」

「ジュースじゃないの! お兄さんに助けてもらったんだからお礼を言いなさい」


 ありがとうございますと母親は頭を下げ、息子の頭を押さえつけた。エクイテスがしゃがむ。

 男の子はエクイテスを見て頬を引きつらせ、怯えたように母親の後ろに隠れた。


「君、次は座って飲むってお母さんと約束出来るか?」

「ほらジョルノ、ありがとうは?」

「あり……がとう……」

「ほら、新しいのを買いな。ありがとうが言える男は立派に育つ。お母さんから目を離して、その間に事件に巻き込まれたりすると危ないから、男ならしっかり手を繋いで守ってやれよ」


 エクイテスはズボンのポケットから財布を出し、銅貨を数枚男の子に渡した。

 それからスッと立ち上がり、母親に「子どもは誘拐されると悲惨な目に合います。気をつけて下さい」と告げた。

 エクイテスは歩き始めた。まるで何もなかったような顔をして。


「それで、アルベルティーナさん。結婚に必要な条件を教えて下さい」


 エクイテスは何もなかった、と言わんばかりだけどパフォーマンス?


「そこのご婦人! 今盗んだ物を持ち主に返せ!」


 エクイテスは叫ぶと、小石を拾って右斜め前方の女性に投げた。初老の女の頭にぶつかる。エクイテスは走り出し、跳び、逃げようとした女性の腕を掴んで捻り上げた。

 彼女の手から財布を奪い、放り投げる。投げられた財布は中年男性にぶつかった。


「俺の財布だ。兄さん、ありがとう!」


 エクイテスは返事をしなかった。騒ぎを見つけた巡回騎士がエクイテスに近寄っていく。

 

「スリです。連れて行って説教と再犯防止策を一緒に考えるようにして下さい」

 

 エクイテスがスリをした女性を馬から降りた騎士に引き渡す。


「ご協力ありがとうございます。鮮やかで驚きました。騎士入隊試験を受けてみてはどうです?」

「既に第5部隊の騎士です。今日は非番です」

「なんだ。同僚か。良くやったな。再犯防止策とは何だ?」


 騎士がエクイテスの肩を叩いた。


「スリは罰金と指切り。どうせ罰金を支払う金はないです。指を切ったって生活苦やらが改善しなければまた再犯します」

「そう言われればそうだけど、楽して稼ぎたいだけかもしれないぜ。説教も再犯防止策も俺達の仕事じゃねえ……」

「おいモルガン、その方……」

「ん?」


 他の騎士が敬礼をする。


「サー・エクイテス、お疲れ様です! お噂はかねがね! あまりに俊敏な動……」


 エクイテスは軽く会釈をして、騎士の話を聞かずに私の元へ戻ってきた。


「やべえ、俺あの鬼補佐官にタメ口きいちまった」とか「5部の同期が自慢していたが立派そうな方だ」とか聞こえてくる。


「行きましょう。騒がしくてすみません」


 彼は何食わぬ顔で歩き出した。


「結婚条件は何でしょ……」

「補佐官! 何やってるんですか⁈」

「大人しく止まれ! 規則違反で逮捕する!」


 今度は何かと思ったら、巡回騎士が数名駆け寄ってくる。こちらは馬ではなくて地上巡回騎士だ。先程の騎士達と腕章の色が違う。


「貴様等! 騎乗巡回騎士が気が付かなくても、お前等がスリに気が付かないとはどういうことだ!」


 恐ろしい怒声に私は体を竦めた。


「あんなの見えませんよ! 非番の日に説教しないで下さい! それより浮気なんて逮捕です逮捕! この裏切り者!」

「誰ですかこの美人! 恋人が怪我をしたから休むって聞いたのに、見損ないましたよ! 現行犯逮捕です!」

「裏切り者の腐れ補佐官!」

「ん? いやお前ら、あのさ。クリスティーナさんを口説くチャンスじゃね?」


 騎士の1人がエクイテスと騎士達の間に入る。


「そう言われればそうだな」

「確かに」

「その通りだな」

「うんうん」

「じゃあ補佐官。デートを楽しんで」

「この方はクリスティーナのお姉さんだ。お前ら、明日から視覚訓練を増やすからな」


 エクイテスが全員を睨みつけた。


「クリスティーナさんのお姉さん?」

「そういえば似ていますね。いやあ、お綺麗な姉妹ですね」

「こんにちはお姉さん。市内警備隊の……痛っ」


 エクイテスが私に手を差し出した騎士の頭を叩いた。


「あー、仕事中だ。そうだ。俺達は仕事中ですね」

「抜け駆けするなザック」


 騎士が2名、そろそろと離れ始めた。こちらを向いたまま、ジリジリ後退している。


「補佐官、何日か休んでクリスティーナさんの看病をして下さい。俺達は補佐官がいなくてもしっかり働けます」


 別の騎士も同じように離れていく。そうして全員、似た動きになった。みんな、苦笑いしている。


「しばらく休む。しかし隊長には報告する。このチームは訓練内容に3倍に視覚訓練増加。とりあえず1週間。誤解も腐れ補佐官もどうでも良いが、スリ見逃しの件は許さん」


 エクイテスはさらに低い声を出した。

 騎士達が次々と青ざめて、「はい補佐官! 励みます!」と敬礼を残して遠ざかっていく。


「すみません。不肖ながら部下でして」

「いえ」

「お前ら! もう少しバラけて歩け! あとそこのひったくり……さすがに気がついたか。ったく」


 はあああ、とため息を吐くとエクイテスは胸を張った。


「すみません。まだまだ未熟者でして。役職に相応しくなれるように励んでいます」

「そのようですね」

「それで、条件を教えて欲しいです」


 エクイテスが再び歩き出した。私も続く。

 そういえば、散歩らしいけど、どこへ向かっているのだろう?


「むしろ貴方は私に聞きたいことは無いのですか? クリスティーナには今日の件、何も話していません。あの子が報復しようとしたことは聞きました。エクイテスさんは関係無く、オルトという方をしぶしぶ許したことも」

「聞くも何も見ました。オルトと貴女の問題で、俺は何も言えません。オルトは手練れでそうそう死にませんし、接触したらその時点である程度警戒するでしょう。オルトはもうエリオットさんの件で貴女達姉妹に恨まれていると知っています」


 無表情のまま、エクイテスは少し俯いた。本当、何を考えているか全然分からない。

 エクイテスは路地を曲がり、狭い通り道に入った。人が全然居ない。なので、ついて行くのは気後れした。

 エクイテスから少し離れ、後ろに続こうとするとエクイテスは歩く速度を遅くした。私の隣から離れない。ただ、間に距離は出来た。


「とりあえず同じ手は逮捕の確率が上がるのでやめて欲しいです。夜道で襲撃は、その前に貴女がそこらの男に襲われそうですし……。色々難しいかと」

「それは、私に我慢して耐えろと? いえ、まあ、私はクリスティーナが手を染めるのが嫌だっただけで、あの子が許したのなら……」


 色々混乱していて、頭も気持ちも整理が出来ない。けれども、少しホッとしている。クリスティーナのためとは言え、誰かを殺すなんて恐ろしかった。

 練習に練習をして命中率は上がっていたのに、本番では体が震えてしまい、業を背負うことを拒絶した。


「クリスティーナは薬を盛って酒を飲ませて強姦罪を(なす)りつけて、市中引き回しに死刑にすることを目論んでいました。俺が激昂して殺す、とまで考えたかもしれません。地位も名誉も失って弟分になぶり殺し。これ以上ない復讐かと」


 エクイテスが足を止めて、私と向き合った。


「まさか。あの優しいクリスティーナがそんな酷いことを考える訳がありません」


 口にして、そうだろうか? と疑問に思う。クリスティーナは確かに眠くなる薬草を仕入れていた。

 自分を傷つけて、エクイテスやオルトの心を傷つけたかった。わざと馬車に轢かれた。そうは見えなかった。

 薬草がなぜ必要だったか分からなかったが、そういうことだったのか。

 

「結局、薬でフラついたオルトが馬車に轢かれかけて、見殺しに出来ずに、むしろ身を呈して守ってくれました。俺のために。貴女の言う通り、クリスティーナは優しいです」

「貴方の……ため?」


 コクリと頷くと、エクイテスは私に軽く頭を下げた。


「貴女にも多分無理です。弓矢に塗ってあったのは軽い痺れ薬でしたし、妹が必死に許した相手を、死ぬかもしれないのに守ろうとした人を、というのも出来ないと思います」

 

 指摘されて、頷きそうになる。その通りだ。猛毒を塗る勇気なんてなかった。殺人を体が拒否した。

 クリスティーナは父の仇を許すどころか守った。家を飛び出し、頼りのない王都で暮らし、探し当て、近づいて……きっと苦労したし苦悩していただろう。


「もし許せなくなったら、俺がやります。いつでも言って下さい。許せなんて言えません。戦場は地獄などと言い訳するつもりもありません。オルトとは同じ部隊だったので、俺は関係ないなんて言いません」

「酷いことを言いますね。クリスティーナが慕っている相手にそんなことを頼めません。貴方の言う通りです。私、怖かった……」


 クリスティーナの代わりなんて言い訳をして、憎しみに駆られて、手を染めるところだった。クリスティーナの言う通り、優しかった父は、きっとそんなの望まない。


「それなら……このやり場のない気持ちはどうしたら……」


 涙が溢れてくる。クリスティーナも似た気持ちなのだろうか。聞いてみよう。

 エクイテスがハンカチを差し出してくれた。


「とりあえずクリスティーナとネチネチ、オルトをいびると良いかと。今夜クリスティーナとオルトと夕食を一緒にします。おそらくクリスティーナは貴女を誘うかと」

「ええっ? それは……」

「帰りますか。一通り伝えたいことは話せましたし」


 そう告げると、エクイテスは来た道を戻った。途中で私にグレープフルーツジュースを買い、クリスティーナの分らしき桃のジュースも買った。

 それから中年男性同士の喧嘩を仲裁し、迷子を保護してサッと親探し。

 見た目は怖いし、ほぼ無表情だが、真面目で仕事熱心なのは良く良く分かった。今日の彼は休日なのに働き過ぎだ。

 エクイテスは帰り道では「条件」について問わなかった。


「お帰りなさい。遅かったわね」


 コーラリアム酒場に入ると、クリスティーナは物凄く不機嫌顔をした。チョコレートケーキは手付かず。


「許してもらえなさそうなので、しばらく励みます」

「ええっ! 姉さん、何で? エクイテスさん、どんな話をしたらそうなるの?」

「結婚条件を何度か聞いたのですが、答えてもらえなくて。それ以前の問題のようです。途中、色々あって、仕事ぶりが悪いとか、部下の教育が悪いとか、印象が悪かったのかと」


 えっ? 何でそうなる? エクイテスは無表情ではなくなった。しょぼくれて見える。


「姉さん、そうなの?」

「いえ、逆に仕事は非の打ち所がなさそうだったわ」

「そうなんですか?」


 エクイテスが目を丸める。


「お母さんにはお父さんのことを話す必要は無いと思います。エクイテスさん、母が結婚を許すなら、私も従います」


 瞬間、エクイテスは満面の笑みを浮かべてクリスティーナを見た。ギョッとしたというか、茫然としてしまった。

 笑うんだ、この人。

 心臓がドキドキ、バクバク鳴り始める。瞬間、クリスティーナに「見惚れないで!」と怒られた。

 このエクイテス相手だと、確かにマイクは敵わないな。

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