策士、策に溺れる2
夜のコーラリアム酒場はいつも賑やかだけど、今夜は更に騒がしい。
今夜、この店を貸切にしたのは市内警備騎士隊の第5部隊。新しく隊長補佐官が任命されて、その歓迎会。
隊長補佐官エクイテスは中心人物のはずなのに、角にあるテーブルで、隊長オルセンと2人で黙々と飲んでいる。
騎士達が入れ替わり立ち替わり彼等に近づき、何か声を掛け、去っていく。
歓迎会なのに、しぶしぶ部下を飲ませにきた上司2人、という雰囲気だ。
「格好良いね、あの隊長さん。それに補佐官さんも」
「え?」
同僚のエミリアに肘で小突かれた。
「聞いたよ、補佐官さんに窓から落ちたところを助けてもらったって」
「噂になっているの?」
「さっき、向こうのテーブルで聞いた。クリスティーナちゃん、あれで補佐官に惚れたりしてない? ってね。クリスティーナは今夜もモテモテだね」
にしし、と歯を見せて笑うとエミリアは私から離れて、空きジョッキを洗い場へ運んでいく。
「クリスティーナちゃん! 新しい酒を頼んで良い?」
「はい、ただ今!」
エミリアが目で示したテーブルから呼ばれる。
サラミとチーズを乗せた皿を配り歩き、私を呼んだ騎士のいるテーブルへと向かう。
決められた料理。飲み放題。愛嬌で酔わして酒が出過ぎないようにしてくれ、単価が安くて酔い易いワインを勧めてくれ、とは店主コルダからの頼まれ事。
「お待たせしました。先日、新しいワインが入ったんですけど、飲んでみませんか? 飲み放題メニューにも入っています。白も赤もありますよ」
目一杯の営業スマイルを浮かべる。
「クリスティーナちゃんがそう言うなら、そのワインにしようかな。赤も白も1本ずつ。お前らもそれで良いだろう?」
「えー、サイナスさん、俺はビールが良いです。クリスティーナさん、俺だけビールで」
馴染み客のハリーにウインクされた。笑顔を返す。
「俺、黒ビールで。飲み放題なんだから、1番高い黒ビールがコスパ最強っすよ」
「ニック、この麗しいマーメイドのおすすめを断るって言うのか⁈」
常連客のサイナスが私の腰に手を回し、体を引き寄せた。
「もう、サイナスさん。酔いました?」
笑いながら体をくねらす。軽くボデイタッチで機嫌を損ねないようにしつつ、ゆっくり離れる動くのがコツ。騎士に抱きつかれるなんて最悪。ムカつく。
サイナスの手から抜け出した時、スコンッ! とサイナスのこめかみにワインのコルクがぶつかった。
「いてっ。誰……」
「そこのお前! 店に迷惑をかけるな!」
怒声とゴンッという壁を叩く音がして、振り返る。エクイテスが腕を組んで、サイナスを睨みつけている。
「騎士道に背くな! 勤労なお嬢さんに不埒な真似など言語道断! 腕立て100回!」
エクイテスの叫びで、店内が静まり返る。
「聞いたなお前ら、次からは全員連帯責任にするぞ。上位部隊と入れ替わるんだから、品格を身に付けろ。いやあ、いいね、エクイテス君。こいつら、私は怖くないようなので、ビシビシ頼むよ」
隊長のオルセンが呑気そうな笑い声を出した。
「オルセン隊長! 補佐官! 可愛らしいお嬢さんを口説くのは当たり前のことです! 恐怖政治反対!」
「そうだそうだ! でもサイナス先輩は腕立て100回! 俺のクリスティーナさんに気安く触るな!」
ハリーがサイナスの背中をバシンッと殴った。サイナスの周りの騎士達も次々同じことを始める。その後、ハリーの頭も叩かれ始めた。
(私がいつ貴方のものになったのよ。騎士の中では態度がマシだから談笑してたけど、図々しいわね)
「いて、痛いって、お前達、上官に向かって何をする!」
「ちょっ、先輩達、なんすか!」
「何が俺のクリスティーナだ! クリスティーナさんは俺が射止める!」
「俺に決まってるだろう!」
「まあ俺はエミリア……」
「貴様! 俺のエミリアさんを呼び捨てにするな!」
酔っ払い騎士達のいつもの光景。私は空きジョッキやグラスを回収して、テーブルから離れた。女なら誰でもいいのかこいつら。と今夜も心の中で舌を出す。
「それサイナス、いーち。にー」
振り返るとサイナスが腕立て伏せを開始していた。上半身裸。ハリーも腕立て伏せをさせられている。こちらも上半身裸。
たまにパンツ一丁になる客もいるが、上半身だけでも目のやり場に困る。触られる以上に慣れない。
(貸切だから、いつもよりタチが悪いわね)
洗い場へ行き、洗い物をしているケビンにジョッキやグラスを任せる。伝票に先程取った注文を書き込む。
(ありがとうサイナスさん。これであのエクイテスに話しかけるキッカケが出来たわ)
元々、助けてもらったお礼を告げるために話しかけるつもりだった。
オルトという人物について探りたい。私は深呼吸をして、ホールへ戻った。カウンター下に置いてある、黒羽コート入りの紙袋を手に取る。
笑顔を作り、オルセンとエクイテスのいるテーブルへ向かった。
「オルセンさん、エクイテスさん、先程はお気遣いいただき、ありがとうございます」
満面の笑みを投げると、オルセンはにこやかに笑ってくれた。一方、エクイテスは渋い顔。
「クリスティーナさん、でしたっけ? 部下がすみません。もしや、いつもあんなです?」
オルセンが困り笑いで頭を軽く下げる。エクイテスも同じ動きをした。
「いつもご贔屓にしていただいています」
「あまり酷かったり、困ったらいつでも署に通報して下さい。こってり絞りますから」
「腕立て100回、です? 皆様節度があって親切なので大丈夫ですけど、その時はよろしくお願いします」
オルセンだけではなくエクイテスにも笑いかけてみたが、彼は俯いてナッツを口に運んでいる。
チッ、手強い。美人の素敵な笑顔を無視とは男色家?
「エクイテスさん、昼間はありがとうございました」
声を掛けると、エクイテスはようやく顔を上げた。回り込んで隣に立ち、コートの入った紙袋を差し出す。
「いえ、どういたしまして」
エクイテスは体をこちらに向けたが、私を見ずに紙袋を受け取った。それで、すぐに体を元の方向に戻した。
「あの、エクイテスさんのご友人にオルトさんという方はいらっしゃいますか? 兄がエクイテスさんとオルトさんに戦場でお世話になったそうで」
エクイテスが顔を上げた。目を丸めて私を見据える。困惑顔だ。
「お兄さんが戦場で? 俺とオルトに?」
「兄と言っても、姉の婚約者ですので義理の兄ですけれど。エクイテスさん、義兄を助けていただきありがとうございます。オルトさんにもお会いして、お礼をしたいです」
私は深々と頭を下げた。
エクイテスが立ち上がり、私の肩に触れ、体を起こさせた。手を払い「嘘よ! 父の仇だから死ね!」と叫びそうになる。今は調査や接近の時間。笑顔、笑顔。
彼は眉間に皺を寄せていた。
「どこの戦場です? つい最近ですか?」
「義兄は戦についてあまり語りませんので、どこかは知りません。アルタイルとの戦に駆り出されて、王都の騎士に助けられたと。上京して、もしもエクイテスやオルトという騎士に会ったらお礼を言うよ……」
「義兄さんのお名前は? どちら出身です?」
言葉を途中で遮られ、体を軽く揺すられた。
「マイクです。イシュル村の……」
「マイク……。うーん……あいつか? 生きていたのか。良かった。そうですか、良かった」
エクイテスがほんの少し笑った。眉根は下がっている。
「他には? 他に村に戻った方はいます? 確か同じ村の人は5人でした」
エクイテスに問いかけられ、私は首を横に振った。瞬間、エクイテスの微笑は消えた。
「へえ、エクイテス君達の部隊に生き残りがいたのか。それは良いことだ。ファムズ将校が逃走する為の盾になって、君達以外は全滅って言っていなかったか?」
「ええ、オルセン隊長。アルタイルの化物みたいに強い騎士に次々やられて。向こうも同じ小隊なのに、他の小隊を次々撃破し、俺達もやられました」
「死神騎士がファムズ将校達の部隊を壊滅させたんたってな。化物って、その騎士を討ったのは君だろう? 噂で聞いた」
「落馬させましたけど、その後に矢で打たれてこちらも落馬。隊はとっくに散り散りで、周囲に味方ゼロ。ファムズ将校を抱えて、必死に逃げました。オルトの増援で逃げ切れましたけど、オルトが逃げられたと言っていたので、あの男は生きています」
「うへぇ。そりゃあ最悪だ。ウェイルズでの戦いは酷かったな。俺のいた部隊も酷い目に合った。ゴルダガから侵略を仕掛けたのに、押されて国境線を越えられて敗戦逃亡。アルタイルが報復の為に攻めてこないと良いんだけどな。死神騎士に会うなんて御免だ」
「ええ。今のところそのような気配はないようです。向こうも疲弊したと思いますし、ゴルダガは天然要塞ですから攻めにくいでしょう。俺ももう2度とあの男に会いたくないです」
自分が助かる為に命を盾にしたファムズという将校。それと同じようにエクイテスとオルトも父達を囮に?
囮にしたというのに、マイクが生きていた事を知ったエクイテスは嬉しそうだった。
村から幾人もの男達が出征したので、エクイテスの言った5人が村の誰だかは分からない。
エクイテスはその人達のことも案じていた様子。5人のうち1人は父だ。
私の復讐相手はエクイテスではなくオルトかもしれない。
「お2人共、いえ皆様、とても大変だったのですね。お国の為に、私達国民を守る為に……」
隣国アルタイルの化物みたいに強い騎士に追い詰められた結果、エクイテスかオルトは父を囮にした?
この感じだと怪しいのはオルトだ。エクイテスではなさそう。いや、結論を出すのはまだ早い。
(復讐……。私に人を殺すなんて無理そうで……。それならどうしよう。名誉を貶める? お金を奪う? 大切な人を傷つける……)
私から父を奪ったように、私が彼等の大切な人を奪う。理不尽で酷い行為だが、効果覿面なのは良く知っている。
まずはエクイテスやオルトと親しくなり、探り入れ、彼等の大切な人を知る必要がある。
新しい慣れない生活と、オルトとエクイテスを探すことに必死で、その先の計画を考えていなかった。これから考えないと。
「不甲斐なくてすみません。1人でも生きていたと知れて良かったです。オルトにも伝えておきます」
エクイテスが素早い会釈をした。
「いえあの、出来れば直接お礼を伝えたいです」
「そうですか。彼のいる部隊はアルタイルとの国境線に偵察へ行っているので、帰ってきたら声をかけます」
「ありがとうございます。そうだわ、この通りウエイトレスなのでたいしたお礼は出来ませんが、ボトルを入れます」
「ボトル?」
「ブランデーを飲まれているので、ブランデーにしますね。エクイテスさんにまたいらして欲しいので、お礼を兼ねて、サービスです」
父の仇かもしれないので触りたくもないが、私はエクイテスの両手を取り、握りしめ、これでもないかという笑顔を作った。
エクイテスは無表情。反応が薄いというか、無い。
それなりの容姿と愛嬌で常連客達に好かれてきたが、エクイテスには通用しないようだ。
(通ってくれないと探れないわ)
エクイテスは手を引っ込めた。
「また……。また来ます。ブランデー……好きなので……。タルタルフライも、気に入りましたし……」
エクイテスは仏頂面で髪をかきながら着席し、飲みかけのストレートのブランデーを一気飲みして、ナッツを口に運んだ。
彼の日焼けした横顔は少し赤らんで見える。
(そうそう。期待していたのはその反応。一歩前進ね)
私は心の中でガッツポーズをしてエクイテス達のテーブルから離れた。