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エロースの弓矢1


「ハムが消えていたが、誰が犯人だ?」


 俺達がかつて暮らした孤児院は、いつも暴力で溢れていた。


「名乗るまで、全員に鞭打ちを続ける」


 こういう時、手を挙げるのはエクイテスだった。それで、全身あざだらけ。傷だらけ。犯人は俺達子どもではなく職員だと判明しても、大人は誰も謝らない。

 クソみたいな大人達を全員殺してやろうと思った時に「殺すより逃げよう」と手を引いたのはやはりエクイテス。

 俺達は孤児院を飛び出して、裏通りに住み着いた。


「やったな、エクイテス。昼飯ゲット。エクイテス?」

「食べられますか?」


 盗んだパンを2人で半分こ。それを、さらに半分にして、名前も知らない、ブツブツ喋り続ける鶏ガラのような、死にかけの老人に差し出してしまう男。それがエクイテス。

 返事もなしにパンを奪われても、胸を撫で下ろしたように微笑む。それがエクイテスという奴。


「お前さあ、飢え死にするぜ。ほら、やるよ」

「ん? 俺にはオルトがいるから、死なねえよ。半分の半分に減って、少し戻ってきただろ!」


 あはは、と呑気そうに笑うエクイテスが、死んだような目をするようになった日は、初めての戦場だ。

 人間らしく生きるために、稼ぐために成り上がろうと、俺はエクイテスに剣を握らせた。

 あの日、俺の首を絞め、刺そうとしてくる敵の首を一刀両断。エクイテスの顔はぐしゃぐしゃで、泣いていた。


 戦の度にエクイテスは前に出るから、俺はさらに前に行った。前に出ないと守れない。エクイテスが他人を優先して自分を蔑ろにするから、俺がエクイテスを守る。

 ウェイルズの戦いでエクイテスとはぐれ、なるべく多く生きるために、エクイテスの元に行って守るために、俺は最善の策を取った。

 胸が痛まない訳ではなかったが、足手まといの頭数要員の兵を囮に使用。よくある話。

 

『あの人がいなかったら殺してた!』


 繰り返し、繰り返し、脳内でクリスティーナの睨みと罵声がくるくる回る。くるくる、狂狂回る。

 人を殺すとはそういうこと。クリスティーナはエクイテスが俺と同じ穴の狢だと理解しているのか?

 食堂のテーブルにバスケットを置いて、中身のクッキーをつまむ。ふちに砂糖がついていて、大嫌いな蜂蜜がかけてある。

 甘ったるい臭いで既に嫌だが、一口齧る。砂糖が多いのか、口の中がジャリジャリする。


『戦地なんて想像も尽きませんけど、味方を囮なんて心が痛みますね』

『そうでもないよ。死体の山で麻痺してるし、他人より自分。知らない奴より友人』


『生き残るために使える駒はどんどん使う』


 あの時、クリスティーナはどういう表情をしていた? 

 

(笑っていたな。出征に同情するような、哀しげな微笑み。あの時、俺を嵌めようと思っていたのか……。一言、多少は胸が痛むとか言えば……)


 怖い女。エクイテスをあっという間に懐柔して……。


(笑顔に味覚に嗅覚を戻して……。エクイテスさんが助けてきた人だから、か。俺はまたエクイテスに助けられたのか)


 俺はその逆。何も知らなかったとは言え、エクイテスの恩人、恋人の心をグサグサ刺し、薬を盛られたとはいえ、不注意で怪我をさせた。

 彼女は打ちどころが悪かったら死んでいた、と医者が言っていた。


「副隊長、美味しそうなもの食べてますね。コレからの差し入れですか?」


 声を掛けてきたのは部下のレイリーだった。


「いや、悪友の嫁から」

「悪友? ああ、第5部隊のエクイテス補佐官ですか? よく一緒にいる。あの方、結婚していたんですね。怖くて近寄り難いのに女はいるのか。意外です」


 レイリーが俺の隣に腰掛けた。


「いやまだ。でもあれは嫁みたいなもんだ。結婚まで秒読み」

「俺達って忙しいのに、どこに出会いがあるんですかね。イージスも来月入籍って言っていました」

「あいつの恋人はコーラリアム酒場の……」

「まさかサリーさんです?」

「いや」

「それならエミリアさんです?」

「いや」

「ああ、ホリーさんか」


 レイリーが胸を撫で下ろす。俺達の部隊もコーラリアム酒場で飲み会をしたが、他にも酒場はごまんとあって、ウエイトレスも沢山いる。なのにコーラリアム酒場のマーメイド達は人気が高すぎだ。

 昼間の弁当売りや見た目の質が他の酒場のウエイトレスより高いのが原因だろう。

 酒場のウエイトレスなのにスレてない、清楚可憐な見た目の子達だし、接客態度も抜群に良い。

 あの店の主人か店主夫人はヤリ手だ。


「いや、クリスティーナさん」

「えっ? クリスティーナさん? クリスティーナさんかあ……。クリスティーナさん……」


 レイリーは項垂れ、大きなため息を吐いた。おまけに頭を抱えてしまった。ここにもクリスティーナファンがいた。

 エクイテスを誑かす悪女かと思って盗み見したり調べたけれど、彼女がマーメイドの1番人気。

 クリスティーナが弁当販売以外は裏方になると、客がかなり離れたらしい。


「噂の恋人って、エクイテス補佐官だったんですね。恋人が出来て引っ込んだって知っていたけど、優しい素敵な人ってエミリアさんに聞いていて……あの鬼と噂のエクイテス補佐官がクリスティーナさんと?」


 顔を上げたレイリーはしかめっ面で不服そうだった。


「あいつは優しいぜ。鬼なのは部下の為だ。弱ければ死ぬ。油断したら死ぬ。俺達の宿命だろ」

「いえあの、そういう意味ではなくて。いやあの、ほんわかした可憐なクリスティーナさんと、真逆だなと」

「エクイテスも女の前じゃヘラヘラしてるぜ」


 俺はクッキーを口に放り投げた。なるべく噛まないで飲み込む。あと5枚もある。サイズも大きい。本当に地味な嫌がらせだ。

 気分が沈む。刺された方がマシだった。エクイテスの大事な女に助けられて、怪我をさせて、許されて、おまけに「もしもの時は3人」とは、罪悪感からの逃亡は許されないということだ。

 騎士を辞めて街を出る事も出来ない。


「へえ、あの方がヘラヘラ……?」


 レイリーが腕を組んで首を傾げる。


(まあ、俺も驚いているしな)


「副隊長、美味そうなもの食ってますね」


 部下のキーエンスが向かい側に座った。


「レイリー、知っているか? コーラリアム酒場のクリスティーナちゃん、恋人と別れたらしい」

「えっ?」


 レイリーが俺を見る。首を横に振っておいた。


「しかも昨日、勘違い客に襲われかけたとか。絶対、今が口説くチャンスだ。副隊長、今夜暇なら飲みに連れてって下さい」

「自分でいけ。あとその噂は嘘だ」

「嘘? 何か知ってるんですか? まさか……クリスティーナちゃんの恋人って副隊長です? エリート騎士らしいって話なんですが」


 キーエンスに恨めしそうな目をされた。


「キーエンスさん、彼女の恋人は第5部隊のエクイテス補佐官だそうです」

「エクイテス補佐……うえええええ⁈」


 目を丸めたキーエンスが俺とレイリーを交互に見る。


「そのクッキー。クリスティーナさんからの差し入れだそうです。副隊長とエクイテス補佐官が親しいから」

「なんすかそれ! なんで黙ってたんですか⁈」

「あー、エクイテスがクリスティーナさんと恋人ってこと? いや、あいつら毎日のようにそこの広場で一緒にランチしてるだろ」

「そうなんですか⁈ 羨ましい。っていうかエクイテス補佐官? あの恐ろしい鬼上官?」


 第3部隊は厳しいのに、その所属騎士に「恐ろしい」や「鬼」と言わしめるエクイテス。


「おっ、副隊長。誰からの差し入れですか? 美味そうですね」


 レイリーの隣にソクラテスが座った。俺は嫌いなのに、こいつらどいつもこいつもクッキー好きか。


「キーエンスさん、知ってます? コーラリアム酒場のクリスティーナさん、恋人に捨てられたって。しかも……」


 この場にいる全員が首を横に振った。


「ん?」

「ソクラテス、悔しいことにクリスティーナさんは第5部隊のエクイテス補佐官が掻っ攫って、結婚秒読みだそうです」

「クリスティーナさんがけっ……えええええ、エクイテス補佐官⁈」


 ソクラテスが両手で頭を抱えて呻いた。


「嘘だろう。俺、半年も前から目を付けていたのに。弁当代が全部無駄だ。照れてないで、他の奴らと同類になりたくないとか考えないで、積極的に話しかければ良かった。後から着任したあの鬼のような人に……。クリスティーナさん……。俺のオアシスが……」


 ガクン、と肩を落として俯くと、キーエンスは巨大なため息を吐いた。

 数分で男3人を落ち込ませるとは、クリスティーナは恐ろしい女。

 そして心配になる。この調子だと、またヤナンみたいな男が現れるんじゃないか?


「あー……。俺、少し出る。午後の訓練までには戻る」

「副隊長?」

「お先に」


 俺はバスケットの蓋を閉めた。鼻を突き刺す嫌な甘い匂いが消えてせいせいする。


 ★


 コーラリアム酒場の前で深呼吸をして扉をノック。それから、扉を開く。この店の防犯は緩い。鉄格子くらいつけるべきだ。


「すみません、準備……、おや、オルトさん。クリスティーナの見舞いかい?」


 店内掃除をしているサリーと店主夫人アメリアに会釈をする。


「ええ、仕事があるのでエクイテスに任せたんですが気になって」

「クリスティーナならエクイテスさんと出掛けたよ。今日は寝てれば良いのに、買い出しに行きますって。働き者でありがたいけど心配だ」


 アメリアは手に持っていた箒をカウンターに立てかけ、首の後ろに手を回した。

 エクイテスは仕事を休んだらしい。そありゃあそうか。なら、今日は問題ないだろう。


「すみません。大事な看板娘に怪我をさせてしまって」

「珍しい露店を見ようとして、急に走り出して通りを横切ろうとしたなんて、ドジな娘だ。護衛や付き添いがいても、そんな不注意をしたらそりゃあ怪我をする」


 腕を腰に当てると、アメリアは首を横に振り、肩をすくめた。

 

「しっかりしているようで抜けてるんだ。自覚しているようで隙があるし。ありゃあ、エクイテスさんは苦労するよ」

「そうなんですか?」

「買い出しに行きますなんて、デートを見せびらかして破局の噂を少しでも消す為だね。出張で会えなかったせいか、破局の噂が出ていて困る。分かりやすい虫除けが欲しいです、だって。ちゃっかりしてる」


 アメリアが歯を見せて笑った。


「そりゃあ、ちゃっかりしてますね」


(このままクリスティーナのペースで婚約ってことか。エクイテスは浮かれるな)


 で、俺の身の置き場はない。陰湿。クリスティーナはネチネチ俺を責め続けるつもりだ。彼女から見た俺の罪に対して軽すぎる罰。


「そこらへんの心配をして、忠告しにきたんですが、無駄足でしたね。食堂で部下が何人も噂話をしてて。サリーさんも男には気をつけて」


 サリーに手を振って、アメリアに会釈をして背を向ける。カランカラン、と扉が開いた。


「あらオルトさん。こんにちは」


 まるで何もなかったように、クリスティーナがにっこりと微笑んだ。松葉杖に包帯姿で痛々しい。

 エクイテスがクリスティーナと俺を交互に見て動揺した様子を見せる。


「おかえり、2人とも。オルトさん、見舞いと忠告に来てくれたんだよ。署でも破局の噂が出てて、あんた達と似たような心配をしたって」


 クリスティーナが左手を上げて、はにかみ笑いを浮かべた。左手の薬指に白銀の指輪。

 薄紫色の宝石がついている。エクイテスの瞳の色。鈍い輝きなのでガラスだろう。安そう。


「虫除けを買って貰ったので大丈夫です」

「エクイテス、安物かよ」

「俺はもっと……」

「特注の結婚指輪にお金をかけるので節約です。サイズぴったりでなかなか抜けない、目立つものを作らないと」


 うんうん、とエクイテスが頷く。耳が赤いのは「結婚」という単語のせいだろう。

 高い指輪を買おうとして、言いくるめられたらしい。


「エクイテスさんに女郎蜘蛛がまとわりついたら困りますから」


 ジト目でエクイテスを睨むと、クリスティーナは俺に視線を移動させて舌を出した。


「悪い遊びを教えそうな悪友がいますからね」


 ツンッと顔を背けると、クリスティーナは歩き出した。


「クリスティーナ? 今のはどういう意味だ? えっ? 俺?」


 振り返ったクリスティーナが、俺に向かってあかんべをした。その後、肩を揺らす。


「夜、エクイテスさんとここで夕食なので待っていますね。お兄さん」


 ふわり、と笑いとクリスティーナは階段を辛そうに登り始めた。エクイテスが支えに行く。


(昨日の殺意はどこにいった。エクイテス、すげえな……)


 いや、愛情や恋というものの力か。俺はコーラリアム酒場を出て、空を見上げた。ホッと息を吐く。

 その時、気配がして抜剣した。弓矢。叩き切ったが、即座に追撃がきた。あまりに早い連撃。

 連射式ボーガン? 肩に激痛が走る。

 どこだ? こんな昼間に連射式のボーガンで騎士を狙う奴とは……、腕が痺れ、息苦しくなる。


(毒矢?)


 通り人達の悲鳴が上がる。建物と建物の間に体を滑り込ませて、周囲を探る。コーラリアム酒場向かい隣の屋上に人影を見つけた。

 酒場からエクイテスが出てきた。


「エクイテス危ねえ! あそこの屋上だ!」

「オルト、その肩! ……」


 エクイテスが抜剣して走り出す。俺は座り込み、肩に刺さった矢を抜いた。

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