愛、屋烏に及ぶ1
クリスティーナが暴漢に襲われて怪我をした、と連絡をくれたのはコーラリアム酒場の店主コルダだった。伝達員を使った緊急連絡。その少し後にオルトからも同じような連絡があった。どちらにも「痣だけの軽い怪我」と手紙に書いてあった。
当然、俺は上官に事情を説明して、婚約者が大怪我したと多少の嘘をついて王都に戻ることにした。馬を飛ばして、王都に戻れたのは明け方。
酒場に行くとコルダとアメリアに「オルトさんと夕食に行って、帰りに馬車に引かれて入院している」と告げられ、血の気が引いた。
たった数日クリスティーナの側から離れただけなのに、不在の時に限って事件事故。
理由をつけて部下を護衛にし、オルトにも頼んだというのにどういうことだ。
頭を数針縫ったのと、骨折と、打身。軽症の範囲だが、まだ眠っているのでオルトが付き添い中らしい。
病院に向かいながら、なぜオルトと護衛がついていながら馬車に引かれる、と苛立った。そもそも、2人で夕食というのも腹が立つ。
教わった病院に到着し、看護師にクリスティーナの病室を教わった。
部屋の扉をノックしようとした時、2人の会話が聞こえてきた。聞き耳立てて、手を止める。
2人に何もないとは思うが、一応。
「待って。父? 駒って、あの話。義理の兄が俺達の部隊にいて、生きていたって……」
「父も同じ部隊にいました。義理の兄から父の最後を聞いて……。帰ってきた父は、小さな骨だけ……」
全く予想していなかった会話に目を丸める。それと同時に、心臓が嫌な音を立て始めた。
『招集されて、それきりです』
彼女は初デートの日に、父親についてそう語った。嘘?
「えっ……。待て。待て待て。知ってて俺達に近づいたのか? お前、エクイテスに何するつもりだ!」
オルトの怒声にハッとして、ドアノブに手を掛ける。体が強張って動かない。
知ってて近づいた……。俺に何を?
「いや、ならどうして俺を助けて、こんな話……」
オルトの声が静かになる。
「エクイテスさんが助けてきた人だから……」
話が見えない。クリスティーナの父親が俺達の部隊にいて、亡くなっていて、それを隠して俺達に近づいて、オルトを助けた? 俺が助けてきた人だからって何だ?
「彼の大切な人だから……。私……エクイテスさんに会いたい。出てって!」
悲鳴のような怒鳴り声。クリスティーナのこんな声を聞いたことがない。
「あの人がいなかったら殺してた!」
(えっ……。オルトを殺す?)
「エクイテスさん……ごめんなさい……」
うわああああんと、まるで子どもが泣くような声がして、意を決する。俺はドアノブを下げた。軽い。
思わず手を離すと扉は勝手に内側に開いた。
「エクイテス……」
扉を開いたのはオルトだった。顔面蒼白で、今にも嘔吐しそうな顔をしている。
「オルト、クリスティーナが暴漢に襲われたって知らせを受けて……」
「エクイテスさん……」
か細い、今にも消えそうな声がして、部屋の中を覗く。
頭と左足に包帯を巻いたクリスティーナが、ベッドから降りようとしていた。右足だけで立とうとして、バランスが取れずによろめき、椅子に手をついたものの、尻餅をつく。
支えようにも、間に合わなかった。
「クリスティーナ」
声をかけると抱きつかれ、しがみつかれた。
「ごめんなさい。止めてくれて……ありがとう……」
「止めてって、あの、クリスティーナ? さっきの話……」
クリスティーナがごめんなさいとありがとうを繰り返す。オルトは1度もこちらを見ずに部屋から出て行った。
やがてクリスティーナは無言になり、俺の首から手を離し、項垂れた。憔悴しきった様子で、何から聞けば良いか分からない。
「イシュル村のエリオット……」
クリスティーナが顔を上げた。目にいっぱいの涙を溜めている。若草色の瞳が、ゆらゆら揺れながら、俺を見つめる。
「お父さんです? イシュル村のエリオット……。エリオット……。娘が結婚……」
コクン、とクリスティーナが首を縦に振った。娘って、クリスティーナ? クリスティーナが結婚してる?
足元がガラガラと崩れていくような感覚。目眩がする。クリスティーナの全てが嘘。オルトを殺すために、俺に近づいた……。
俺の唯一の家族、俺の親友を殺しても構わないとそう思っていた。そんことをしたら俺が苦しむと分かっていて、笑顔を振りまいて……?
何で俺? オルトと親しくなるのではなく俺で、俺がいなかったら殺してたって何だ?
笑顔も照れ顔も弁当もキスも何もかも嘘? 本当に? まさか。それこそ嘘だ。嘘だと言ってくれ。
『別に演技だって、身ぐるみ剥がされたって良いだろ』
そんなことを思ったこともあった。見ぐるみ剥がされるどころじゃない。屍や灰になりそう。
「やっぱり。エクイテスさんは覚えてくれてるんですね。オルトさんとは違って……」
「いや、顔も姿形もそんなに……」
「使える駒……。爆弾の入った鞄を運ばせて、囮にして火を放ったって」
「オルトが? まさ……」
あいつならやりそう。俺はまさか、違うとは言えなかった。
話が繋がりそうで繋がらない。父親の仇だからオルトに近づいた。とっかかりは俺。オルトに会いたいと言って……俺を誘った? なぜ?
オルトを殺したかったのに、助けたとはなんだ? その理由は俺だと言っていた。
クリスティーナが目を細め、眉尻を下げたまま微笑む。
「夢で父に会えました。ずっと会えなかったのに。笑ってくれました」
微笑みかけられて、両手を取られた。強く握り締められる。
「エクイテスさんを連れてこいってことだと思います。許してくれるなら、お父さんに紹介したいです」
「あのいや、許すも許さないも、話が見えなくて。君は結婚していて……」
「私? 娘が結婚って、姉ですよ」
瞬間、脱力してしまった。筋肉という筋肉が弛緩した気がする。
「姉? ああ、義理のお兄さん。確か……マルス」
「マイクです。私にはエクイテスさんがいるじゃないですか」
クリスティーナが肩を揺らし、クスクス笑った。未婚と分かったからよりも、笑ってくれた事に安堵する。
いつも笑っていて欲しい。先程の悲鳴のような泣き声など聞きたくない。憔悴したような苦悶の顔も嫌だ。
同時に全身が熱くなる。父親に紹介、自分には俺がいる。つまり、そういうことだ。
許してくれるならと言われても、イマイチ状況が分からない。オルトは無傷で、怪我人はクリスティーナだ。
彼女が椅子に手をつきながら立ち上がった。慌てて支える。
「大丈夫ですか?」
「痛いです。悪いことをしようとしたから、罰が当たったんです。危うく大切なエクイテスさんの大事な人を見殺しにするところでした」
大切なエクイテスさん。俺のこと、大切なのか。そう思ってくれているのか。
「悪いこと? 馬車に引かれたのって……」
「眠くなる薬を盛った私が悪いんです」
ベッドに腰掛けると、クリスティーナは両手を膝の上で握りしめて、俯いた。隣に腰掛けて、迷いつつ彼女の体に腕を回す。クリスティーナが俺の手を握った。震えている。
「眠くなる薬?」
「強姦罪は重いですから……」
「んなっ!」
クリスティーナが俺を見上げた。目にいっぱいの涙を浮かべていて、怯えたような表情。
「オルトを眠らせて……。その罪って……」
「服を破って、あちこちに痣を作ればいけるかなと。あと少し体に細工して」
クリスティーナの頬に涙が流れていく。
可憐な笑顔の裏で、なんて事を考えていたんだ。俺はふと思い出した。
クリスティーナが蹂躙されたら、俺は必ず犯人を探し出して殺してやる。殺すだけでは足りない。そいつの1番大切な者も道連れ。そう考えたことがある。
オルトを見つけ出して、殺すだけでは足りないから、市中引き回し後に死刑台行きという罪状を叩きつけようと考えた。
オルトの大切な者……それで俺に近寄った? だから最初からトントン拍子だった?
『あの人がいなかったら殺してた!』
ようやく話が繋がった。
そんな気持ちを抱えて、俺と一緒にいたのか。何も気づかなかった。浮かれて、幸せに酔って、何も……。
『嬉しくて。だから、終わる時を考えたら悲しくて……』
あれだ。あれがサインだった。
「すみません。俺、気づいてあげられなくて」
「当たり前ですよ。一生懸命隠していたんですから。オルトさんも全然警戒してなかったですよ」
苦悶に歪んだクリスティーナの頬に、そっと唇を寄せる。涙で冷たい。
「俺のために、オルトを許してくれてありがとう。憎い相手を助けて、こんな怪我まで……」
クリスティーナへの愛おしさが込み上げてくる。それ程大切に想われていた歓喜に、全身が震えそうになる。
「許していませんよ」
「えっ?」
「オルトさんは甘い物が嫌いだそうです」
「ええ、そうですけど……」
「退院したらクッキーでも焼いて、差し入れします」
甘えるように肩に頭を預けられた。クリスティーナは目を閉じて微笑んだ。慈しみに満ちた笑みに見惚れる。
「結婚式にも呼びません。父の前で挙式したいから。村に来て欲しくありませんし、父に会わせたくありません」
「結婚⁈」
声が裏返る。クリスティーナはぶすくれ顔で膨れっ面になった。頬袋に食べ物をつめたリスみたいな顔。見たことない可愛い表情。
「結婚前提って言っていましたよね?」
「はい! そうです」
睨まれた後、ニッコリと笑われた。この変化も可愛い。俺の知っているクリスティーナと何も変わらない。
その後、彼女は唇を尖らせ、ムスッと顔をしかめた。
「もしもの時は3人です。その時だけは村に来ることを許可します」
「もしもの時?」
「オルトさんに、そのまま伝えて下さい。分かりますから」
話していたら、看護師が来た。慌ててクリスティーナから離れる。
看護師は特に何も言わずにクリスティーナの様子を確認。医者が呼ばれ、診察され、彼女は退院になった。
☆★
昼過ぎ、署の近くの広場でオルトが巡回から戻るのを待った。出勤したのも、午前中は巡回なのも確認済み。
馬に乗るオルトに向かって、小石を投げる。オルトは小石を抜剣して石畳に叩きつけた。
「オルト! 顔貸せ」
オルトはほぼ無表情で、若干顔色を悪くして、こちらに近づいてきた。
馬から降りて、手綱を掴み、頭を下げた。謝られる前に、オルトの顔の前にクリスティーナに頼まれたバスケットを差し出す。
「クリスティーナから」
オルトが顔を上げた。
「差し入れ」
「クリスティーナさんが俺に差し入れ? なあエクイテス……」
「開けてみろ」
渋い顔をしたオルトがバスケットを受け取り、開いた。
「何だこれ」
眉間に皺を作ると、オルトは俺を見据えた。中身はオルトが嫌いな甘い物。クリスティーナ手製のクッキー。
俺はさっき昼飯後に食べた。ふちに砂糖がまぶしてあって美味しかった。オルトのクッキーはさらに蜂蜜をかけてある。
俺が「甘い物なら蜂蜜も嫌いだな」とうっかり口を滑らせたせい。
「クリスティーナが許さないって」
「そりゃあそうだろうけど、地味な嫌がらせたな。このメモもか?」
「メモ? メモなんて入ってるのか?」
バスケットからメモを出すと、オルトはメモを開いて目を通した。渡されたので、俺も読む。
【一生嫌がらせしますからね、義兄さん。仕方なく貴方を愛する妹分より。またエクイテスさんと飲みに来て下さいね。またごちそうしてくれることも期待しています】
「何だよ、これ……」
オルトがしゃがみ込み、頭を抱えた。俺もそう思った。俺は愛してるなんて言われたことないんだが。ムカつく。オルトを蹴り飛ばしてやりたくなった。
でも「仕方なく」が何故なのか、その理由を俺は知っている。それこそ……。
「結婚式に呼ばないって言ってた」
「はあ?」
「故郷の村で挙式したいから、村に来るなって」
「そりゃあ、おめでとう。結婚するのか」
俺はつい首を捻った。そうらしいけど、いつだ?
顔を上げたオルトがにこやかに笑う。クリスティーナの嫌がらせは効果が無いらしい。と、思ったらオルトは顔を歪めた。
「お前の結婚式に参加するなって、結構ダメージ大きいな」
「そうなのか……」
俺も少しばかり悲しい。けれども、俺はクリスティーナの気持ちを最大限尊重したい。
この許しは彼女を刺す。オルトは俺の人生にいつもいるから、彼女が俺のためにそれを望んでくれるから、彼女はきっとずっと刺され続ける。
イバラの籠に自ら閉じこもるようなもの。
「おまけに村に来るなって……」
「ああ、もしもの時は3人。その時だけは村に来ることを許可しますって言ってた。何のことだ?」
「今なんて?」
オルトの目が丸まる。
「もしもの時はって何のことだ?」
「お前、次の戦争には出征しないんだってな」
「ああ。えっ? その話……」
「俺もその時は一緒にどうぞだってさ。何だよ。メモといい……」
オルトが再び顔を伏せて頭を抱える。俺がオルトの癖っ毛をぐしゃぐしゃに撫でた。その後、ベシンと叩く。
「クリスティーナはお前を庇った。助けた。忘れんなよ」
顔を上げないオルトの頭をもう1回叩き、俺はコーラリアム酒場、愛するクリスティーナの元へ戻った。




