愛憎のはざま3
オルトは王都の外へ私を連れて行った。それまで、2人とも無言。オルトはヤナンを過剰に罰し、バーチェスをボコボコに殴ったのに、鼻歌を歌っている。
はっきり言って怖い。馬は外壁に沿って進んでいく。
「エクイテスの事で相談があるって言っていたけど、やっぱりアイツの恋人と2人で食事は気が引ける。君は可愛いから、うっかりしたら困る。俺、酒癖悪いんだ。相談って何?」
私は振り返り、困り笑いを浮かべた。心の中で舌打ちする。それから酒癖が悪いという情報を得られた事を喜ぶ。
問題はその中身。どう酒癖が悪いのか。
「酒癖、悪いんですか?」
「滅多にないけど、あまりに飲み過ぎると眠くなって、記憶が飛び飛びで、気がついたら女が隣にいるんだよね。エクイテスは説教臭くなってバタって寝る」
女が隣にいる、の意味はただ隣にいる訳ではないと分かる。頬が引きつりそうになった。
しかし、めちゃくちゃ都合が良い癖だ。
「あっ、ごめんごめん。まあ、酒場勤めだし、聞き慣れてるよな? それで、相談って?」
「エクイテスさんの前の恋人って、どういう方でした?」
「はあ? 前の恋人?」
オルトが顔をしかめる。
「ええ、気になっていて。あとどこの娼館がお気に入りなのかな……と」
「はあああ? それ知ってどうするの。相手の女に喧嘩をふっかけるのか?」
「まさか。いえ、多分しません」
「多分って。あははははは」
腹を抱えて笑い出したオルトを見つめる。真面目に聞いているのに。
「相談ってそれだけ?」
「いえ。エクイテスさんの欲しいものを教えてもらいたいです。お弁当代をアメリアさん経由で渡されるし、食事をごちそうになってばかりなので、お礼をしたくて」
「あいつ物欲が全然ないからなあ。煩悩はあるから大丈夫。お礼は私、エクイテスさんの好きにしてって言っておけ」
ウインクされて、頬が引きつる。真面目に聞いているのにふざけた解答。
「私は真面目に……」
「恋人は君が初。潔癖なのか、信仰心なのか、金で女を買わない珍獣だ」
穏やかで優しい眼差し。ここに来る前までとは、まるで別人。
「お礼なら、エクイテスにキスの1つでもしてやれば……」
キス、と聞いてエクイテスの色っぽい顔を思い出してしまった。
「えっ? もうしたの? マジ? 奥手そうなエクイテスが?」
「いえ」
「真っ赤だけど、クリスティーナさん」
「ちょっと想像してしまっただけです!」
オルトは目を細め、ニヤリと笑った。
「やっぱり今夜飲みに行こう。教えてくれ。あいつを揶揄うと面白いから」
「何もしてません!」
「ベンチでランチだけ?」
「そうです」
父の仇に揶揄われるなんて不愉快極まりない。この状況なら不機嫌顔でも許されると判断し、私は思いっきり顔をしかめた。
しかしラッキー。2人きりはNGと言われたが、撤回してくれた。
「帰ろう。手当てだ手当て。夜、色々聞かせて」
「聞くのは私です。エクイテスさんのこと」
「はいはーい。夜ね、夜」
オルトは王都市内へ戻った。また無言。彼の鼻歌を聴きながら、私はムカムカし続けた。
☆
夜、コーラリアム酒場の裏口にオルトが迎えに来た。隊服のままで、エクイテスとお揃いの黒羽コートもそのまま。
「お待たせ。行こうか」
「はい」
「予約してくれた店ってどこ?」
「東3地区です。店主の息子さんのお店で、サービスしてくれるので」
「そっ。近いな。ありがとう」
エクイテスと並んで歩くのとは違い、オルト側の体がゾワゾワする。馬車や荷馬車が通ったら突き飛ばしてやりたいと思う。
護衛の騎士をチラリと確認。今夜はサイナスらしい。
「エクイテスさんに聞いたんですが、オルトさんもお互いが唯一の家族みたいなものだと。結婚してないってことですよね。恋人もいないです? 同僚が気にしていまして」
いない、とエクイテスから聞いているが念の為確認。オルトにエクイテス以外の大切な人がいるなら、私のターゲットはそっちだ。
わざわざ自分を使ってエクイテスを傷つける必要がなくなる。
ふと気がつく。それなら、彼に恋人を作れば良いのでは? けれども無関係の人を傷つける気にならない。想像しただけで気分が悪い。
やはり、傷をつけるなら自分の体だ。でもそうするとエクイテスを悲しませる。ジレンマ。
「そうそう。聞いた通り、俺とエクイテスは孤児院仲間。同僚って新人のホリーさん? それとも他の2人? 出来ればエミリアさんが良いなあ。あの中なら1番タイプ」
なんか、軽い。酒癖といい、女遊び激しそう。この男と一緒に生きてきて、エクイテスのような性格が出来上がったのは不思議。というより、奇跡。
「クリスティーナさんは、エクイテスのどこが好きなの?」
「なんですか急に」
「君さあ。エクイテスの前とキャラ違くない? ブスってして、愛想も悪い」
「酒場のお客さんへの本音が出てるんだと思います。仕事でなければ、こんなものです」
憎々しい相手にニコニコ笑いかける気になれないけど、そこそこ演技出来ているつもりだった。指摘されたので諦める。
「俺が酒場の面倒な客と似てるって辛辣。信頼をありがとう。まあ、エクイテスへの信頼か。で、エクイテスの何がどう……酒を飲みながら聞くか」
しばらく無言。オルトは通行人の女性に時折ウインクや手を振った。その相手女性に勝ち誇った顔をされたり、憐れみの目を向けられたり、睨まれる。
オルトの恋人と認識されるなど屈辱だ。オルトの黒羽コートを奪って捨ててやりたい。大好きなエクイテスが憎いオルトとお揃いのコートなんて腹立たしい。
エクイテスがいないから、どんどん嫌な気持ちが噴出してくる。
エクイテスは私のドス黒い気持ちのストッパーみたい。
店に到着し、案内されたテーブル席に着席。店主と店主夫人と顔見知りなので挨拶に来てくれた。オルトを「恋人のお兄さんです」と紹介。
サービスで食前酒としてオルトにビール、私にかなり弱いチェリー酒を出してくれた。
「ごちそうしますので、お好きな……」
「すみません。本日のおすすめの星コースを2つお願いします。ん? ごちそう? エクイテスに怒られるからいい。はい乾杯。お疲れ、俺。君はおめでとう。エクイテスとキス出来て」
自由。この男は自由過ぎる。人の言葉を遮るし、勝手に注文して、ケラケラ笑っている。
星コースはデザートを入れて4品。サラダ、スープ、メインは肉で、最後はミニデザート。それから食後の飲み物。
私は魚が食べたかった。それからスープは要らない。ミニデザートではなくて普通サイズのデザートが良かった。
「また顔真っ赤。しかも可愛げのないブスくれ顔。君って本性は可愛くないのな。その顔でブスに見えるってヤバい。いやあ、良かった。悪女に身包み剥がされるんじゃないかって心配してた時もあったから」
ムカつく、と私はチェリー酒を一気飲みした。ジュースに毛が生えたようなものなので安心安全。これ以上お酒を飲むつもりはない。
貴方に可愛いと思われたくないです、と私は更に顔をしかめた。
「演技でも身ぐるみ剥がされても良いとか、頭イカれた事を言い出すから心配で。でも蓋を開けたら、せっせと弁当を届けて感心、感心」
「エクイテスさんがそんなことを?」
それはショックだ。そんな風に思われるような態度を示した記憶はない。
いや、と思い直す。エクイテスは自己評価がやたらと低い。些細なことで、何か誤解させてしまったのかもしれない。
「そんな顔をしなくても大丈夫。1番最初だけ。いやあ、あいつが君の作ったものを美味いって言った時は驚いた。砂利の味がするとか、血の匂いで味覚がないとか、ここ何年も変だったから」
私は目を丸めた。サラダが運ばれてくる。エクイテスは何でも美味しいと言ってくれる。嫌いなものは無いと言っている。
「そうなんですか? そんなこと一言も……」
「そりゃあ言わないだろ。君の料理だと美味いんだから」
それは、とてつもなく幸せな事ではないか? 好きな人を何年も続いていた辛いことから助けてあげる事が出来たなんて、私は幸せ者だ。
「だからさ、お礼は君。おめかしして可愛い態度でデートして、手料理や菓子を作って、キスくらいしてやれば完璧。他に何かあげたければ、買うより作ってやって。きっと死ぬほど喜ぶ」
「血の匂いって、戦争のせいですか?」
相談がある、は嘘ではなかったが、今はそのことは脇に置いておきたい。
「多分ね」
「戦争って理不尽ですものね。敵の命を奪うことさえ抵抗があるのに、偉い人を逃すために守りたい部下と一緒に盾になったり、味方を囮にして見捨てたり……」
心臓がドクン、ドクンと大きく脈打つ。ここはさすがに演じないと。私はオルトに悲しげな表情を向けた。決して睨んだりしてはいけない。
「エクイテスから聞いたのか? あいつが味方を囮になんてするか。退避の遅れたバカな部下を助けに逆走するアホだ。あいつ、時々事実をねじくれさせて俺のせいだとか、俺なんてって言うからなあ」
私は膝の上で両手を握りしめた。歓喜で震える。エクイテスは絶対に父を囮になんてしていない。
信じていてけど、心の中で信じきれていなかった。けれども今、確定した。
「俺なら見捨てるというか、興味無い。自分のことと、エクイテスの事でいっぱいいっぱい。生き残るために使える駒はどんどん使う。まあ優勢の時はさすがに囮とか、見捨てるとかはしないけど」
手の震えの種類が変化していく。内側からドロドロした黒い感情が湧き上がってくきた。
使える駒。父は生身の人間で、私達家族の愛する人で、駒なんて無機物じゃなかった。
「戦地なんて想像もつきませんけど、味方を囮になんて心が痛みますね」
「そうでもないよ。死体の山で麻痺してるし、他人より自分。知らない奴より友人。アルタイルが攻めてこないと良いけど。部隊変わっちまったから、フォローも手助けも出来ねえ。あいつはドンドン背負うからなあ……」
オルトはテーブルに肩肘ついて、気怠そうにサラダを口に運んだ。
震えが止まらない。今すぐフォークを目に突き刺してやりたい。
そうしたら、返り討ちに合うだろうか?
オルトの反応は分からないが、エクイテスとは確実にお別れ。私に残るのは罪状だけ。そう思うと手は動かなかった。
「エクイテスさんは2度と戦争に行かないから大丈夫です」
「えっ?」
「そう言っていました」
「まさか。あいつと俺は成り上がって貴族になる。君は未来の男爵夫人。エクイテスなら君に贅沢三昧をさせたがると思うけど」
オルトはヘラヘラ笑いをやめて、顔をしかめ、背筋を伸ばした。フォークを置いて私を見据える。
「そうなんですか? アルタイルが攻めてきたら、一緒に村に逃げて、私と家族を守ってくれると。私と生きていくことが何より大切だそうです」
「はあ?」
オルトは物凄い不機嫌顔になった。
「苦労して、地獄をみてここまで来たのに?」
「私に問われても、エクイテスさんは私にはそう……」
ビールをグビグビ飲むと、オルトはサラダを再び食べ始めた。少し表情が軟化している。
「貴族になって豪遊の夢がパーか。俺、王都は嫌いだけど、田舎の貧乏暮らしはもっと嫌だな。アルタイルが攻めてきませんように。ガーグルも控えてるしなあ。すみません、黒ビール下さい。君は?」
「お酒は飲みませんので……」
「あと、コーヒー下さい」
貴方は私の村に来て欲しくないし、コーヒーは苦くて大嫌い。
何で、しれっとエクイテスについて来ようとしているの? オルトは当然みたいな顔をしている。
「ん? 食べないの? 怖い顔して」
「コーヒー、大嫌いなので」
コーヒーとオルトさん、と言いそうになった。貴方のことが憎いだけではなく、どんどん嫌いになっています、と言いたい。
「俺は大好きだけど、変わってるね」
「そうですね。変わっています」
何故、自分基準。変わっているのは貴方だ。
こいつが好きなものを、軒並み嫌いになりそう。ただ唯一、絶対嫌いにならないのはエクイテスだ。




