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愛憎のはざま2

 5日前、私は恋人と初めてのキスをした。人生で初めてのキス。

 エクイテスは私が部屋に戻ったら居なかった。テーブルに「具合が良くなったので帰ります」というメモを残し、スープ皿などを片付けて帰ってしまっていた。

 アメリアに「休んだら良くなりました。例え死にかけでも、嫁入り前の淑女の部屋には泊まれません」と言い残したらしい。

 アメリアは「クリスティーナ、あんた誘惑しすぎたんだろう」と私を揶揄った。誘惑されたのは私だ。エクイテスは慣れた様子だった。


 翌日、店の郵便受けにエクイテスから私宛ての手紙が投函されていた。


【クリスティーナへ。休めませんでした。それから、骨折した他部隊の騎士の代わりに、隣街に行って指導員をしてきます。10日で帰ります。エクイテス】


 筆圧の強い、丁寧で読みやすい綺麗な文字だった。


 つまり、私はしばらくエクイテスに会えない。自然とため息が出る。

 足が止まりそうになる。買い出し中なのにずっと上の空。


「クリスティーナ、またため息ついてる」


 サリーがクスクス笑った。


「そう? いけない。幸せが逃げるっていうものね」


 大きく息を吸う。重たいジャガイモだらけの籠をよいしょと持ち直す。


「連続通り魔は怖いけど、毎回夜中よね?」


 サリーがチラリと振り返る。私も後ろを見た。ほんの少し後ろを歩くエクイテスの部下と目が合う。

 にこやかな笑顔で手を振られたので、サリーと共に手を振り返す。


「毎日毎日、何も起こることのない酒場娘を護衛するって、タレこまれたら顰蹙(ひんしゅく)買いそう」

「エクイテスさんは過保護なのよ。要人護衛の訓練が名目らしいわ。職権濫用なんてして、大丈夫なのかしら」


 第5部隊の騎士は入れ替わり立ち替わり酒場の前に立つ。私が出掛けるとついてくる。

 私が酒場から出ないで、サリー達同僚女性が出掛ける時も護衛をする。

 アメリアが「私には護衛がつかない」と怒っていた。確かに、要人護衛の訓練対象は「コーラリアム酒場の女性店員」なのに、それはどうかと思う。

 サリーに軽く体当たりされた。


「愛されちゃって羨ましい」

「もうっ、揶揄わない……で……」


 正面の交差点を、第3部隊の騎士達が通る。最後尾にオルトの姿を見つけた。市民に笑顔を振り撒いている。

 エクイテスはあと5日で王都に帰ってくる。わざわざ護衛を用意しているから、私に何かないか、気が気じゃないだろう。

 不在中に兄のような友人が恋人に手を出していたら、それも怪我をさせていたら、激怒するに違いない。

 きっと冷静さを失い、オルトの言葉に耳を傾けなくなる。エクイテスの不在はチャンスだ。


「クリスティーナ?」

「眉間、皺が出来てる。どうしたの? 怖い顔して」


 サリーに額をつつかれた。


「騎士にきゃあきゃあ言ってる女達がムカつくんだ。ライバルだもんね」

「そうよ。私からエクイテスさんを奪おうとする怖い美人集団じゃないかと思って。アバズレとかブスとか、酷いもの。色目使いまくりはどっちよ」


 歯を見せてサリーに笑いかけた。いけない。無意識にオルトを睨んでいたらしい。

 決行日はエクイテスが帰ってくる2日前か前日。誘い出せた日。それで、今夜はリハーサル。

 用意した眠くなる薬草が効くか試したい。


(やめようかな……。お父さんは戻ってこないもの……)


 熱烈な言葉の数々のせいか、キスしたからか、護衛が嬉しいからか、離れて寂しいからか、エクイテスへの恋しさは増している。

 この3ヶ月で積み重なった気持ちが、さらに加速してしまった。

 傷つけたくない。無自覚ならともかく、自覚してなんて。

 

「クリスティーナさん、こんちには。サリーさんも」


 話しかけてきたのは常連客のヤナンだった。彼は週に何度かお弁当を買いにくる。夜は週に1日程。

 たまに口説いてはくるけど、手は出してこない大人しい客。


「こんにちは、ヤナンさん」

「あのクリスティーナさん。恋人と別れたと聞いて。俺、ワーグス広場で働いていて、最近見かけないから……」


 別れたなんて噂になっているのか。

 3ヶ月かけて、私目当ての昼の客は減り、エミリア派、サリー派、ホリー派に分かれた。そして、ほとんど口説かれなくなった。

 それなのにここ数日、今まで無かったようなあからさまな誘いを受ける。夜は裏方なのに、わざわざ呼び出されたりする。この噂のせいか。


「休みが合えば出掛けません? 気晴らしに。失恋って、辛いでしょう?」

「いえ、心遣いは嬉しいですけど、別れていませんので、気晴らしは必要ないです」

「えっ? だって弄ばれて捨てられたって聞いた」

「もしそうなったら、改めて誘って下さい」

「またその笑顔!」


 いきなり怒鳴られて、睨まれたので少し後退りしつつ、サリーも後退させ、彼女より少し前に立った。


「思わせぶりな事を言って、金を巻き上げて!」


 久々のクレーム。エミリアでもサリーでも、新人のホリーにもデレデレしている口で何を言う。

 お金を巻き上げた事なんてない。売り上げが良いとボーナスが手に入るから、多少強引に高めのお弁当をすすめているが、拒否されたらきちんと引いている。

 

「すみません。職業柄つい八方美人に……。お金を巻き上げるなんて、そんな接客していたつもりは無いのですが、そう感じさせてしまったのなら、申し訳ありま……」

「そうだよな! 俺なんて客だから……。あの男には全然違う顔をして……」


 ヤナンは俯いて肩を震わせた。


「すみませんでした。失礼します」


 サリーに目配せして、ヤナンを大きく避けて、進もうとしたその時、手首を掴まれた。瞬間、私はサリーを遠くへ突き飛ばした。

 もしもヤナンが暴れたら、サリーまで怪我をする。


「俺が1番先に君を見つけたんだ! 1ヶ月もかかって勇気を出して店に入って! 何ヶ月も通ったのに!」


 習った護身術、の前に引っ張られて投げ飛ばされた。手から離れた籠が地面に落ちて、ジャガイモが散乱する。

 転んで擦った足が痛いと思った瞬間、影が落ちてきて顔を上げる。立つ前に怒り顔のヤナンに蹴飛ばされた。痛みで呻く。

 もう1回蹴られたり殴られる前に逃げようと思うのに、体が震えて動かない。


「男は金や顔か! この……」


 護衛騎士がヤナンの首を掴んで、地面に押し倒した。


「すみません、遅くなって怪我をさせて」

「いえ、ありがとうございます」


 名前を言ってお礼をしたかったが、今日の護衛騎士は店の常連客ではないので、名前を知らない。この数日で数回会っているが、会話はしていない。

 彼の後ろの方でサリーがオロオロしている。先に彼女を保護してくれたらしい。


「懲りたら、少し愛想を控えた方が良いですよ」

「へえ、それって少しは痛い目見た方が学習するかもってこと?」


 大きな影に聞き覚えのある声がしたので、頭を動かす。馬に乗ったオルトが笑顔で護衛騎士を見据えている。

 全く笑っていない、氷のように冷たい瞳に背筋がゾワリとした。

 馬から飛び降りたオルトは、抜剣してヤナンの右手に突き立てた。


「うあああああ!」


 ヤナンの絶叫が響く。私の体は竦んだ。通行人が足を止めて、私達に注目する。


「遠かったから、何を揉めたか知らないけど、困るよ君。エクイテスの大事な恋人を蹴るなんて」


 ゴンッ。鈍い音。オルトはヤナンの顔を蹴飛ばしたのにニコニコしている。

 

「とりあえず婦女暴行で現行犯逮捕。どいて、君」


 護衛騎士がそろそろとヤナンからどく。オルトは剣を抜き、しゃがんでヤナンの腕を掴んだ。

 鼻血をだらだら出して、怯えと苦悶に顔を歪めるヤナンをオルトが引っ張り上げる。


「デリー、連行して。署まで馬で引きずりで」


 オルトは笑顔でヤナンの腹を殴り、投げ飛ばした。ヤナンの投げられた先に、馬から降りた騎士がいる。

 デリーと呼ばれた騎士は戸惑った様子でヤナンの手首をロープで縛り、鞍と繋げた。


「あの、引きずりだなんて。それに止血しないと……」


 犯した罪に対し、罰が重い。馬で引きずって連行は、もっと重罪人に課せられる見せしめ行為だ。

 怪我人を出した強盗犯とか、女性や子どもをボコボコに殴ったとか。


「蹴られたのに優しいね。失礼」


 私の前にしゃがむと、オルトはスカートを軽く捲った。足に触れられ、確認される。触られるのも、足首を回されるのも嫌で、蹴飛ばしたい衝動に駆られた。

 必死に耐える。


「両足の擦り傷と、左足にあざ。折れてないし、捻挫もないと」

「はい。全然大丈夫です。なので、引きずりなんてやめて下さい。ご贔屓にしていただいているお客様なんです。私の接客が悪くて……」

「何してるデリー。早く連行しろ。じゃないと俺、そいつをこの場で殺すぜ? エクイテスの恋人を蹴るなんて重罪だ」


 殺す?

 デリーを見上げるオルトは爽やかな笑顔だ。しかしゾッとする程恐ろしい目をしている。

 怒っている。彼は激怒している。そう伝わってくる。

 エクイテスだ。私がエクイテスの恋人だから過激な反応なんだ。


「はい、オルト副隊長」


 デリーが馬に飛び乗り、馬の腹を蹴った。私は引きずられていくヤナンから顔を背けた。オルトが立ち上がる。


「病院に連れて行くけど、少し待ってて」


 オルトは立ち上がり、私から離れて護衛騎士の前に移動した。


「君、第5部隊の騎士だろう? お勤めご苦労様。名前は?」

「バーチェスです!」


 バーチェスが胸を張り、背筋を伸ばた。オルトは笑顔で労うようにバーチェスの肩を叩いた。


「第5部隊は要人護衛の仮想訓練中だってな。で、わざと遅く助けたの? それとも無能?」

「えっ?」


 オルトはバーチェスの頭と肩を掴み、彼の腹に膝蹴りを入れた。


「目を離して、転んだ子どもを助け起こしたよな? それで初動が遅れた。本番だったら大問題だ」


 髪を掴まれたバーチェスは、さらに顔を殴られた。子どもを助けたのに殴るなんておかしい。


「上官の我儘で下街娘を相手に訓練なんて面倒。だからチクリと皮肉を言った。そんな感じか?」


 オルトはもう1度バーチェスの顔を殴った。鈍い音に体が竦む。


「男にいきなり理不尽に蹴られたお嬢さんに、それは無くない? つまらない訓練でやる気が出ないのは分かるが、文句は上官に言えよ」


 その後、オルトは何発かバーチェスの腹を殴り、ようやく離した。


「訓練でヘマする奴は実践じゃ役に立たねえ。第5部隊の隊長には俺から報告しておく。良かったな、訓練で。本番や戦場なら首が飛ぶぞ」


 もう終わりかと思ったのに、オルトはバーチェスの顔を蹴り飛ばした。


「俺の部下じゃないから加減した。第3部隊に無能は要らねえ。昇進したきゃ、本番だと思って引き続きそちらのお嬢さんをしっかり護衛するように。子どもも助けて護衛も完璧にこなす。それが理想だから励め。もう数発免除するのは子どもを助けた褒めだ。良くやった」


 オルトはにこやかに笑った。白い歯を見せて、蹲るバーチェスの頭を撫でている。


「は、はい……。すみませんでした。ありがとうございます」

「ジャガイモ拾って、運んであげて」

「はい」


 バーチェスがよろめきながら立ち上がる。オルトが私の方へ戻ってきた。


「病院に行きましょうか」


 手を差し出され、笑いかけられたけど、声は出ないし体も動かない。

 オルトの手はヤナンやバーチェスの血で汚れている。


「ああ、ごめん。拭くのを忘れてた」


 オルトはズボンで手を拭った。


「いえ、そうではなくて……」

「留守中にお姫様が男に蹴られたとか、あいつ発狂しそう」

「転んだって言うので大丈夫です。軽い怪我なので、病院も必要ありません」


 私は両手を前に出して手を振った。


「病院には連れて行く。噂になるから転んだとか嘘ついても無駄だぜ」

「でも……。病院は本当に結構です。洗ってお店にあるチンキハーブを塗るだけですので」

「店まで送って手当てをするよ。失礼」


 オルトは私を抱き上げた。片手で抱っこされ、あっという間に馬の上に座らされた。

 馬が歩き出す。コーラリアム酒場とは別の方向。


「少し散歩しよう」


 オルトの顔を見たく無くて、私は正面を向いて小さく頷いた。

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