7 銀髪の影
「俺はな、お前の愚痴を聞きに、ここへ来てるんじゃないぞ」
オットーは謁見の間のテーブルに半ば倒れるほどにグッタリさせつつも、身体をギリギリ縦に保とうとしている。
対して向かい合った席では、生き生きとした表情のリリアナが前のめりで座っている。
「愚痴じゃないですってー、ちゃんとしたご報告ですよー。でも誰かに聞いてもらえるっていいですよね」
「俺はな、疲れている。これでも忙しいんだよ。本来ならこの時間は唯一ゆっくり休める自由時間なんだよ」
「わかります、私もですっ。日勤組の中で唯一、仕事してる仲間が目の前にいるってだけで、救われますねっ」
「……前向きすぎてつらい」
オットーは天井を仰いだ。
「とにかく、オットーさん経由でお偉い人にお願いできません? 客室棟専用の庭に、せめてもう一ヶ所、ガゼボを作ってもらいたいんです」
「そんなんで解決できるか?」
「解決はしませんよ」
リリアナの清々しいほどの言いっぷりに、オットーはさらに頭をガクッと落とした。
「お前は何がしたいんだ」
オットーが心中でこの仕事を押し付けたチェルソンを恨んでいることも知らずに、リリアナは満面の笑顔である。
「犬猿の仲のふたりが、同じ空間に滞在する時間があるだけでいいんです」
「仲が悪いのに?」
「接触するチャンスがゼロだと、なおさら進展しないじゃないですか。片方が部屋に閉じ籠ってしまうばかりじゃ、喧嘩もできません」
「お前、喧嘩させたいのか」
「やだなー、そんな面倒なことなぜ私が」
ケタケタと笑うリリアナに、オットーは眉を寄せた。
「目的が見えん」
「私の仕事は、とにかく令嬢達をよく知ることで、王太子殿下にもよく知ってもらうことです。良くも悪くもどんな人なのか何も知らなければ、殿下が興味持ってくれないでしょ?」
「……悪い面ばかりでもか?」
「私やオットーさんにとっては悪い面でも、誰かにとっては良い面かも知れないですよ?」
呆気に取られたオットーは、開いた口を一旦閉じてから、確認した。
「お前、嫌いとか苦手とか感じないタイプか」
「やだあー、まるで聖母みたいじゃないですか」
「誉めてないぞ、けして誉めてないからなっ」
照れ照れしているリリアナに、オットーは必死で主張を繰り返した。
もちろん今回も、オットーがチェルソンに「あいつとは絶対的に性格が合わない、今度から誰か別のやつを向かわせてくれっ」と懇願したが、にこやかに「さて、これはまさに彼女ほどの適任はいなかった、ということでしょうか」とチェルソンが大喜びであったことは、極秘である。
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客室棟に囲まれるようにしてある庭園を、リリアナは朝から徘徊していた。
大きな大木で木漏れ日の降り注ぐ場所もあるし、色鮮やかな花弁が視線を奪う花のアーチも作られていたり、水のせせらぎが癒しを生む池もある。
「わー、悩むな、どこもいいな」
誰にもイエスと言われてないが、リリアナは勝手にガゼボ2号棟の場所を厳選中である。
「だけど、いつ作ってもらえるかわかんないしなー。一ヶ月なんてあっという間だもんな」
乗り気ではないにしても、期待されて受けた仕事な為、出来る限りの成果を上げておきたいところだ。そういうところが、リリアナの変に真面目なところである。
「どうせなら、王太子妃は私の手によって選ばれた、とか言ってみたいしな。あ、いいなそれ。向こう一年はそのネタでビアーノを賑やかしてやれるな」
動機は不純である。
一通り庭を徘徊して気付いたのは、池を中心にした東西南北で、植えられている花の種類が若干違うような気がした。庭師のこだわりなのか、城の誰かの案なのか、同じ景色はどこにもなかった。
そうなってくると、益々どこにガゼボを新たに設置してもらったらいいのかわからなくなる。現在あるガゼボは、客室棟専用厨が、南にあるため、池から南西の位置にある。だからこそ前回、オヴェストとスッドが縄張り争いを勃発させてしまったのだが。
「あ、でも逆に北東の位置とか平等になるかな。でもそれじゃあ全員で揃ってティータイムとか、難しいか……」
ウンウンと唸りながら庭園を歩いていると、ふと、自分以外の動くものの気配がしてピタッと足を止めた。
なんとなく目を向ける。草花や木々のさらに奥を、静かに歩む人影があった。それもひとりだ。
令嬢達なら侍女を連れて歩くので、自分のような城勤めの者だろうかと思ったのだが。
丁度視界を遮るものがない木々の隙間を、その人影が通り抜けていった。
一瞬だった。美しい男であった。表情まではよくわからなかったが、その横顔は少なくともハッとするほど目を引くもので。
でも、リリアナにとっては、それ以外のところに強く衝撃を受け瞳に焼き付いた。
彼の少し長めの、サラサラと風に靡き日光で目映く輝くその髪色に。
突然グルグルとした、得体の知れない動揺が湧き起こる。
忘れかけていたナニカが再び形を取り戻そうとしている。
今までの18年間で、一度も見かけたことなんてなかった。なのに、忘却のさらに向こうから押し寄せてくるもの。
目眩ましさせるかのような輝きの銀髪を、どこか遠くで見かけた、一度だけ。
視界に突然現れた、あの少年も銀髪だった。あそこでは、もっともっと異質だったはずのその髪色。
車に轢かれそうになった彼に、飛び付いたのは自分ではなかったか。
そのあと、そのあとはどうなっただろうか。その夢の続きは?
いや、夢だと思い込んでいる?
「リリアナさーんっ」
ふらりと、人影のあったほうへ足を向けたところで、呼ばれる名前に我へと返った。
息をきらしながら走ってきたメイドは、眉を垂れ下げている。
「お探ししましたっ。オヴェスト様が、ご立腹で、私どもでは手がつけられずっ」
「またかっ」
リリアナは短く叫ぶとクルンと向きを変え裾を持ち上げ、西棟に向かって走り出した。
先ほどの人影に背を向けるように。
**
「リリアナ女官、見てちょうだいっ」
地団駄を踏むように、顔を真っ赤にして叫ぶオヴェストは、部屋の前の廊下で待ち構えていた。
「ど、どういたしましたかっ」
ゼイハア息も整わぬまま駆け寄ったリリアナは、行儀悪くも膝に両手をついた体勢でオヴェストを見上げた。
「これよっ、下を見て!」
無理矢理上げた頭を言われた通り下げて、オヴェストが突き刺すように指差す床を見てみれば、絨毯に無惨にも踏み潰された花があった。
「わ……」
思わず絨毯へのシミを思ってテンションが下がったのだが、オヴェストに絨毯が関係あるわけなどなく。
「綺麗なお花が可哀想に」
「何言ってるのっ、嫌がらせでしょこれはっ!」
「ええ?」
思わず二度見したリリアナだが、オヴェストは至って本気で怒っている。
「これはきっと、他の棟の誰かの仕業よっ」
「いやいやちょっと待ってください、オヴェスト様」
「この間のことがあったから、きっと南のあの女だわ!」
「お、落ち着いてくださいっ」
一番ワタワタしているリリアナに説得力はない。
「と、とりあえず、一旦落ち着きましょうそうしましょう! あ、すみませーん、サロンにとっても美味しいティーを用意してくれませんかっ」
案内してくれたメイドにそうお願いして、リリアナは自分を落ち着かせる為の時間を確保した。




