33 棘の道に
辞令なのかプロポーズなのかわからないジルベルトの爆弾発言は、冗談でも悪ふざけでも気が触れた訳でもなく、どうやら本気だったらしい。
現在リリアナは、ようやく馴染んできたと思われた女官服ではなく、まったく馴染みのない豪華そうなドレスを着せられ、客室棟離れの以前ノルドがいた北の部屋を与えられたのだ。
「あれこれひょっとして、元の世界で見てる、夢の世界なのかな?」
自分の頬をつねってみたが、めちゃくちゃ痛いだけだった。
「リリアナ様の存在が、すでに夢や希望ですもの。わたくし達の誇りです伝説ですっ」
侍女代わりとして客室棟のメイド達が、身の回りのことをしてくれるのだが、彼女達の自分への崇拝っぷりがすごくて逆に居心地が悪い。
「いや、ほんと、そんなことは」
「リリアナ様を妃にと仰るジルベルト様はやはりさすがでございます。リリアナ様のように市民へ心を砕いてくれる方が妃となるなんて、この国は恵まれていますわ」
「いや、まじで、勘弁してぇ」
リリアナは耐えきれなくて、部屋を飛び出すことにした。
「リリアナ様どちらへ!」
「ちょ、ちょっと庭に散歩っ」
爪先すら見えないドレスの裾をたくしあげて、小走りで庭園に駆け込んだ。
徘徊しまくった、ある意味慣れ親しんだ庭園を進み、やっとひとりになって息をつく。
メイド達の力のこもりようが半端ないのだが、まだリリアナは正式に妃として確定しているわけではない。あくまで候補の状態だ。なにより、自分がド平民だということを忘れてはならないし、正式な妃候補のスッドがいるのだ。
「そりゃ私だって、ジルベルト様のことは大好きだけど、現実問題、色々無理だよ」
足取りは重くなる。王太子でありながらの、あの発言はいったいどういう意味なのか。酒場の娘だということは、なにより異世界から来た怪しい人間だということすらも知っているのに。どう考えても、問題山積みの棘の道である。
ヨロヨロと庭の半ばの池まで来てみれば、正面から駆けてくる別のメイドの姿があった。
「リリアナ様ー! よかった、こちらにいらしたのですね、スッド様がお会いしたいとのことです!」
「え」
覚悟はしていたが、リリアナはガックシと頭を項垂れた。どう考えても、スッドの耳にもこの噂は入ってしまうだろう。せっかくの友情が、まさかこんな形で壊れるとは思っていなかったのだ。
メイドについていかなくてもわかる道のりを、スッドのいる南の棟へ向かっていれば、行く手が騒がしくなり、侍女の姿とスッド本人の姿が現れた。
まだなんと弁明していいか思い付いていなかったリリアナがギョッとしている中、スッドはリリアナを見つけて小走りでやってきた。
「リリアナ!」
「ひっ、ごめんなさいっ!」
条件反射で謝ったが、スッドのほうは飛び付かんばかりにリリアナを抱き締めてきた。
「おめでとう! おめでとう!」
「へ?」
ビックリしたままスッドを見れば、満面の笑顔であった。嫉妬やら嫌悪やらを感じている表情でないことが、とてもよくわかった。
「リリアナ、ついにやったわね! おめでとう!」
「え、え?」
「なによ、素直に喜びなさいよ。なんでわたくしのほうが喜んでるのよ」
「いやそれ、私の台詞ですけど」
スッドは抱擁を解き、リリアナの両手を握って力を込めた。
「やっぱり城に残ってて正解だったわ。この時が来ると、しっかり準備もしてきたから、安心して」
リリアナは大きく首を捻る。
「でも、スッド様は王太子妃を望んで、城に残ってくださってるのでしょ?」
「今は違うわよ。いずれ貴女がジルベルト様と結ばれると、その時に力になれるように残ったの。オヴェストもノルドもいなくなって、エストも先日城を離れたでしょ? わたくしまでいなくなったらまた新しい令嬢達が来てしまうでしょ」
「でもでも、私、本当は、ただの平民なんです。こうやってスッド様とお話してるのも奇跡なくらい、ただの酒場の娘なんですよ? 嫌でしょ? 私のようなのが同じ候補になるなんてっ」
覚悟を決めて打ち明けたことだったが、スッドはクスクスと笑う。驚くでもなく、いつものように笑っている。
「だからなんなのかしら? わたくしは貴女の友人よ。オヴェスト達だってきっと一緒の気持ちよ。リリアナという人を好きになったんだから」
「スッド様……」
スッドは頷く。
「ジルベルト様だってそうでしょ? 誰でもない、貴女を選んだのは、リリアナという人を好きになったから。だから今、一生懸命貴女を手に入れる為に頑張っていらしてるのよ」
「え?」
ここ数日、石の中から戻ってきてからろくに顔を合わせていなかった。だから余計に色んな不安に落ち着かなくなっていた部分もある。彼の真意がまったくわからなかった。
「ジルベルト様から頼まれたの。リリアナをどうしても妃にしたいと。最初はわたくしへの謝罪だったのだけど、わたくしから提案さしあげたわ。すでに手は打ってありますお任せくださいと」
「ええ?」
「あの時のジルベルト様の驚きようが、とても面白かったの。リリアナにも見せたかったわ」
そう言いながらスッドが後方の侍女に目配せすると、侍女は紙の束を差し出してきた。
「なんですか、これ」
流れでその束を受け取ってみれば、多くの名前が書き込まれていた。
「これは城内の署名よ。まだ集め中なの。リリアナを妃にと望む人達のね」
「え!」
「あと、ジルベルト様に渡したのは、わたくしやオヴェスト達の嘆願書と、各地の領主である父親達の意見書ね」
「はっ?!」
開いた口が塞がらない中、思考回路も遮断されたかのように機能しない。
そんなリリアナにスッドは微笑む。
「わたくし達が推薦してるのよ。これ以上の妃なんて見つからないと脅してるわ。これほど領主同士が仲良くなることなんてないもの」
ご機嫌なほどのスッドの様子と、おまけにウインクまでもらって、リリアナの想像していた棘の道の上に、分厚い絨毯が延々と敷かれている絵面が頭をよぎった。
**
すでに“馬子にも衣装的”な状態のリリアナだったが、結婚式のお色直しかというくらいメイド達に「あれ着ましょう、これ付けましょう」と“デコレーション”されている。
メイド達のほうがソワソワワクワクしているので、リリアナは逆に落ち着いている。ジルベルトがここに来るらしい。
ほどなくして王太子の来訪が告げられて、メイド達は気を利かせたのか一斉に部屋からいなくなった。さっきまであんなにキャピキャピしていたのに一気に静かになった。
部屋の扉が開き振り向けば、正装姿のキラキラ王子様なジルベルトが、颯爽と歩いてきた。
いつもよりかしこまった衣装を、これまた見事に着こなしているジルベルトにドギマギすれば、その本人はというとソファに座ったとたんグデーンと伸びるように背凭れに仰け反った。
「お疲れですね」
自分の部屋ではないから顔面から突っ込むのを耐えたのだろう王子に、リリアナは直前までのドギマギすら忘れてふき出した。
「いや全然」
なぜそこでやせ我慢なのかわからないが、リリアナはニヤニヤしながら真横に座り伸びきっているジルベルトの、タイをシュルリと外しベストのボタンに手をかける。
急に勢いよくジルベルトの頭が持ち上がって、リリアナの手を見たかと思えば、唖然としたようにリリアナをマジマジと見る。
「え? どうしました? ひょっとしてまだ仕事残ってます?」
リリアナは、女官の時の癖でつい手が動いてしまったのだが、ジルベルトの顔はみるみる赤くなっていく。
「お、おまっ、お前なぁ。時と場所とタイミングと関係性の変化と色々考慮してこーゆうことはやれっ!」
「はぁ。……ちょっと意味がわかりませんけど」
大きく首を捻るリリアナの前で、ジルベルトは真っ赤になった顔を覆いつつ前のめりに上体を倒した。
「やだこいつ。こんな子供に危うく襲いかかるとこだった……」
モゴモゴしているだけで、リリアナの耳には届いてないが、なんとなくやっちゃいけないことをしちゃったのだけは察した。