3 女官補佐の初仕事
一旦持ち帰らせてくださいと、返事をあやふやにしてビアーノに戻ったのに、昔からリリアナに甘かったはずの店主ボスコは「おー、そんなに給料がいいのか。そういやあ、調理場の発光石が一ヶ所そろそろ寿命だしなあ、初任給で買ってくれると助かるなあ」と言う。
まあ確かに手元が大事な調理場の、灯りが乏しいのは良くはない。発光石はカンカンと軽く叩いて刺激すると光りだす仕組みなのだが、最近その一ヶ所がなかなか発光しにくくはなっていた、けども。
そして、いつも労ってくれる女将のカーラも「客室棟ってことは、きらびやかで洗練され尽くした紳士淑女で溢れかえる場所だろう? こんなチャンスないよ、しっかり上流社会に染まっておいでよ。そーでなくてもリリアナは色気がなかなか備わらないんだから、勉強させてもらいなよ」と、あっけらかんとしている。
そりゃまあ確かに、細いし小さいしで色気もなければ一歩間違ったら性別もどっちでもいける見た目だけども。化粧っ気もなければ興味もなく、好きな人も出来たことなければ告白されたこともない、けども。
店が忙しくなるとか寂しいとかがひとつも出ないどころか、もろ手をあげてジャンプ状態である。思ってたのと違う。
そんな経緯で本日入城3日目、結局リリアナは白シャツに薄青紫のチュニックという、女官の制服を着てマルクレン城内をぶつくさ呟きながら歩いているのだ。
「えーっと、東がエスト様で黒髪、西がオヴェスト様で金髪、北がノルド様……あれ、髪の毛どうだったっけ……、待って、南はスッド様、だけども……え、どっちが赤茶でどっちが栗毛だっけか? ダメだ、もっかい女官長に聞いてメモしとこう」
客室棟離れは、東西南北に4人の妃候補の部屋が割り当てられていて、建物の名前が令嬢達の言わばニックネームとなっている。直接顔を確認して覚えさせてもらう機会など作ってもらえる訳もなく、女官長に口頭で教えられた髪の色とともに暗記せねばならない。まだ、城内の説明を受けただけで、妃候補達を目視すらしていないのだ。
あと、気を抜くと迷子にもなる。広すぎる城内とあちこちに伸びた回廊が、わざとなのかというくらいややこしい。
やっていける自信は、最初からだが今現在もまったくない。
「リリアナさん! 女官長はどちらに?」
メイドの若い女性が、血相を変えて走ってきた。
「あ、今打ち合わせ中ですよ、今度開かれるパーティーの」
「ど、どうしましょっ」
同世代と思われるメイドの子は真っ青になっている。
「急用ですか? 今日は多分無理みたいですよ」
「り、リリアナさんお願いできますっ?! わたし苦手なんですっ」
「え」
「オヴェスト様がまた、癇癪をっ」
「また? 癇癪?」
リリアナは固まった。初仕事が、どうやらその対処になるらしい。
客室棟はいくつかの棟の総称であって、実際は複数の建物が回廊で繋がっている。その中の西側の離れが、件のどこぞの令嬢に当てられているのだ。
リリアナは大きく深呼吸してオヴェストの部屋のドアをノックすると、侍女と思われる女性が扉を開け、そのまま中へ通された。
令嬢が自分のところから連れてきた侍女なのだろうが、待ってましたとばかりに中へと案内された。
よほど癇癪がすごいのかと、怖じ気づきながらもかろうじて足を動かす。
「女官長! あら、ちょっと誰よ、この子供は」
眩しい物体が目の前に飛び出たかと思ったら、金色に長いウェーブの髪と、黄色のフリルがふんだんにあしらわれたドレスを着た綺麗な女性だった。
「オヴェスト様、申し訳ございません。ヴェラ女官長は只今外せない用事の為、補佐の私が参りました。リリアナと申します」
何度も女官長に、鬼のようにしごかれた礼の形を取り頭を上げた。しかし、オヴェストはその綺麗な顔をしかめている。
「聞いてはいるけど、子供だとは思わなかったわ。人手不足なの?」
「いえ、私、18歳ですけど」
「まあ、やだ」
何故かクスクス笑い始めた。
「どちらからいらしたのかしら。あなたの田舎ではそんな歳で、その髪型ですの?」
ねえ? と言うように、周囲の侍女達に目配せして、ホホホと笑っている。
(やな感じだな、おい)
私の出身はともかく、ビアーノは中心部のいわゆる都心だ。この三つ編みスタイルは確かに子供がする髪型だけども、これが一番髪の毛が邪魔にならずに仕事へ集中できるのだ。一度野菜の皮剥きやら拭き掃除やらやってみるがいい。
とは、言えない。
「ではこういたしましょう。せっかくこうやってお会いでき、これからもお世話させていただく身としましても、オヴェスト様が私を見ていつでも気持ち良く感じられるような髪型に、チャレンジさせていただくのは」
「え?」
明らかに、「何言ってんのこの子」的な虚を突かれた表情で固まっている。
「オヴェスト様ほどの方なら、きっと私のような平凡でなんの特徴もない者でも、センス溢れつつ機能的で年相応の髪型をご存知なのでしょう、ああとても楽しみでございます。私、オヴェスト様の手によって新しく生まれ変われるのですね」
「え、え、何言ってるのっ!」
侍女達もざわついている。
「楽しみです、オヴェスト様。さて、本題に戻りますけど、女官長への言付け承りますが、いかがされましたでしょう」
思いっきり舵を切ったので呆気に取られている。
これでだいぶ、本来の癇癪の内容も薄味になるだろう。髪型の件もこっちは有耶無耶になるし、あっちは逆に枷になる。我ながら、やられたら倍返しの商魂が出てしまった。
まあ、首になったらそれはそれでラッキーかも。
「うっ……むむむ」
オヴェストは顔を真っ赤にしているが、彼女も今は分が悪いと感じたのか乗ってくることにしたようだ。
「ここへ来てから二月経ちますの。最初のパーティーで殿下にお会いすることが叶いましたけども、それ以降、お話させていただく機会がないどころか拝顔も出来ず。これはいったいどういうことですの?」
「え、そうなんですか?」
それは初耳だ。でもあの時、チェルソンさんが言っていた。王太子殿下にまったく結婚の意思がないと。本来なら、この懇親の期に妃候補達と会う機会を沢山設けて、ひとりを選ぶというのに何かと逃げているらしい。
まあ、だから自分に内偵みたいな仕事が舞い込んだのだろうけど。
「わたくしちゃんと公平に、殿下とお会いできてますの? 実はもう誰かひとりを選んでいるとか、そちらへばかり誘導させているとか、変な操作していないでしょうねっ?」
(なんという立派な言いがかりだ。これか! メイドの言っていた、不定期の癇癪というのはっ)
リリアナは、改まって礼の形を取ってみせた。
「オヴェスト様のご心配、ごもっともでございます。しかしながら私は、まだこちらでの日が浅いもので何も存じておりません。ですので、オヴェスト様がご不安になられている件、解消すべく聞き込みに力を入れておきます」
「……あら、そう?」
リリアナの反応が意外だったのか、オヴェストは尖っていた空気をゆるめ目を見開いた。
「わたくしの為に?」
「もちろんでございます。私の務めは、ここにいらっしゃる皆様がお困りの時、お力添えさせていただくことですので」
(たぶん)
「まあ、ではさっそくお願い。あと、殿下がどのような事がお好みで、どのような女性に惹かれるのか、しっかりね」
「承知いたしましたー」
オヴェストの部屋から出てドアが閉まったところで、リリアナはオデコをペチッと叩いた。
「やっちゃった。いつもの、ビアーノでの酔っ払った同士の喧嘩仲裁みたいなノリで、適当なこと言っちゃった」
後先考えず動く悪い癖は、どんなにかしこまった女官の服を着ていても、封印できるものではないようだ。