18 王太子付き女官
日中の女官としての仕事を超ベテランの――レディに年齢を聞いたら失礼に当たるのでわからないが――うん十年と城内に勤めていると思われる腰の曲がった女官長テレーザに付いて回りながら教わる。
と言っても、メイドに指示する立場なので、リリアナは部屋や物の場所などを教えてもらうぐらいだ。
今は王太子の部屋のあるフロアの、物品庫と呼ばれる部屋で、どんなものが予備で置いてあるかの説明を受けているところだ。
(それにしてもっ)
リリアナは先ほどのジルベルトの言葉を思い出してワナワナと震える。
まさかあの、女性に興味ないジルベルト王子であり、なおかつ絶対恋愛経験希薄と思われるオットーの口から、夜のお務めの話が上がるなんて、誰が予想できただろうか。
つまり、あの美人やらセクシーやらな令嬢達に興味を示さなかったのは、ジルベルト王子の特殊な性癖がもたらした弊害なのではないかと、リリアナの思考は錯乱しはじめる。
(私みたいな貧相な身体が、王子の好みってことかっ)
「誰が貧乳だって?! 失礼なっ!」
怒りで我を忘れてひとりツッコミをしたところで、ジーッと虚無の眼差しを女官長テレーザに向けられているのに気づいて、猫背になる。
「……失礼しました」
「リリアナよ、わしゃ寛大な女じゃ。職務中に寝言を漏らそうが、人の親切丁寧な説明を聞き漏らされようが、わしゃそんなことでは怒りはせん」
「は、はいっ、気を付けますっ」
「じゃが……」
テレーザはリリアナに向き合うようにすると、若干曲がった腰を伸ばしてみせた。
「わしゃ、豊満じゃ、わかったか」
「え」
視線を上げれば、自慢げに胸を張っている。しかもだいぶそこが豊かだと思われる。
(負けた)
「ははあっ!」
と、リリアナは今にもひれ伏さんばかりにテレーザに腰を大きく折る。
「よいか、リリアナ」
「はいっ」
「わしゃ、殿下が赤子の頃からお仕えさせてもらっとる。だから、我が子のように可愛く思うて尽くしておる」
「はいっ」
ジトリと、テレーザの細い瞳がさらに細められた。
「もし、わしの可愛い殿下をたぶらかし泣かすようなことがあれば……容赦せぬぞ」
「あわっ」
リリアナは蛇に睨まれたかのようにうち震え、自らの身体を抱きしめる。
とても言えない。たぶらかされ泣かされるのは、間違いなく今夜の自分であることを。
また夜のことを思い出して悶々としはじめたところで、テレーザが部屋から出るぞと手招きしていた。
「それにしても、なぜこんな若い娘を雇うんじゃ。危険じゃ」
「はぁ……私も謎です。メイドさんも皆年上ばかりでした。やっていける自信がありません」
「今だかつてないわ。まあ、唯一の安心どころは、ひと欠片も色気がないところじゃの」
「およよ」
だが、その色気のなさが王子の好みだったのではと、申告することも出来ずリリアナはテレーザの後ろを歩きながら頭を抱えた。
「まあ、ひとまずお前さんに教えることはない。人手も足りておるからの」
「あのぉ、助手ということは、テレーザ女官長の助手ということですよね? 他に具体的な仕事ってなんですかね?」
「助手?」
歩みを止めてテレーザが振り返る。
「おぬしは女官として雇うと聞いたぞ。わしの補佐でも助手でもないわ」
「え?」
リリアナは眉を寄せた。
「おかしいな。助手って言われたと思ったんですけど」
「ふむ。ジルベルト殿下付きの女官はわし。ロレット殿下付きの女官もおる。本来殿下に付く女官は専属でひとりずつじゃ。補佐も助手もないどころか、二人目の女官ということは、ゆくゆくはわしの後を継ぐ為の採用というところかの」
「え、まじですか」
未来のテレーザ寄りの自分を想像して、怖じ気づいてしまった。こんな貫禄、備わるだろうかと。
「まあ、わしが生涯現役でおってやるけどな」
はっはっはっと豪快に笑うテレーザに、リリアナは今回の仕事についてもまったくもって自信をなくした。
**
王太子の夕食の時間となって準備が始まった。ジルベルトの部屋のリビング右手側が食事をとる場所とのことで、テーブルセッティングが始まる。仕上がりをテレーザが確認してゴーサインを出せば、メイド達は速やかに部屋を出る。王太子が戻ったらそこで食事をテーブルに配膳するのがテレーザの仕事らしい。
下準備をメイドがして、仕上げをテレーザがする流れのようで、その間何をどうすればいいのか、というよりも特に仕事のないリリアナにとっては非常に居心地の悪いものだった。
(このまま、姿を眩ましてしまいたい)
どんどん夜が、王太子が近付いていることに、自分の身を危ぶむ。
廊下側の扉向こうが騒がしくなって、扉が開かれた。チェルソンが扉を開き、続いてジルベルトが颯爽と現れた。
白シャツに上品なグレーのベストとズボン。程よい装飾がされたその服装と引き締まった表情は、相変わらず油断すると見惚れる芸術品である。
しかしチェルソンが扉を閉めるやいなや、
「あーー、疲れたっ」
と、大きな欠伸をしながら近くのソファに前のめりで飛び込んでいったのだ。
「なっ」
先ほどまで美しい男が颯爽と歩いていたはずだが、今はソファに刺さって靴裏が天井に向いている足元しか見えない。
「殿下、部屋にはリリアナ殿がおりますゆえ」
チェルソンが、固まっているリリアナを気にしながらソファに声をかけた。
「あー、そいつはいい。問題ない」
(あるわっ)
リリアナは、ツッコミたい気持ちを唾ごとゴクンと呑み込み耐えた。
猫被りがここまで徹底されてるのなら「せめて適齢期の乙女の前でも貫けやっ」と言ってやりたいが、何も知らなかった時のようにオットーを相手にしている訳ではないので我慢するしかない。
その間もテレーザは手際良く配膳の準備をしていたので、心で毒付きながらその手伝いをした。
それが終わると、テレーザはソファに刺さったままチェルソンと仕事の話をしているジルベルトに向かい、装飾やベストを脱がしている。
(お母ちゃんかっ)
こりゃ世話のかかる子だから、余計に可愛いいのだろうと、なんとなくリリアナは女官の仕事は母親業と、脳内にメモした。
ようやくソファから起き上がったジルベルトが、気の抜けた表情で食事を開始し、それを見守ることしばし。
さすが、王子だけあって酒場の客層とは全然違っていた。ナイフやフォークを上品に使い口元に運ぶさまは美しい。静かに咀嚼し、黙々と皿の上を綺麗に平らげていく。
酒場で豪快に頬張り、肉の欠片を飛ばしながらゲスな話に笑い咳き込む客とはやはり違うらしい。
「なんだ? 狙ってるのか?」
リリアナの直視に気付いたジルベルトは、果物を手に取りヒラヒラと揺らしてみせた。
「違いますよっ、失礼なっ」
前科があることを棚に上げてリリアナがふんぞりかえれば、「これっ」とテレーザの声が飛ぶ。
「申し訳ございませぬ、殿下。この者の教育が行き届いておりませぬこと、テレーザに免じてお許しくだされ」
曲がった腰をさらに深めてテレーザが頭を下げたのを見て、ジルベルトは軽やかに笑った。
「いいさテレーザ。リリアナにそれは求めてないから」
「そういう訳には」
(いや待て待て)
リリアナはひとり焦り出す。
(それは求めてない、なら、何をお求めになってますかっ!)