15 別れ
結局、リリアナは誰にお礼を言えばいいのかわからなかったが、なんとなくオットーではないかと思っている。
見舞いにきたあの日、何故か驚愕したままフラフラと部屋を出ていったオットーの、座っていた2つの椅子が濡れていたのだ。
ひょっとしたら引き上げたあとそのまま心配で、自分の着替えもろくにせず、そばにいてくれたのではないかと。
リリアナは感動して、城勤めを終えるまでにオットーにちゃんとお礼を言わねばと考えていた。
ところが明日で女官の仕事が終わるというのに、オットーに会えるチャンスがなかった。
ヴェラ女官長に頼んでみるも何故か歯切れが悪く、「わたくしからはなんとも……」やら「そもそもどなたなのかわたくしには……」やらと、はぐらかされている様子さえある。
自分の立場からしても、チェルソン侍従長に謁見を願う手段すらもない。
仕方なく、なるようになるさと気持ちを切り替え、仕事を全うすることにした。
すぐにノルドの様子を見舞おうと部屋に向かったのだが、彼女はすでに城を出て、家で静養中とのことにショックを受けた。最後の別れが出来なかった。
あの日、いったい何が起こったのか。誰に聞こうかと悩んでいたところに、オヴェストの侍女が悲痛な表情で自分を呼び止めた。
西の棟の、オヴェストの部屋に招き入れられると、リリアナの姿を確認したオヴェスト本人がドレスに足元取られながらも駆け寄ってきて、強く抱き締められた。
リリアナは何事が起きたのかとパチクリと瞳を瞬かせ、オヴェストのふわふわの髪の毛の感触に思わず酔いしれていたのだが。
「ああ、リリアナ女官! よかったわ無事でっ!」
あの勝ち気で強気な彼女からは想像も出来ないような台詞と声の震えに、我に返った。
「え、あ、ご心配おかけしましたっ」
そう言うも、オヴェストは抱き締める力を緩めずに震えている。
なんとなく、トントンと背中を撫でてみると、オヴェストの力は抜けたようにして、やっと真っ正面から視線が交わった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
ボロボロと大きな瞳から涙をこぼすオヴェストに、とにかく落ち着くようにと背中を撫でて、椅子に座らせた。
「オヴェスト様、私はまったくもって大丈夫ですから。あの日、何があったのか教えてくれませんか?」
「えぇ、わかったわ」
少し落ち着いたのか、弱々しくも頷いたオヴェストにリリアナは耳を傾けた。
「単刀直入に言うわ。ノルドを池に落としてしまったのは、わたくしなの」
「え!」
てっきり誤って落ちたのかと思っていた所への、衝撃発言である。
「お、オヴェスト様ぁ」
「違うのよ、落とすつもりじゃなかったのよ。でも逆上して彼女に詰め寄ったのは間違いなくてっ」
「ど、どうして?」
「花よ。ローゼピカンティの犯人は、ノルドだと思ったの」
「なっ!」
顎が外れるのではないかとばかりに、リリアナは愕然としてオヴェストの顔を見つめた。だが、彼女の表情は苦しそうで、このタイミングで嘘をつく理由もないと、静かに聞くことにした。
オヴェストが言うには、リリアナが出島に戻る前、スッドとの会話にノルドも珍しく加わってきたのだという。不在のリリアナの話で盛り上がっていたところで、エストも戻ってきた。
少しして、ノルドがテーブルのお菓子に手を伸ばした時に、足元へ踏みつけられた一輪のローゼピカンティが落ちていたのだと。
カッとなったオヴェストが詰め寄りノルドがたじろぎ、何かの瞬間にふわりとノルドの身体が傾いたのだと。
「そ、そうだったんですか……」
今となってはノルドに確認のしようもない。花については本当なのだろう、きっと他の令嬢達も目視したであろう。
「ノルドにも悪いと思ってるわ。あんなことになるなんて……リリアナ女官にも、そして王太子殿下にも……」
思い出したのかまたオヴェストの声に震えが戻ってきた。
「王太子殿下?」
突然出てきた名前にリリアナは聞き返す。オヴェストは微笑むと椅子から立ち上がり、リリアナをそこに促すように手を引いた。
「え? なんですか?」
オヴェストが自分を椅子に座らせようとしていることに、驚いて挙動不審になる。
女官が令嬢を差し置いて、部屋の主の椅子に座ることなどありえないのだ。周囲で静かに見守っていたオヴェストの侍女達も、動揺しているようだ。
「さあリリアナ女官、ここへ座って。わたくし、あなたにお詫び以上のものを差し上げたいの」
半ば肩を押されるように椅子に座ると、オヴェストは背後からリリアナの大雑把な三つ編みをほどき、侍女に櫛の準備を指示する。
(ひょっとして?)
「あなたの宣戦布告に、わたくしまだ応えていなかったでしょ?」
オヴェストが丁寧にリリアナの髪をすく。その感触はくすぐったくって何故か胸を打つ。
ほどかれ綺麗にとかれたリリアナの髪は、今度はオヴェストの指によってどんどん結われていく。
鏡を持った侍女が近付けば、そこには両サイド編み込まれ肩にかかる髪もなくきっちりと結われた姿があった。
「わ! すごい! これいいですね!」
三つ編みですら、肩でポンポンと跳ねるのが仕事中に邪魔くさいと思っていたリリアナには、見た目も仕事が出来そうにキッチリして見えるし言うことないほど理想の髪型であった。
嬉しくて振り返ると、オヴェストはあのいつものような勝ち気な笑顔でフフンと笑ってみせている。
「そうでしょ。わたくしに宣戦布告なんて、まだまだよ」
「さすが、オヴェスト様ですね!」
リリアナは素直に口にした。もっと言いたいことはある。
令嬢である彼女が、女官にこのようなことをする行為すら、きっと彼女の中でも大きなプライドの壁があっただろうに。それを飛び越えてきてくれたことへの嬉しさを、どう表せばよいのだろうかと。
オヴェストは少し表情を緩める。
「リリアナ女官。わたくし、家に戻ることにしたわ」
「え?!」
言葉を失ったリリアナの肩に、オヴェストはそっと手を置いた。
「大変な迷惑を多くのかたにかけてしまったもの。わたくしに王太子妃候補としてここへいる資格は、ないわ」
「そ、そんな……」
潤みまくったリリアナの瞳と高さを合わせるようにオヴェストはしゃがみ、リリアナの手を握る。
「わたくし、あなたが好きよ。だから素直に応援できるわ。リリアナ女官がリリアナ妃となるの、わたくし一番の味方になるから」
「なに、わけわからないこと言ってるんですかーっ。それに、オヴェスト様いなくなったらどーなるんですかっ、私この髪型、再現できませんっ」
「ふふふ」
泣き出したリリアナを楽しそうにオヴェストは笑う。
「わたくしの、ここへ来た最大の功績は、あなたを友人に出来たことね」