11 ジルベルト王太子殿下
パーティー本番では、女官として行う仕事はほとんどない。トラブルもないし、メイドも真面目だし、何より主役達がちゃんと交流を行えているのだから、こちらとしては邪魔にならないようソッと存在を消す勢いで佇んでいる。
積極的でないエストと、恥ずかしがるノルドを、途中何度かせっついたり促したりはしていたけれど、リリアナは基本的には料理のそばから離れなかった。
(これって、何の材料? え、見たことないものなんて宮廷料理再現出来ないぞっ。まさか、巷じゃ流通していない外国産?!)
テーブルに豪勢に並んでいる料理の数々を、ひとまず盛り付け方を絵で書き込み、色の説明を加えていく。
(あー、端っこでもいいからかじりたいっ。どんな味? 調味料は何使ってるのっ?)
鼻を近付ければ涎を誘う美味しそうな匂いにクラクラするが、今夜は味見が出来ないのだ。大匙へ一口サイズに盛られていて、ちょっと手を伸ばせば届く位置なのは、とてつもなく誘惑が強い。
「それ、食べるの?」
魔が差す直前に声をかけられヒュッと喉が鳴り、直立な上に勢いあまって敬礼した。
「見学ですっ! けして、手を出そうなどっ」
と、言い訳を唱えながら視線をさ迷わせた。
さ迷わせたはいいが、目の前には白いコートに細やかな銀の刺繍が施されている最上級な服しか見えない。
リリアナは、つつつと視線を上げつつ、ヒクヒクと口の端をひきつらせた。
(おっ王太子殿下あああああああ)
まさに御光臨なさったという言葉がしっくりくるほど、眩いほどに煌めくオーラを纏った、ジルベルト王子が目の前にいたのだ。
まさか自分の目の前に出現するなど夢にも思わず、しかもとんでもなく卑しいシーンをしっかり目撃されていたことに、このまま失神してしまいたいと願った。残念ながらそんな繊細な性質ではないので、しっかりと床を踏みしめ立っている。
少し紫がかった青い瞳はまるで宝石のようで、それを守るように長い睫毛が影を落とす。滑らかな肌と柔らかそうな唇はとても健康的で、吸い寄せられるように視線が釘付けになってしまう。
(おお、これが王太子となるべくして産まれた、象徴のような美しさだなっ)
リリアナは瞳をしっかり見開き、しっかり目に焼き付けようとジッと見入った。
なんとなく既視感を覚えるのは、髪の色のせいだろうか。それとも弟の方を先に見ているからだろうか。
どちらにせよ、貴重なのだ。こんな、瞳の色まで確認出来るような距離で、拝めるような人物ではないのだから。
「……僕の顔に、なにか?」
若干、戸惑っているように見えなくもないジルベルトは、あまりにも遠慮なくリリアナに見られたからか、スッと瞳を細めた。
「あ、いえっ。失礼いたしましたっ。またとない機会でしたのでっ、ついっ」
「……」
ジルベルトは黙ってジッとリリアナを見つめていたが、フッと笑みを溢した。
「そうか。先ほどチェルソンから聞いて、ぜひ挨拶をと思って。君には大変面倒をかけてしまっているようで例の件。チェルソンの我が儘に付き合わせてすまない。断ってもよかったのだよ」
「あ、はいっ。なかなか大変ですが、楽しくはやってます。あと数日ですが頑張らせていただきますっ」
「数日、か」
ジルベルトは少し考えたのち続けた。
「そう思うと、少しさみしくなるかな。君の話は楽しかったよ」
「え、ちゃんとねじ曲がらずに伝わってます? オットーさんが変なこと言ってません?」
ジルベルトは一瞬キョトンとしたものの、アハハと軽やかに笑い始めた。
「ははっ、一語一句違わずに伝わってるよ。だからこうやって、今日参加することにしたんだ」
「ええ!」
まさか、本当だろうか。と、リリアナは疑わずにはいられない。オットーにウソも言ってなければ誇張もしていない。ありのままの客室棟での出来事を、井戸端会議みたいに喋りまくっているだけで。そのどこを切り取っても、あんなに嫌がっていた王子が出て来るほどの興味を引けるような情報は持ち合わせていない自覚がある。
「ジルベルト殿下……本当に、乗り気になってくれたんですか? 結婚相手探しに」
恐る恐る窺えば、ジルベルトはフワリと微笑み、そっと人差し指を自分の唇にあてた。
「それは、秘密」
「なっ!」
ツンッと鼻の奥に違和感が走る。何故か自分の顔が真っ赤に沸騰したようになってしまってリリアナは困惑する。
そのひとつひとつの仕草の色っぽさに、やられた。真っ直ぐ見つめられる宝石の瞳がいたずらっぽく細められて、キュッと胸が詰まった。
(な、なんだこれはっ! これが王家の力かっ!)
リリアナが間違った思考で動揺している中、ジルベルトのほうはカツカツと気持ち良く踵を鳴らしながらサクッと目の前からいなくなった。
それと入れ替わるようにツカツカと、やや小走り状態でヴェラがやってきた。
「り、リリアナ! 殿下と、何を話していたのっ?」
「ほえ?」
謎な衝撃の余韻が冷めぬままリリアナが振り向けば、ヴェラは興奮を必死で押し殺すように早口で続ける。
「殿下が、あのように笑うところなど、わたくしの女官人生で一度もありませんでしたわっ」
「えー?」
リリアナにとっては、王子の笑顔よりも、最後の「秘密」が強烈すぎて何も残っていない。
「えーっと、何で笑われたんでしたっけ……何かやらかしたかな」
ウンウン唸りながら思い起こそうにも、もうすでに記憶がすっ飛んでしまっていた。あまりにも衝撃的で、そして一瞬の出来事すぎた。
「もう、リリアナ」
ヴェラは、呆れつつも表情を弛めた。