10 パーティー
迎賓館の内装は、白壁に深紅の布が美しい折り目の重ね合わせで装飾されていた。
同じ深紅のテーブルクロスの上に、シャンデリアで輝く食器、鮮やかな料理。演奏者達の、調律と言えどもその優雅な管弦の音色は美しく響き、中央で料理人達がパフォーマンスの練習をしていて美味しそうな匂いを漂わせる。
「わーわー、すごーいっ」
リリアナは無邪気に大興奮である。もちろんパーティー直前まで自分も準備をしていたけれど、こうやって正装した人間や出来上がった食事が揃っての豪華絢爛な様は別物であった。
「こりゃ、一生の思い出になるな」
しみじみと呟くと、そばにいたヴェラは微笑む。
「リリアナは本当に素直ねえ」
「えへへ」
何の用もなくとも隙をついて足しげく厨に顔を覗かせていたのは、けしておこぼれを貰う為ではない。いや、少しは、半分は目当てだったかも知れないが、どんな料理が作られていくのかを見る為だった。
もちろんそれをビアーノに持ち帰って生かそうと、宮廷料理という新メニューを出せるなと、下心あってのものでもある。
それが今、目の前にはありとあらゆる豪華な料理が勝手に見放題なのだ。
ただでは転ばない、せっかくの城勤め、なんでも吸収していく“歩く商魂”である。
なんせここ最近のリリアナのメモ書きには、令嬢のことではなく料理のことばかり書き込まれていたのだ。今夜だけで、新しいメモ用紙が追加で必要となるだろう。
「さあリリアナ。もうすぐ令嬢達も来るでしょうから、お迎えの準備を」
「はい」
今夜は、リリアナやヴェラの女官二人も、メイド達も、いつもの仕事着ではなく少しかしこまった制服である。リリアナ達は、白の襟つきワンピースの上に濃紺でグレーの糸の細やかな刺繍が入った前開きチュニックで、メイド達は黒地の両サイドにスリットが入っているものだ。ウエストがこれでもかと絞られているので、リリアナの願ってやまないつまみ食いも、今夜は出来そうにない。そもそも、つまみ食い自体が駄目なのだが。
客室棟へと繋がる回廊に出て、ヴェラと数人のメイドと並んで待てば、ほどなくして令嬢達が侍女を引き連れやってきた。
東のエストはいつもと変わらない控えめな装いで、淡いラベンダーカラーのドレスだったが、北のノルドはチュールを重ねたピンク色のドレスで、いつもより華やかであった。
そして、大きく変わっていたのはオヴェストとスッドである。
あの派手好きのオヴェストが深緑のドレスを着ているのなど初めて見た。それでも光沢の生地に膝位置から絞ってのギャザーなど、色ではなくデザインの変化で魅せているのはさすがである。
スッドと言えば、色も発色の良いものや露出多めが常であったのに、今夜は淡いグレーのドレスな上に、首もとから二の腕までを白糸の細やかなレースで覆っていた。
リリアナは感動で若干ウルウルと瞳を濡らす。ただの雇われひよっこ女官の、自尊心をつつきかねないような発言を、令嬢達が受け入れてくれたのだ。
もう早く、一刻も早くオットーに報告したくてリリアナは体がウズウズしてしかたなかった。
迎賓館の中はとても広いが、今夜は王太子と令嬢達だけのパーティーな為、食事スペースや団欒場所、ステージまで設置され空間を贅沢に使っている。
それでも侍女達は壁際に並び、令嬢達も座らず立っていると、出入口から多くの足音が響き騎士が現れ両サイドに割れた。そしてその中央を、煌めくような人物が悠然と歩いてきた。
(あ、あれが王太子殿下っ!)
歩くたびサラサラと靡く銀髪は、どんな宝石よりも輝いているのではないだろうか。長い睫毛はフワリと瞬くのさえスローモーションのように、リリアナの瞳を釘付けにする。
真っ白なロングコートに濃紺のベストとズボン。シンプルで清潔感を漂わせているだけでなく、動作も軽やかで優雅であった。
カツカツカツとブーツの踵を軽やかに鳴らしながら皆の見守る中横切ると、高座に用意されていた立派な椅子の前で振り返った。
その表情はまるで慈愛に満ちているかのように、温かく柔らかな微笑みを浮かべていた。
チェルソン侍従長が口を開く。
「皆様、ご臨席いただき誠にありがとうございます。今夜はより殿下との親睦を深めていただきたく、一緒に楽しめるような催しもご用意させていただきました。どうぞ、時間の許す限りお付き合いくださいませ。それでは、殿下からも一言」
チェルソンが深々と王子に向かってお辞儀をすると、その一寸の狂いもないような美しい顎が僅かに頷いてみせた。
「今日の日を楽しみにしていた。もっと皆のことを知りたいと思っている」
周囲から、もっぱら令嬢達と侍女達のエリアから甘い吐息が漏れた。
だがリリアナは、必死に無表情を保つことに集中せねばならなかった。
(絶対嘘でしょそれっ)
王子がこの日を楽しみにしている訳がない、令嬢達に興味など持っている訳がない。今まで逃げてきてたんだから、むしろどういう風の吹き回しなんだと問いたい。
なんとなく周囲を窺ってみたが、侍従達や騎士の中にオットーらしき姿が見えなかった。
(なんだ、正装したオットーを見て冷やかしてやろうと思ったのに……)
パーティーは厳かでもなく、くだけすぎることもなく丁度良い雰囲気の中、滞りなく行われた。
ワインを飲み、食事を楽しみながら王太子と令嬢達は会話を弾ませているし、管弦楽の奏でに耳を傾け、歌手が登場し朗々と歌いあげるのを微笑みながら聞き入る。
「ああ、今夜はとても素晴らしい日となりました」
ヴェラは感無量とばかりにハンカチを目元にあて呟く。
「そんな大袈裟なー」
リリアナは思わず笑うと、ヴェラはとんでもないと言う。
「初回のパーティーの、あのなんとも言えない雰囲気をご存知ないからよ、リリアナ」
「え、そんなに?」
リリアナは益々、初回のパーティーに参加したかったと不謹慎な事を思った。
「やあ、リリアナ殿」
チェルソンがリリアナに声をかけ、ヴェラは静かに頭を下げて場を離れていった。
「ご無沙汰しています、チェルソン侍従長」
リリアナも久々に緊張して礼の形を取った。
チェルソンは頭を上げるようにと、片手を上げる。
「とてもよくやってくれていると、聞いていますよ。貴女に来ていただいてよかった」
「本当ですか? まったく、役に立っている実感がわかないんですけど」
「いや、貴女のお陰で、殿下がここに来る気になったのですから」
ふたりでなんとなく、談笑しているジルベルト王子へ視線を向けた。
「いやー、なんの気まぐれでしょうかね……あ」
思わず口を手で覆う。チェルソンは楽しそうに笑って応えた。
「気まぐれでもとても大きな進歩ですよ。きっと貴女の話を聞いて、興味を持ったのでしょう。……本当に一月でお辞めになりますか?」
チェルソンにはすでに言っていたことなので「はい」と力強く頷いた。
「ここへ来てから、ビアーノでやりたいことが沢山浮かびまして」
「ははは、それは面白い」
「ごめんなさい。一月分しっかり働きますのでっ」
「わかりました。その時には、わたくしのお小遣いから少しばかりですが上乗せしておきましょう」
「え? わーっ! がんばりまーす!」
リリアナは喜びが過ぎて、両手を組みチェルソンを拝んだ。そこでハッと気付く。
「あ、そうしたらオットーさんにもぜひ何かしらのご褒美、もしくは休暇をっ」
「……オットー?」
チェルソンは優しげな瞳を若干見開いた。
「はい、今日会えると思ったんですけど、お休みですか? いつも私のとりとめもない話を聞いて、疲れがドンドン溜まっていっちゃってるんじゃないかと」
「おおっ。そういうことでしたら、ご心配無用ですよ。彼はこういう公の場には出られないもので」
「あ、やっぱりそういうことか」
リリアナはひとりフムフムと頷いた。チェルソンに雇われている影武者的な存在と勝手に思っていたが、当たらずも遠からずなのかもしれないと。